Princess Brave!



「わたくし、リザルス・リレイン、リサと呼んで下さいませ。ギレム公爵家の若様にお仕えするメイドにて御座います」
「俺はギレム公爵家の跡取り息子、そこのフィーナは見知った仲だな。エンド・エグルと言う。まぁ好きに呼ぶがいいぞ魔族の」
 何だか騒々しいことになったけれども、とにかく、僕らは村へと向かう事になった。ただし正面からではない。この二人の案内に従って、少し村から外れた一軒の家に向かっている。
 リサさんというメイドさんは、黒髪(ブルネット)に深緑色の瞳、左の目にだけ僅かな金が散っている所を見ると魔族なのだろう。すらりとした長身で、そして――非常に豊満な胸をしていた。抱きあげられた僕が危うく窒息しそうになったほどだ。黒髪は鳥の巣みたいにボサボサで、どうやらそれは癖毛らしい。
 そしてエンド様――ギレム公爵家の若様。
 こちらは一言で言うと、大変、その、なんて言うか、
「相変わらずハムみたいな恰好してんのねギレムの。少し痩せなさいよ」
「ははは、お前は相変わらず辛辣だなぁ、そんなところもお前の愛らしさを引き立てているぞ、フィーナ」
 ――そう。ハムだ。丸々と太いハム。
 大変申し訳ないのだけれど、はちきれそうなお腹を揺らしながら歩く姿はとてもお世辞にも恰好が良いとは言えない。末姫様と同じ青金髪に青い瞳でやや目つきは悪い。背も高くない。リサさんより少し低いくらいだ。だがリサさんはそのエンド様に頬を染めて口を尖らせ、
「…若様のばか。やっぱり口だけではありませんか浮気はしないなんて」
 そんなことを言っている。
「………フィフィ。この国はいつから貴族の跡取り息子がメイドといちゃつくようになったんだ」
「知らないわよっつーかあんた婚約者居たの?その割にはあんたんとこの母上、えっらい熱心にあんたをあたしとくっつけようとしてたけど」
 エンド様は公爵家の跡取り息子で、王家とも遠縁ながら親戚にあたる。末姫様とは年も近いせいか、昔からよくお城にも顔を出して遊び相手をされていた。そのため、末姫様に対する態度も大変気易い。性別は違えどこの二人、幼馴染の友人みたいな間柄なのである。
「いやだって母上だろ。母上アレだもん魔族嫌いだもん。リサ紹介したら気でも触れたんじゃないかって大騒ぎされたし、危うく城に閉じ込められるところだったぞはっはっは」
 笑って言ってるが割ととんでもないことしてるんじゃないのかこの人。さすが末姫様の幼馴染。
「そりゃ騒ぐわよだってメイドでしかも魔族じゃないの。ウチのパパなら気にしないだろうけどさ、あんたのとこの母上は…」
 末姫様は言いづらそうに言葉を濁した。ウィズがん?と首を傾げる。説明するように、末姫様はウィズの方を見て言った。
「コイツの母親はね、公爵夫人なんだけど、…何て言うのかしらね…差別的と言うと聞こえが悪いわよね…。血筋至上主義って言うか…」
 ――そう。エンド様のお母様、ギレム公爵夫人は大変血統を重視される方である。庶民の暮らしを覗き見るのが大好きな末姫様にいい顔をしない筆頭でもあり、商家の出である王妃様を未だに商家の出だからという理由で蔑んでおられる方でもあった。
「魔族のメイ姉様も、…最後まで出家させるようにって主張してたの、ギレム公爵夫人だったわよねぇ…。未だに口もきこうとしないし」
 深々と末姫様は溜息をついていた。エンド様は悪びれた風もなく肩をすくめる。
「いや何。お前の親父殿、国王陛下にフラれたのを未だに根に持ってるだけだアレは。俺とお前をくっつけようと何かと画策していたのも、自分が王家に嫁げなかった鬱憤晴らしなんだろう」
「でしょうねー。ほんと、あたしあんたみたいなのタイプじゃないし、やめてほしいわー」
「ははは本当に口が悪いなぁフィーナは、スパイスが利いていて実にいい」
「あんたは見境なく女の子褒め過ぎ、少し節操を持ちなさいよ」
「…仲がいいなぁ、あいつら」
 後を歩くウィズは呆れたように呟く。リサさんがにっこり笑った。にっこりしてるけど目が笑ってない。
「本当に。後で覚えていやがりなさいませね若様ってば」
