ディアマイハニー

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 ――その孤児院は、街道沿いの田舎町にある。戦争で半壊した、元は教会だった建物を改築し、改築を重ねてかえって今にも壊れそうな状態の建物だ。
 孤児院の傍、共同墓地の、腕と首から上のもげた聖母の像を、その日、黒い男が見上げていた。
 空は、晴天。この辺りは気候もよく土地も肥えている。戦争の傷跡は早くも畑になり、新たな芽吹きで緑に彩られている。
 いずれこの、崩れそうな聖母像は、修復されるか撤去されるのだろう。

 黒い衣服に、乱雑に伸ばした黒髪、黒い瞳。右眼側には黒い眼帯をつけている。一見して異様な容姿なのだが、町の人間は一瞥しただけで大して気にした風はなかった。農作業に忙しいこともあるのだろうが、同時に似たような人物に見慣れていたことも原因ではあったかもしれない。

「お前さん、孤児院のレシィさんに用事かい?」

 通りすがりの農夫に問われて、黒い男は茫洋とした表情を向けた。感情を窺わせぬ様子で一言、

「多分」
「そうか、やっぱりなァ」
「…やっぱり?」
「多いんだよ、あの姐さん、まぁ俺達も昔何してたんだか知らないが、お前さんみたいな変り種の客がよく来るんだ。…ああ、おい、葉貴!」

 呼び止められたのは幼い子供だ。まだ5つにもならぬだろう少年で、畦道をがたごと、荷物を抱えて荷馬車に揺られていたのだが、男の声に顔を上げて身軽に馬車から飛び降りた。御者の男に陽気に手を振って「ありがとおじちゃーん」と言い、それから荷物を抱えてのろのろと男に近づいてくる。
 黒尽くめの男の傍までやって来た少年は、彼を見上げた。首を傾げる。

「おじちゃん、なぁにー?」
「この旦那が、お前のとこの『母さん』に用事だとよ。母さんどうした?」
「んとね、おはかまいりだよ。きょうは、かあさんの、だいじなひとの、おたんじょうびなんだって」

 黒尽くめの男は、この言葉にぽつりと、空を見上げて小さく呟いたようだった。が、その言葉はすぐに、子供の歓声と女の低い楽しげな笑い声に掻き消された。

「母さんだ!お帰り、かあさーんっ」
「ママぁー、おみやげ!!」
「ごめん土産なんてねぇや花でイイ?線香もあるけど」
「要らないよそんなの。ところでヨルはどうしたの?」
「あらやだ置いて来ちゃった」
「あはははは、酷いな母さんってばお茶目なんだからーもう」
「またパパが拗ねるよ…。愛想尽かされても知らないからね」


 黒尽くめの人物はその女性を見て、葉貴と呼ばれていた子供に合わせていた目線を、上げた。
 夕暮れの藍色の中で、そこだけ全ての色が失われたようにぽかりと、灰色に染まっている。着ている服も長い髪も灰色で、瞳も、藍色の光を吸い込んでも尚、濃い灰色だ。常に鋭い視線が、しかし子供に囲まれたこの瞬間、確かに柔らかく細められている。
 ふわりと風になびく灰色のスカート、その裾から長い灰色の尻尾が見える。頭にもちょこん、と、猫のような灰色の獣耳が生えていた。


 女は、しかし男を見止めるなり、急に険を帯びた視線に変わる。子供達を先に孤児院の方へとやって、彼女はまず、腰のリボルバーを無意識に確認したようだった。

「お前」

 歩み寄り、男の傍で立ち止まる。男と会話していた子供も孤児院へ戻るように言い付けてから、

「よう、鴉じゃないか。鴉だよな?」

 確認された男はまず低く、言葉を訂正した。

「その名前はもう、廃業した」
「…そうだったな」

 にんまりと笑って返し、女が男の顔を覗きこむ。ほぼ同じくらいの身長なので、目線も自然、同じ様な高さになっていた。睨まれた男は飄々と静かな表情のまま、平静を崩すこともない。

