頂きもの!

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「…あ、雨」
ふと、頬に感じた冷たい重みに、桃色の髪の少女は空を仰いだ。
見れば、先ほどから不穏な灰色に覆われていた空が、とうとう大粒の雨を零し始めていた。
その粒は少しずつ数と勢いを増して行き、彼女と、その同行者に激しく降り注ぐ。
その同行者はといえば、
「ん…降り出しちまったか」
と、ワンテンポ遅い感想を述べるだけ。
かと思えば、長身赤毛のその男は、鋭い視線を遥か先に向けた。
まるで、その先に何かを見つけたかのような表情だったので、少女は、
「どうかしましたか?レッドさん」
と、見上げるようにして呼びかける。
レッドと呼ばれたその男は、その口唇の端を僅かに上げて、少女の顔を見る。
「いいところに建物がある。そこまで走るぞ、おハナ」
言うが早いか、少女の体をいきなり抱え上げたかと思うと、一目散に駆け出す。
革の手袋に覆われた右手には旅行鞄を、素手の左には少女を軽々と抱えて、力強く大地を蹴る。
一方の少女は、あまりに唐突なその行動に慌てふためきつつも、
「もう!おハナじゃなくて、フローラですって!!」
と、レッドからの呼び名を訂正することだけは忘れなかった。

  +  +  +

二人がたどり着いたのは…お世辞にも、綺麗と呼べる建物ではなかった。
無理な改築を繰り返したのか、妙にバランスの悪い、元は協会であったと思しき建物。
傍には、首から上が朽ちて失われた聖母像が立つ墓地もある。
「教会か…個人的には相性の悪いとこだが、そう文句も言ってられないか」
レッドはそう一人ごちる。
ここまで走ってくるうちに、二人は全身びしょ濡れだった。
心なしか風も強くなって来た。嵐が近いのかもしれない。
彼もフローラも、とある理由により常人より遥かに頑丈な体の持ち主ではあるが、
彼自身はともかく、フローラを風雨に晒して歩くことはためらわれる。
「さて、雨宿りさせてもらおうか」
そう言って、フローラと二人、扉の前に立つ。
元教会だけあって、割と頑丈で良質な木材の大扉のはずなのだが、やはりところどころを板で補修してある。
単なる経年劣化というよりも、まるで破壊のあとのように見えるのは、レッド自身が長らく戦いの中に身をおいていたからだろうか?
扉に取り付けられた呼び鈴を、鳴らす。
一回、二回。
しばしの間が開いて、分厚い扉の奥から響く、妙に騒がしい、だが軽い足音。
「はーい!」
元気のいい声が聞こえたかと思えば、扉が勢い良く開く。
…レッドは一瞬、扉が一人でに開いたのかと錯覚してしまう。
だがそんなわけはなく、扉を開けた主は、彼の視線の遥か下。
「…おじさん、誰?」
視線を落とせば、彼の腰ほどの背丈の少年が、その丸く大きな瞳をレッドに向けていた。
「あ、ああ、ええと」
予想外の人物の登場に、レッドは思わず口ごもってしまう。
元より子供の相手は苦手な彼である。
その代わりに、傍らのフローラが少年に話しかける。
「あの、少し雨宿りをさせて貰いたいんだけど…お父さんかお母さん、いるかな?」
その言葉に、少年は無言で一度扉を閉め、再び建物の奥へと駆けて行く。
こういうとき、フローラの存在は非常にありがたい。
レッド一人では怖がらせてしまうか、不審者扱いされるのが関の山だ。
やがて、足音が戻ってきた。
先ほどと同じく、軽い足音ではある、が、そのペースは先ほどの少年のそれとは違い、とても落ち着いている。
ゆっくりと近づいてきたそれが止み、一度は閉じた扉が開いた、その向こうから現れたのは、
「こんな天気の中大変でしたね。あまり綺麗なところではないですけど、どうぞ」
およそ保護者とは思えぬ、まだ声変わりもしていないような少年であった。