「…ところであんた、さっき何をしたんだ?スケルトンどもの動きを止めてたみたいだけど…魔法か?」
「ええ。矢張り魔族の方には分かりますか。でも仕掛けについては内緒にさせてくださいませね?」
「しかもあの動き。ホントにただのメイドか?」
「メイドです。若様のご希望ですので、メイドをやっております」
「……やっぱり本職メイドじゃねぇんじゃねーか」
 ウィズの突っ込みに彼女は少しだけ笑って、秘密の一端を教えてくれた。
「フィーナ様は既にご存知ですのでぶっちゃけちゃいますけど、わたくし、元はエレイン家に雇われて若様を殺しに参りました暗殺者でして」
 ごふぅ、とウィズが吹きだした。
「ああああああ暗殺者あああ?」
「あらやだ恥ずかしい、そんな大声出さないで下さいな。…ですけどその、若様に…いやん、乙女の口からこれ以上は申し上げられませんわ」
 リサさんは何を思い出したのだか、頬を染めてその場でくねくねし始める。
「何をしたんだあんた」
 ウィズから非常に疑わしげな胡乱な眼を向けられたエンド様は、動じる様子もなく涼しい顔で、
「――何。俺は女性に不埒なことはせんよ」
「嘘だ絶対嘘だ…」
 そんなやり取りをしながら村の外周を僕らはぐるりと廻り込んでいた。村の周辺は森になっているが、この辺りは人の手がある程度入っているらしい。足元は明るいし、下草は刈り取られていて獣道みたいな道とはいえかなり歩きやすかった。まぁロングスカートのメイド服を着たリサさんが軽々とこう言う場所を歩いている風景は、それでもかなりの違和感があったけれども。何でこの人こんな場所でもメイド服なんだろう。エンド様のご趣味なんだろうか。
「どうして表から入らないの?」
 末姫様の問いかけに、エンド様は少々罰の悪そうな顔をなされる。
「ティンダーリースは魔族には冷たい」
 リサさんと、それからほとんど純金にさえ見える強烈な金の目を持ったウィズを交互に見て、そう告げた。末姫様が足元の枝を踏みつぶしながら苦々しげに口を挟む。
「なるほど、領主が魔族嫌いなんだもん、そりゃ領民だって従うか…」
「そういうことだ。ましてこの辺りは教育もなかなか行き届かん。その癖に母上の魔族嫌いだけはしっかり伝染するのだから困ったものだ」
「――そういや教育助成金ってどうなってんの?農村に対して配布するようにってパパから勅令いってるはずだけど」
「難しい。王家のお前らには分からんかもしれんがな。こういう農村は字の読める者も少ない、そのため書類の改ざんがあまりに容易だ。村の中でも多少字の読める一部の連中が助成金を掠め取る、なんてのは珍しくもない」
「…あー。成程…」
 その辺りのシステムも考えないといけない訳ね、などと末姫様とエンド様は大真面目な議論を始めてしまった。おいてけぼりを食った格好で、僕とウィズとリサさんは顔を見合わせる。リサさんは少しだけ誇らしげだった。
 助成金の配布方法から教育者の人材確保にまで話が及んだ頃になって、リサさんがぴたりと足を止める。森の切れ間から、一軒の小さな小屋が見えた。そう、小屋だ。僕の知っている限りだと、森の中のこういう場所にある小屋というのは、確か樵さんとか猟師さんとか、そういう森の中を生業とする職種の人が住んでいる小屋だったと思う。小高い丘のようになっている場所から見下ろせる位置にぽつりと一軒だけ建っているので、村からもかなり外れているのだろう。
「――あれがわたくしの生家です、お恥ずかしいですが」
 照れ笑いをしながらリサさんがそういって指し示す。が、僕らは別の方を見ていた。小屋に何やら村の方から、ぞろぞろと人の群れが近付いているのだ。
 何故か咄嗟に、ウィズがこう言った。
「その辺に伏せて隠れろ!」
「え、何で――」
「いいから。フィフィ、魔法使うぞ」
「い、いいけど、どうしたのよ…?」
 ウィズは末姫様には答えず一度瞳を伏せ、しばらくの間沈黙する。僕らには何が変わったのか分からなかったけど、ひとつ分かったのは、遠くから聞こえて来る声がやけに鮮明になった、ということだった。どうやら例の人の群れの声のようだ。