「何の用事だ?」
「…こんな田舎で燻っているとは思わなかった、探すのに苦労したんだぞ。『無色のレガス』」


 女はその名で呼ばれた瞬間だけ眉をあげ、直ぐにまた元の表情に戻ると、咽喉の奥を鳴らすようにして男に顔を近づけた。そうして語りかける様は、愛を囁くようというよりは、獲物を喰おうとする獣のようだった。



「私もその名は廃業したんだ。此処に居るのは只の『鬼母(レガス)』だよ」
「…鴉…!」


 睨みあいと呼べるほどのものでもない視線の交錯を中断させたのは、二人の後ろから飛び込んで来た、まだ性も未分化な子供の声だった。だがその声の色は、子供とは呼び難く鋭い。込められるだけの精一杯の威嚇を幼い瞳に浮かべて、小柄なエルフの子供が飛び込んでくる。黒髪に少しきつい印象のある緑の瞳、黒いサイズの大きな祭服を裾を捲り上げて着込んでいる。エルフ族に黒髪は珍しいので、純血種のエルフではないのだろう。
 彼は胸元のペンダントを、「鴉」と呼んだ男に突きつけるようにしながら、女に飛びついた。

「何しに来たんだ、鴉!」
「…あれ、もしかして、あの時のちびガキ?」

 だが、少年の険しさを他所に「鴉」はといえば眠たそうにそう返すだけだ。基本的に感情の揺れの少ない人物なのである。

「懐かしいな、元気?あんまり大きくなってはないみたいだけど」
「死ぬほど余計なお世話だチクショウ。シゥセに何の用事だ!」

 どこから走ってきたのか。肩で息をしながら物凄い勢いで、二人の間に分け入る。その少年を、背後から長身の女性――シゥセ、ことレシゥシェートが感極まったように抱き締めた。

 それも全力で。

「ああ、落ち着けハニー。私の為に怒ってくれるのは思わず抱きしめたくなるほど嬉しいんだが」

 本気で喜んでいるらしい。それは良いのだろうが――猫の耳を見ても分る通り、この女性、獣人族の血筋である。獣人族は身体能力が異常に高く、当然、一見してほっそりとして見える彼女も例外ではないのだ。締め上げられた少年はといえば、こちらは身体能力が低いことで有名なエルフの血筋である。締め上げられ、本気で悲鳴を上げた。

「は、離せ苦しいぃ…ッ…!」
「嬉しいなぁもう、ハニーってばそんなに私のことが心配だったのか!」
「違う、僕はあんたの過去絡みで余計な厄介ごとが持ち込まれ…ないか…って…」

 顔色がどんどん蒼白になっていくヨルに気付いているのかいないのか、抱き締める腕を緩めないレシゥシェート、そしてそれを矢張り茫洋と眺めていた黒尽くめの「鴉」は、

「レシィはそういう趣味だったのか」
「憐れむような眼で見るなクソ鴉! 母さんもいい加減に離、せ…ッ…!誤解されるだろうが!!」
「誤解って何が?私とハニーがラブラブってこと?」
「…ぶっ飛ばす…!」

 女の胸に力いっぱい抱き締められた少年の顔は真顔だった。本当に真剣に、彼は自分の指輪を凶器のように女の顔面に突き付けている。
 血のように赤い柘榴石の指輪に、顔色を変えたのは――少年をからかう義母ではなく、それを茫洋とした顔で見守っていた「鴉」の方だった。ぱちりと瞬き、少年の腕をひょいと掴む。

「これ」
「あ、こら放せ――」
「…誰に、貰った?」

 人の言うことを聞かない辺りは、この男は義母に似ている。一種の諦めに至り、少年エルフは憮然とした顔のままで答えた。 この時にはようやく、レシゥシェートも彼を抱き締める腕を緩めていた。一瞬の隙を突いて彼女から離れ、息を整えながらヨルは答える。