  +  +  +

「…どうぞ、暖まりますよ」
「どうも」
そう言って、家主と思しき少年の差し出したカップを受け取る。
細かいヒビが入っていて使い古されたものだとわかるが、綺麗に洗われており、不衛生な印象は全くない。
二人は今、暖炉の前に置かれた、もとは礼拝堂で使われていたのだろう長椅子に座っていた。
フローラと並んで、受け取ったスープを啜る。
素朴な味だが、美味い。
雨に濡れ、芯まで冷えた体に染み渡る。
レッドは濡れてしまったコートを脱いで、フローラはさすがに服を脱ぐわけにはいかず、旅道具の毛布に包まっている。
部屋の中は隅々まで掃除が行き届いており、外から見た建物の印象から比べると、かなり綺麗だと感じる。
来訪者である彼ら二人の目の前に座っている少年が、どうやらこの家を仕切っているようだ。
見た目の幼さとは裏腹に、落ち着いた物腰はまるで大人のそれである。
そして、先ほどから感じる好奇の視線――それは、一つではない。
怖がらせてはいけないと思い、あまりそちらに視線は向けていないが…
レッドとフローラ、二人を遠巻きに見つめているのは、大勢の幼い子供たち。
男の子も女の子も、みな一様に、珍しいものでも見るような雰囲気でこちらを窺っている。
「すみませんね、子供たちは、あまり外の人間に慣れていないものですから」
そう言って来たのは、目の前の少年。
先ほど、『ヨル』と名乗った彼は、どうやらこの教会だった建物で、孤児院を経営しているらしい。
大勢の子供たちは、彼と、彼の相方である人物が引き取り育てているようだ。
「いや、見ず知らずのオレたちに、あの反応は当然さ。気にしてない」
「それならよかった」
やはり、奇妙なほどに落ち着いた少年である。
年の頃ならフローラよりも下に見えるのに、纏う雰囲気はレッドよりも成熟しているかもしれない。
(…そりゃ、オレも歳相応とはいえない人格だけどよ…)
レッドはとある理由により、外見上は一切歳をとらない身体の持ち主である。
その身体が時を止めてから二十年以上の歳月を、彼は過ごしているのだ。
(その割にゃ、あんまり中身は成長してないかもな…)
などと、自嘲めいたことを思い浮かべていたとき、
「…あの、ひとつお訊きしてもよろしいですか?」
ふ、とヨルが口を開いた。
それ自体は、なんの変哲もない一言であったために、レッドはつい
「ああ、なんだ…じゃない、なんでしょう?」
と、二つ返事で答えてしまった。
少年の意図を深く推し量ることなく、その言葉が、どんな意味を持つのかも考えずに。

「今日ここを訪れたのは、その右手のことが理由でしょうか?」

ざわ、とレッドの全身が総毛立つ。
革の手袋に隠された、彼の右手。
それは、呪いにも似た、彼の罪の証。
紅い血色の鱗を持つ、竜の腕。
かつて彼が屠ってきた竜たちの血が染み込んだそれは、激烈な毒を内包したとても危険なもの。
だからこそ、それを隠すために手袋をしていたのだ。
そしてそれを、この家に来てから、彼は一度も外してはいない。
ならばなぜ、
(なぜ、コイツはこの腕に気付いた――!?)
レッドの中で、目の前の少年はもはや、気を許せる相手ではなくなっていた。
しかし当の少年・ヨルは、レッドの方を見てさえいない。
テーブルの上に視線を落としたまま、淡々と続ける。
「おや、その様子では、腕の事はたしかなようですね。でも、ここへ来たのは偶然、か…」
ぶつぶつと、自分の考えを確かめるかのようにつぶやいている。
「お前――何者なんだ!?」
レッドの言葉に、少年はひどく冷たい――それまでの様子からは想像もつかないほどの冷酷な視線で、答える。
「…――<魔女>さ」
ぞわり、とその気配が膨れ上がる。
喩えようのない、強烈なプレッシャー。
レッドがかつて戦ってきた、どの『竜』とも似ていないそれは、
(なんて、化物じみた気配…!こんな子供が、バカなッ…!)

「ハニー、あさごはんまだー…?」

ずいぶんと間延びした闖入者の言葉によって、あまりにもあっさりと霧散する。

「か、母さん…?」
「な…」
「え…?」
ヨル、レッド、そしてフローラ。
3人の視線が闖入者に集まり、そして彼らはみな一様に、驚愕の表情を浮かべていた。

それは、長身の女性だった。
まず目に飛び込んできたのは、その頭の上。
やる気なく垂れ下がった、フサフサとした毛に覆われたそれは、まさしく猫の耳。
クセの強い長い髪は腰ほどまで伸び、寝惚けた感の残る瞳。
そして、その全てが――灰色だった。
まるで「色彩」を抜き取られたような、不思議な色。
だが彼らの驚愕の理由は、そんなところにはなかった。
長い髪に隠されて、わかりにくいが――その女性は、一糸まとわぬ裸体で彼らの前に現れたのだった。