「音の波長を少し変えた。――あちらからはこっちの姿は見えないはずだ。ただし大きな音は立てるなよ、消音は俺は苦手なんだ」
「ほう、大した技量じゃないか。さすがにフィーナが連れているだけある」
 エンド様は感心したようにただでさえ細い眼をいよいよ細くしたが、ふと、自分の腕を握りしめる細い指先に気付いたらしい。怪訝そうにリサさんを覗き込んだ。
 リサさんの顔色が青い。その癖に目だけが爛々と光っている。
「リサ」
「――若様、わたくし…その。我慢できなくなったら飛び出してもようございますか」
 彼女に答えたのは、ウィズだった。
「――そうしろ。俺だってそうするし、何よりこの姫さんが飛び出すさ」
 ぽん、と末姫様の頭を叩いたウィズの手を鬱陶しそうに払って、末姫様は彼を睨んだが、会話の流れで不穏な空気だけは察したのだろう。文句も言わずにじっと眼下の小屋を見続けた。


 小屋に近づいてきた一団は、屈強そうな男の人が数名と、多分村の要職なのかな、年老いた男性が一人、それに――その中で見るにはいささか雰囲気の合わない、ローブの男の人が一人いた。全体に線が細くて若い。目が細くて笑ってるみたいに見えるけど、僕は何となく城の中庭でメイ様が可愛がっている蜥蜴を思い出した。感情が見えないって言うのかな。
「リル! いい加減に顔を出せ!」
 小屋に向かって一人が怒鳴ると、それが合図だったみたいに男の人達が乱暴に扉を殴り、窓を叩き、壁を壊しかねない勢いで蹴りあげ始める。がつんがつんという凶暴な音にまずリサさんがぐっと拳を握り、末姫様が顔色を変えたが、それをウィズが留めた。
 まだだ、まだ待て、と口の動きだけで小さく告げる。
「悪魔の子め――今まで村の者で面倒を見てやった恩を忘れおってからに」
「お前の姉を殺さずに生かしてやった、村に対する仕打ちがこれか!!」
「お前のような恩知らずを、この上村に置いてやる義理はないぞ」
「魔物だってお前の仕業だろう! 全く、だから魔族など災いの元だと言ったんだ」
「これだから魔族は…!」
 リサさん、歯を食いしばっている。
 ――そうか。ここがリサさんの出身地だと言っていた。魔族に対する偏見の強い土地で、リサさんみたいな魔族に生れついてしまった子は、大抵は殺されるか、良くて村から追い出される羽目になる。
「…リサ。あんたの妹、魔族なのか」
 低い声でウィズが問いかけると、彼女は唇を噛んだままでふるふる、首を横に振った。
「リルは…妹は、わたくしとは双子ですが、魔族ではありません。わたくし一人が魔族に生れつきました。だから生まれてすぐに、妹とは引き離され、あの小屋でしばらく養父と…」
 彼女は項垂れ、僅かに、笑った。
「この国の姫君の前でこのようなことを申し上げるのも心苦しくはありますが、わたくしはその後、人買いに遣られたので御座いますよ。そうして売られた先で暗殺技術を仕込まれた、という次第です」
 あの時、父が金貨を数えていたのをよく覚えています。
 とても透明な、感情を見せない、淡々とした声で、それが余計に彼女の痛みを表しているようで、それが分かるからだろう。いつもならこんな犯罪絡みの話を聞けばすぐにでも爆発するはずの末姫様は沈黙していた。僕を抱きしめる手にぎゅうと力を入れただけで、ぐっと何かを飲むような音を咽喉の辺りでたてて、それだけで沈黙した。
「…ではお前の妹は、普通に生まれ育ったはずだな、リサ」
「ええ。風の便りに養父も死んだと伝え聞いておりますので、あの小屋は今は使われていないはずだったのですが…それでこちら側に皆様をご案内したのですけれど」
 彼女は今度は少しだけ感情を見せた。悔しげに顔を伏せ、拳を握りしめる。スカートの膝の上で拳が小刻みに震えている。
「…村で妹はいじめられていたと。聞いたことがあります。姉のわたくしが魔族に生れたばかりに」
「――なんてこと」
 末姫様の青い瞳が炎みたいに燃えている。一方、小屋を取り巻く罵倒はまだ続いていた。
「今回は城からの遣いの方も来ておられるんだ。今の内に顔を出せば少なくとも命までは獲らん。出て来いリル」