「カリィシエラ姉さんに頼んで作ってもらったんだよ知り合いなのか」

 問い掛けを返せば、どうやら急に機嫌が良くなった物らしい「鴉」はほんの僅か、口元を緩めてその指輪をじっと見つめている。

「うん、まぁ。いずれ結婚する相手だ」
「…婚約者って言うんじゃないのか、それ」





 で、何の用事?とレシゥシェートが改めて問い直したのは、それからたっぷりと半時も経った頃だった。大して立派ともいえない客間に「鴉」と呼んだ眼帯の男を案内し、男をソファに座らせて、彼女は自分はその辺りにあった椅子を引き寄せて対面に腰掛けた。その傍に相変わらず警戒心を見せるヨルが座る。
 開いたままの窓からは――開いたままと言うより、壊れていて閉められないのだが――子供達の遊ぶ声と、鶏の鳴き声と、それから時折、窓から顔を出して突然の客人に好奇の目を向ける子供達の囁き声が聞こえてくる。
 平和そのものの、孤児院の物音だった。男がひとつ、ため息を吐く。嘆いているというよりも、それはどこか羨望をすら孕んでいた。だがそれは矢張り、ほんの数瞬のことで、すぐに彼は元の淡々とした調子でこう、答えた。

「いや、ちょっと、シルフィード…カリィシエラが貴女を訪ねる途中で攫われて、僕に脅迫状が届いたんだ」
「…」


 少しの間言葉を捜していた女は口をぱくぱくさせ、そしてその傍から少年エルフが彼女の代弁をするように、口を開いた。こちらはいくらかは冷静だったようだが、


「…大事じゃないか!?」


 思わず青年に詰め寄ってしまう程度には慌てていたようである。







 ちょっと恨みを買ってしまってと淡々と言う鴉は慌てている風には見えない。が、これで怒らせるととんでもない相手だと言うことも了承しているレシゥシェートは、一先ず落ち着いてから、すぐにこんな心配をした。

「この辺は平和で、暴力沙汰には慣れが無い。」
「見れば分る」
「…くれぐれも不必要に死人や怪我人を出してくれるなよ…?」

 うーん、と彼は首をかしげてから矢張りどこか茫洋とした調子で、

「保証はしかねるなぁ」

 ああ怒ってるなこれは、と長い付き合いのある者特有の直感でそれを悟り、レシゥシェートはそれ以上は何も言わないことにした。言い募ろうとするヨルを仕草だけで遮り、

「それで?…まさかお前が、『近くまで来たから挨拶に』なんて訳はないだろう。私に何をして欲しい?」
「うん、一つは、先に謝罪をしておく。この町の近くで騒ぎになると思う。」
「もう一つは?」
「もう二つ。彼女が怪我をしてる可能性が高い。ちびが居るってことは、ここで応急処置くらいは期待してもいいか?」

 これに答えたのは「ちび」呼ばわりされた少年である。彼は腕組みして不機嫌な顔のまま、

「死んで居なければ治療する自信はあるよ」
「…へぇ」

 ぱちり、と瞬いて男は僅かながら驚きと興味を黒い瞳に浮かべた。

「攻撃系統の魔術が専門なんだと思ってた。…治療が専門なのか」
「母さんが壊すの専門だから」

 僕が修復担当、と言外に告げてそれきりヨルはそっぽをむいた。話の終わりを見て取って、レシゥシェートが口を差し挟む。

「で、最後の一つは?」

 男は息を吐いて、表情を伺わせない淡々とした調子で、こう答えた。


「手紙を貰ってからここまで来るのに急いだものだから、うっかり食事を忘れていたんだ。喧嘩の前に、少しだけ、食料分けてもらえると助かる」


 呆れて物も言えぬ様子でヨルがため息を吐いて立ち上がった。無言で部屋を出たところを見ると台所へと向かうのだろう。それを見送りレシゥシェートが椅子の背に身体を投げ出すようにして、天井を見上げる。