「し、シゥセ、服くらい着てから出てきなよ!あとハニーって呼ぶな!」
先程までのプレッシャーが信じられないほど、ヨルが外見相応の慌てた声を上げる。
状況が飲み込めていない様子のフローラは、口をぽかん、と開けたままで女性の白い肌を見つめるばかり。
レッドはレッドで、どうしても目のやり場に困ってしまい、まともにそちらを見ることもできない。
「えー、だって昨日服全部洗っちゃったし…干してた服もこの雨じゃ…ってあれ?お客さん?」
そこまで言って、彼女はようやくレッドとフローラに気付いたようだ。
「だから服着てって言ってるのに…!」
「別に私は気にしないけど」
「僕らみんなは気にするんだってば!」
ヨルの顔は怒りからか照れからか、いつの間にか真っ赤になっていた。
「でもハニー、うちには私の分しか、サイズの合う服なんてないよ?」
「それは、そうだけど…だったら毛布とかシーツとか…」
「ていうか、ハニーしか居ないと思ったからさぁ」
「それでも!あとハニーって呼ぶな!」
先程までの緊迫した空気はどこへやら、部屋の中は妙にけだるい、コミカルな雰囲気に包まれていた。
いつの間にかそばに寄って来ていたフローラが、こっそりとレッドに耳打ちをする。
「ね、ねえレッドさん?わたしたち、もしかしなくてもお邪魔なんじゃ…?」
「あ、ああ、ちょっと待て…」
我に返ったレッドは、自分の旅行鞄を探り出す。
そこから取り出したのは、自分用の着替えのワイシャツ。
綺麗に畳まれたそれを、未だ痴話喧嘩にも似た言い争いを続けるヨルと女の方に放り投げる。
突然飛んできたそれを、しかし女性は事も無げに受け止める。
「あら?これ…」
「せめてそれだけでも着ててくれ、目のやり場に困る…」
「くれんの?そりゃありがたい」
その答えを待つこともなく、女性はいそいそと、シャツを着始める。
「どうも、申し訳ありません…」
と、ヨルが言う。
その謝罪は果たして何についてのものなのか、それは定かではない。
だが、彼もようやく落ち着きを取り戻したようだ。
「いやなに、気にしないでくれ」
なんだか、妙に気疲れしてしまったレッドには、それしか返す言葉がなかった。
「みてみてハニー、似あうかな?」
その気疲れの原因でもある女性は、そんな彼らのようすなどお構いなしで新しい一張羅にはしゃいでいる。
「…『母さん』、悪いけど、ちょっと引っ込んでてくれる?」
そんな彼女を、ヨルが静かな、しかし怒気をはらんだ声で部屋から追い立てる。
「ちょっとハニー、押すなって。ごゆっくりー、誰だか知らない親切な人ー」
ヨルにぐいぐい、と背中を押される形で、女性は部屋を出て行ってしまった。

あとに残ったのは、なんとも言えない微妙な空気と、重苦しい沈黙。
ヨル、レッド、フローラ。
3人が3人、どこか遠くを見つめながら、茫然としている。
「あー…えーと、すみませんでした、お見苦しいところを…」
ヨルが深々と頭を下げた。
「シゥセ…『母さん』のこともですけど、その、さっきの『アレ』も…」
「あ、ああ、いや、いいんだ。腕の事を言われて、少し驚いただけだから…」
とは言いつつも、レッドは、先程ヨルが見せたあのプレッシャーを思い出すだけでも恐ろしかった。
一体、あれはなんだったのだろうか。
「商売柄、そういうモノには敏感になってしまっていて…でも、どうやら貴方達が僕らの敵でないことは確かなようですから」
「そっちもワケあり、ってことか…」
「ええ、まあ。ですが、僕の杞憂に過ぎなかったようです」
「正直、やり合うことにならなくて良かったと思うぜ…一体なんなのか気になるが、知るのも恐ろしいぜ」
「はは、その方が良いと思いますよ…お互いにとって、ね。それに…」
ヨルが気になるところで言葉を切る。
「それに?」
「僕なんかより、ずっと、怖いモノが居ますから。この家には」
「?」
その真意を問おうとした、その時。
レッドの目に、眩しい光が差して、彼は思わず目を細める。
その光は、窓から差したもの。
いつの間にか激しい雨は止み、太陽がその顔を雲間に覗かせていた。

「長居をしてすまなかったな、いろいろと世話になった」
「どうも、ありがとうございました」
すっかり服も乾き、支度を終えたレッドとフローラは、ヨルに別れを告げて旅立つことにした。
「大したお構いも出来なくてすみませんでした。もし機会があれば、またお立ち寄りください。『母さん』が貰った服のお礼もまだですし…」
「いや、あれなら気にするな。それこそ、世話になった礼だとでも思ってくれればいい」
「ありがとうございます」
「それじゃあ」
「お気をつけて」
短い別れの言葉を交わして、レッド達は孤児院を後にした。

「なんていうか、すごい人達、でしたね」
「ああ、まったくな」
道すがら、フローラが呟いた言葉に、レッドも頷く。
「なんて言うか、雨宿りをしに行ったのに、嵐に巻き込まれたみたいな…」
言い得て妙だと、レッドは思った。


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