 老いた一人がそう告げて、傍らに居たあの細目の男を見た。彼は笑って――といっても口が三日月に裂けたみたいな気持の悪い笑い方だった――ドアの向こうにとても落ち着いた風に告げる。他の連中に比べれば冷静な物言いだったけど、それがかえって不気味だ。
「リル嬢。領主様の命なのですよ、早く出て来て頂かなくては。我々とて無理強いはしたくないのです」
「うるさい!」
 初めて、ドアの向こう側から甲高い返答があった。声の主の姿は見えない。
「――あたしが何も知らないと思って馬鹿にしているのか! 貴様らがあたしみたいな魔族の血縁を城に連れて行って何をしているのか、知らないとでもっ…!?」
「人聞きの悪い。城仕えが出来るのですよ、むしろ光栄に思って頂かなくては」
「嘘をつけ、聴いたんだ――」
「ほぅ」
 声が。
 すぅと細くなった。僕は居心地の悪さに翼の先をもぞもぞ動かし、末姫様がすぅと腕から力を抜く。あ、まずいなこりゃ、と僕が思うより先に。
 末姫様が小さな茂みを飛び出した。
「――誰に。何を聞いたのか――教えてもらう必要がありそうだ!」
 男が言うと同時に腕を振り、それを合図に村の男達が手にしていた斧や鍬を振り上げる。あんな小さな小屋、あんなもので力任せに叩いたら呆気なく壊れてしまうに違いない。
 だが。
「待ぁちやがれぇこのド腐れがぁぁあああああああっ!!!」
 ずざざざざ、と、派手に落ち葉を蹴立てて急な坂を一気に転がる様に落ちて、末姫様がその場所に到着していた。ちなみに僕は途中で末姫様が手を放したため、ごろごろとその坂を無様に転がって末姫様の足元に着地する。後を追うように、リサさんとウィズが飛び降りた。リサさんはスカートの裾を抑えて華麗に、ウィズは何をどうしたのやらふわりと音もなく、それぞれカッコよく地面に降り立つ。
「あんたね…聞いてりゃぁどうやらギレム公爵家の人間みたいだけど…人の…王家の直轄領で何してくれやがってんのよ!!」
 びしりと。
 唐突に現れた末姫様に、ウォーハンマーでびしりと示され、ぽかんとする村の人達。そして細目の男。
 だが、それだけではどうも場は収まりそうになかった。どすん、という異音が響き、僕らははっとして音の方向――どうも小屋の内部から発されたようだ――を見遣る。村人の一人が青い顔になった。
「魔物だ――! くそ、リルの奴のせいだ!! だから俺はイヤだって言ったんだよ!!こんな奴に関わるなんてっ!!」
 悲鳴のような声は一気に集団に伝染し、彼らはてんでバラバラの悲鳴を上げながら逃げ惑う。逃げ損ねた一人は腰を抜かしたように座り込んでいた。
 僕らは。
 見た。
 黒い影が、巨大な影が、小屋を覆うように出現している。先の群青色の狼も相当に大きかったがあれの比ではない。
 獣――のようなシルエットをしたそれは、ウォン、と、鼓膜をつんざくような凄まじい悲鳴を、本当に悲鳴としか言い表しようのない声をあげて、それから。
 ――村の中心の方角へと。飛んだ。
 本当に冗談のように飛んだのだ。木々を揺らし葉を落としながら姿を消したそれを、一瞬唖然と見上げていた末姫様は、顔面に落ちてきた枝葉に我に返って猛然とウォーハンマーを抱え直す。
「追うわよあんた達!」
「あー。それは俺も入ってるのか末の姫よ」
「エンドはすっこんでなさい、役に立たないんだから!」
 エンド様に対しては容赦のない罵倒を浴びせて、末姫様は駆けだした。慌ててウィズが後に従い、リサさんは小屋の方を見て躊躇したが、エンド様の「行ってこい」の一言に一礼してその後を追う。
 取り残された僕とエンド様だが、ちらりと僕が見上げると、
「…お前はそう邪魔にはならんだろう。見物してきたらどうだ」
 あなたはどうされるんで? 僕の疑問が通じた訳でもないだろうが、エンド様は肩をすくめる。
「小屋の中の小さなレディが泣いているようだ。俺にはあいにく、女性の涙を放置する趣味はなくてな」
 そう、飄々とお答えになって、身体を揺すりながら小屋へと向かって行った。相変わらずハムみたいな体格の癖に言う事だけはカッコ良かった。

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