「お前が何考えてんのかも分らんが、それ以上に、お前に惚れたカァラの姉貴の気持ちが私には分らん」
「そうだな。僕も何であのちびがお前に愛想を尽かさないのか不思議だ。」

 彼は彼で、閉じたドアを見ながら呟いた。矢張り淡々とはしているものの、黒い左目には僅かながら憐憫の情が見え隠れする。可哀想に、とでも言いそうな様子だ。

「…食事も普段から作らせてるのか…」
「だってあいつ、手先器用なんだもん」

 適材適所って言うだろう、と偉そうに講釈を垂れる女は今は「母さん」なんぞと呼ばれているが、「鴉」は知っていた。この女は昔から、家事全般全く無能だったのだ。きっと今でも、掃除洗濯料理の全てを、昔から傍に置いて手放さないあの少年に、或いはこの孤児院で彼女を「母さん」と慕う子供達に、教育の一環としてやらせているのに違いない。

(そもそもこの女、育児なんて出来るんだろうか…)

 根本的な疑問にぶつかってしまい、「鴉」は暫しの間思案した。
 『無色のレガス』と呼ばれ戦場で敵を震え上がらせた女傭兵が、片田舎で孤児院を経営してるらしい。話に聞いたときから想像がつかなかった。
 彼に想像できたのは、何事も大雑把な彼女の気紛れに翻弄されながらも、子供達をしっかり教育している少年エルフの姿だったりする。

(…どっちかっていうと、彼女より『コトホギ』に似たよな…)

 カリィシエラに報告したらきっと彼女も頷いてくれるに違いない。そんなことを考えて、「鴉」は頬杖をついた。慌てるつもりも無いし、彼女の無事を疑うことも無いのだが、こんな時にはふいに顔を見てみたくなる。


 食事は直ぐに出来る、ありあわせのものだった。サラダと茹でた卵、それにパンを幾つか。粗末なそれを文句も言わずに勢いよく食べ尽くし、「鴉」は丁寧に手をあわせた。ヨルに顔を向けて、

「ご馳走様」
「お粗末様です。…カァラ姉さんは何処に居るの?」

 此方も食事を進めながらヨルが問う。「鴉」は答えず、代わりに口を開いたのはレシゥシェートだった。灰色の瞳を、珍しく思案するように軽く伏せていたのだが、彼女はパンを口に入れたまま、

「ふぁうぐ、街道沿いの…ほら、山賊が出るって話。来てただろ?」

 「来てた」と彼女が表現したのは、山賊を不安に思う商人や旅人が、護衛の依頼をレシゥシェートへ持ち込むためだ。この辺りの地域では、彼女は護衛やモンスター退治をこなす便利屋として仕事をこなしていた。そうしないと現金収入が足りないという切実な問題もある。
 ヨルは頷いて、こちらは行儀良く千切ったパンを嚥下してから口を開く。

「まぁ時期的にも合うか、そこだろうね。戦場から流れてきた連中みたいだし、『鴉』に恨みがあってもおかしくはない」

 二人のやり取りに、席を立とうとしていた「鴉」は答えない。答えなかったが、小さく溜息を吐いて答えの代わりに寄越した。彼が何かを言おうとする前に、レシゥシェートが、矢張り食卓を睨みながら言葉で遮る。

「カリィシエラは私達にとっても大事な家族だ、『鴉』。…お前だって最初から、この話を持ち込めば、私達が黙ってないのは承知の上だろ」
「私『達』って僕も入ってるわけそれ」
「当たり前だろハニー、私達は二人で一人だぞ」
「馬鹿は無視して『鴉』、」

あくまで冷静な口調でヨルは「鴉」へ向き直る。

「姉さんが怪我をしているって言うなら、僕が突入して救出するからそれでいい?多分あんたも母さんも死ぬほど目立つだろうし、囮やってくれると凄く助かる」
「…僕の意思は無視か」
「私も無視された!私の愛もッ」
「母さんは黙っててよもう話進まないから」
「そうだお前は黙ってろレガスの」

 男二人に言われて、子供のように唇を尖らせたものの、レシゥシェートは口を噤んだ。いや、噤む前に一言だけ宣言した。小さく手を挙げ、

「ああ、そうそう、先に言っとくけど私はハニーの策に賛成」







***

 そういう事情で数時間後。
 小柄なエルフの少年、灰色の美女(元傭兵)、黒尽くめの男(元殺し屋)という三名は、たった三名で、廃棄された砦を根城にしている戦場流れの山賊の元へ向かった。散歩でもするような気軽さで。






「あら、ナハト?」

 どこか物憂げでありながら優雅な仕草で首を傾げた女にそう名を呼ばれ、幼い姿をしたエルフの少年は顔を顰めた。こういう時だけはさすがに、「鴉」の気持ちも、分らないではない。

「ナハトじゃない。今はヨルだよ、カァラ姉さん」

 自分の名をこれと決めた以上は、その名で呼ばれたいものだ。やたらに周囲から「鴉」と呼ばれるあの男をちらと不憫に思ったものの、どうにも下らぬ感傷に思えたのでヨルはすぐにその考えを振り払った。
 目の前に居るのは、黒い肌に銀の髪を持つダークエルフの美女である。粗末な衣服に血が滲んでいるのを見遣り、怪我の具合を確認する。
 衣服こそ粗末ではあったが、見事な銀髪と青磁色の瞳だけで彼女は十分に飾られていた。血の色さえも匂い立つような艶やかさに花を添えているようにも見える。怪我をした故なのか生来の物か、気だるげな視線さえもが、熟れ過ぎた果実のような色気を醸し出している。
 だが小首を傾げ、ヨルを見る彼女の表情はいっそあどけない少女のようでもあった。

「そうだったわねぇ。あの子もそうだわ。今は『無色の』とか『灰色』と呼べば、あの子は怒るのでしょう」
「怒るね。…まぁ、あの人、そもそも自分の名前もあんまり好きじゃないみたいだけど」

 あの子、と示されているのはレシゥシェート・レティアラ・レガス、ヨルにとっては義母であり、カァラと呼ばれた女性にとっては姉妹のような間柄の人物である。ヨルが「姉さん」と呼ぶのは別段、彼女と血の繋がりがあるからなどという理由ではない。義母が「姉貴」と呼ぶのでそれに倣ったというだけに過ぎない。

 なお、ついでに言っておくと、二人の話題に上がっている人物、レシゥシェートは現在、この建物の表で大暴れをしている最中だった。時折爆音が聞こえる度にエルフの少年は「爆弾だってタダじゃないのに…」と不機嫌を深めていく。しかし、不機嫌ではあってもやるべきことは心得た物で、カァラの怪我の具合を調べて小さく呪文を囁くと、

「怪我は大したこと、ないみたい。軽く血止めと、疲労回復の術も入れたから。違和感があったら言って」
「あら、ありがとう。…さて、あなたを、貴方とレシィを此処へ寄越したのは、誰の仕業かしら?」
「判ってる癖にそれを訊くんだ?」

 ヨルの切り返しに、女は僅かに微笑んで見せた。銀の髪は彼女が動くたびに揺れ流れ、埃っぽい室内で本物の銀のようだ。その表情にひとつ溜息を吐いて、ヨルは、目を逸らしながらこう、告げた。

「…自分を餌にして釣りをするのは感心しないよ、姉さん」
「あら嫌だわヨル。わたくしがいつ釣りなんてしたの?」
「自分を危険に追い込めば、『鴉』が来てくれるなんて都合のいいこと考えてないよね」

 この女が何を考えてか、『鴉』と呼ばれる元殺し屋の男を追いかけていることを、ヨルもよく知っていた。そうすることで『鴉』に恨みを持つ多くの連中に付けねらわれることも承知の上で、だ。
 女は口元を隠して、けれども隠し切れずに微笑んだ。ヨルの言葉に応じて、少年の顔を覗きこむ。

「わたくしがそこまで愚かに見えるのなら、あなたは『相変わらず』女を見る目がなくってよ、ヨル」
「…。僕に女を見る目が無いのは、最初ッから判りきったことだろ…」

 あの人にとっ捕まってる時点で解り切った話じゃないか。
 そう呟いてヨルが示すのは建物の外、爆音と重たい銃声が響く中心だ。灰色の髪を靡かせて、彼女は小さな戦場を蹂躙しているのに違いなかった。そんなことは、見ずとも解る。

「わたくしはね、ヨル」

 女は、血で汚れた服の裾を払いながら立ち上がった。

「…そんなに簡単に、釣り餌になってやるほど、安い女じゃないのよ。此処へ来たのが貴方たちで安心したわ。」

 あの男ではなく。鴉と呼ばれるあの男ではなくて良かった、と。
 彼女は心底から楽しそうに、そう答えて笑う。ヨルは窓の外、暴れ狂う自分の義母にして、自分を捕らえて離さぬ悪党の顔を見、案外、あの人とカァラ――カリィシエラは似たような存在であるのかもしれないとそんなことを考えていた。










 聖母像は相変わらず半壊の状態で、墓地の前にぽつりと突っ立っている。




 カリィシエラを無事に助け出し、ついでに山賊を壊滅させ、ちょっとだけ砦にあった金目の物を抱えて帰ってきた時、聖母像の周りには不安そうな顔をした町の人々が集まっていた。近場の森で爆音や銃声が聞こえたという。

「何かあったのかなぁ」
「さぁ、分んないけど、山賊が同士討ちでもしたんじゃない?」

 けろりとした顔でそう返したレシゥシェートに、ヨルは閉口した。白々しいのもいいところだ。爆音も銃声も、銃火器を主な武器として扱うレシゥシェートが原因だというのに。
(鴉みたいに、糸を使えとは言わないけどさ…)
 せめてもう少し経済的な――爆弾も弾薬も、タダではないのだ――武器を扱ってくれない物だろうか。ヨルは少しばかり考えてみたが、思い出したのが義母と同じく「レガス」を名乗る美貌の少女だったものですぐにこの考えを取り消した。

 あの「レガス」の姉妹は、レシゥシェートにそっくりの容姿、そっくりの細腕で、大きなウォーハンマーを振り回して敵の脳天を砕くのが大好きな人物だった。さすがに義母にああなられては、困る。


「心配は無いと思うけど、念のために私が様子を見に行くよ。それでいい?」
「ああ、そうしてくれるか。」
「ありがとうな、レシィ。いつも助かる」

 口々に言ってそれぞれ、畑や自宅へ戻る人々を見送り、レシゥシェートは息を吐き出す。
 共同墓地には二人、黒い肌のエルフの美女と、黒尽くめの眼帯男が突っ立っていた。一言も交わさずに。





「いいものあった?」
「…この辺りで盗まれた盗品だからね…どう捌くかのほうが大変だろ」

 ヨルは荷物の検分を済ませ、中から調理器具と、弾薬を少々取り出して選別しながら義母の問い掛けに答えた。義母は何が楽しいのか、足をぶらぶらさせて窓に腰をかけて、直ぐ傍の墓地の、壊れた聖母像を眺めている。その前で立つ、二人の姿を遠目に眺めて。

「…話とか」

しなくていいの、と皆まで言わずとも、レシゥシェートは鼻でその言葉を笑い飛ばしてしまった。

「あいにくそこまで野暮じゃない。…何、それ?」
「金持ち相手の商人からでも奪ったのかな…金目のもの、だと思うけど、処分が大変そう」

 ヨルが引っ張り出したのは、高級そうなクマのぬいぐるみだった。サテンのリボンとガラスの目玉。耳に打たれたタグの会社名が、高級ブランドのそれだということをヨルは知っていたが、こんな田舎町でそれがどれだけの意味を持つ物か。苦笑して、彼はそのぬいぐるみを義母へ放った。

「リリーか、フェイルにでもあげればいいよ。お土産に」

 首のリボンにつけられた宝石だけしっかり取り外し、懐へしまいこんだのは内緒だ。








 何を二人が話していたのか。
 ヨルは知らないし興味も無い。彼が知っているのは、それから数時間たった夕刻、窓際にテーブルを持ち出して、おんぼろの椅子を並べ、子供のままごとのような即席のお茶会を始めた義母と、彼女の対面に座って、ぼろぼろの教会を背景にして、気だるげな美貌のエルフが楽しげに紅茶を飲んでいた事実だけだ。

「たまには紅茶も悪くないよな」
「…煙草は止めたの、レシゥシェート?」
「あと五十年は吸わない事にしてる」

 ぱちり、と器用なウィンクをした義母の企みを、だからヨルは知らない。彼は気を利かせ、久方ぶりに会う姉妹同然の二人の茶会に、時折、幼い子らを遣ってお菓子を差し入れさせたりした程度で、話の盗み聞きさえしなかった。





「ガキの前じゃ吸いたくない、っつーのもあるし…あと五十年もたてば、ハニーも結構イイ男に育つと思うんだよな」





 カリィシエラはあら楽しそうねぇ、と頷いて同意し、紅茶を一口。安い茶葉に割れそうな安物のカップでも、この女性がそうするとたちまち優雅な絵になってしまう。

「あなたのようなやり方も、悪くは無いと思うのだけれど」
「けど?」
「まるで悪党のようだわ、レシゥシェート。あの子が貴女以外目に入らないように仕向けてしまったのだから」

 あの人とよく似ているわと、笑んで言われたレシゥシェートはげ、と顔を顰めた。あの人、とカリィシエラの呼ぶ人物は、カリィシエラの左の薬指の銀の指輪の、所有者でもある。

 ――「宝石使い」という異能を持つ彼女は、宝石に篭る魔法の力を操ることが出来る。今回の件で、カリィシエラは左の薬指の指輪の力を使い切り。粉々に砕いてしまったのだ。それで今、彼女が手にしている指輪は――「鴉」と呼ばれているあの男のものだったり、する。当然、男物なのでサイズは大きすぎたが。

 それは僕の物だから、返しに来い。

 彼の言葉はそれだけだった。また追って来い、と言うことか。素直に追うのも腹立たしいので、カリィシエラは今後の予定をしっかり心に決めていた。



「レシゥシェート。この孤児院、大人が一人増えても大丈夫かしら」
「はい?」
「わたくし、しばらくここに滞在しようと思うのだけれど。」

 勿論、食事の料金くらいは支払えてよ、と彼女は胸元を少し開いて見せる。いやに艶っぽい仕草だが実際それが示すのは、彼女の黒い、果実のような肌の瑞々しさではなく、

「…。それ、宝石?」
「あの人がね、」

 彼女は悪びれた風も無く、襟を戻してペンダントを隠しながらこう告げた。無論「あの人」の指し示す人物は一人である。

「お守り代わりに持っておけ、と言うのだけれど…宝石使いにとって宝石は『使うもの』よ、それくらい、あの人だって分っているでしょうに、ねぇ?」




 彼女だって十分な悪党だ、と、姉も同然の相手を見ながらレシゥシェートは思い、その言葉を紅茶と一緒に飲み干した。


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