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「ふはははは! 私に不可能なんかある訳ないじゃないのヴァカめー!」
 そういう騒々しくてどうしようもない声と共に、黒くて小さな嵐は彼の静寂をぶち破ったのであった。

 ――突然ですが、世界は滅びました。




 人と人が争い合ってつぶし合い、資源を貪り自然を凌辱し、しまいには互いの身を食い合って、世界はボロボロになった。人という種族は散り散りになって毒と呪いで塗れて壊れた大地にしがみつき、自らが汚し濁した水を啜り、自らが貪り尽くした食べ物をなおも奪い合い、世界をボロボロにした種族としてふさわしい程度には惨めに惨めに生きている、というのが現状である。
 そんな中で「魔王」と呼ばれる一個体は眠っていた。起きるのが面倒くさかったのだ。
 一個体にして「魔王」という一種族である、そういう存在であるところの彼は同族同士で食らいあう人の姿が浅ましく、到底見てもいられなかった。そういう訳で彼は眠ったのである。目が覚めてみたら世界にはロクなものが残っていなかったので、ああ、早いところ目を覚ましてこんな連中残らず滅ぼしておくべきだったと軽く後悔したが彼はそれきりそのことを考えるのをやめてしまった。やらなかったことを今悔いても現状は変わらない。それよりもっと建設的なことを考えるべきだと彼は思ったのである。
 ところがこの世界に建設的なことなんて何一つ残っていやしなかった。人はもう自分達で生み出したものに滅ぼされそうだし、世界の方は、まぁ神様にも許してもらえないくらい罪に塗れてしまった救いようのない人類どもが滅んで千年くらいすれば勝手にどうにかなるだろう。もしかするとそれくらいの時間がたてば自分の代わりの「魔王」もやっと生まれるかもしれないしそっちの魔王の方が仕事熱心かもしれない。うっかり世界がボロボロになるまで愚劣で低能な人間どもを見過ごす程度の自分よりよっぽど優秀な魔王が生まれるかもしれない。
 そういう訳で魔王様は、世界が滅んでも侵されることのない静かな、しかし誰も他に存在しない静かすぎる「王座」でひとつ欠伸をして再度眠ることにしたのである。が。

 黒い台風が飛び込んできたのは、そんな折であった。




「よっしゃ見つけた魔王だ! 捕獲捕獲ッ! ふはは探したぞ魔王、本気で隠れたら人間には絶対感知不可能とか『神様』に言われてさすがの私も諦めかけたけどさすが人類の規格外に天才な私、どうにかなるものね! ていうか『王座』って何だこれ全体的にどうなってんのよ理解できない事実を認めたくない程度には超高度な結界じゃないのあんた何したらこんなものに囲まれて寝てられ……おいこら侵入者様が来てやったのよ魔王、寝てないで起きなさいよ不愉快だ起きろ!」

 うるさかった。一言で表現すると大変にうるさかった。魔王は面倒くさいのでじろりと彼女を睨むにとどめた。魔王に睨まれるだけで大抵の人間は勝手に呪われて死ぬのだ。が、目の前の彼女――そう、それは女性の姿をしていた――は腕組みしてピカピカの白衣をなびかせて胸を張っていた。女性らしいラインがはっきりとした、豊かな胸が腕組みで押し上げられている。その上で、黒い肌に黒い髪で瞳だけが鮮やかに緑色をした女性はこちらを指差し――指差すという動作もまた呪術である――、堂々と言った。

「あんたの寝てる間に人類はあんたに睨まれた程度じゃ死なない程度の技術力を身に着けたのよ観念することね魔王! ちょっと私の願いを聞き入れてくれやがりなさい、聞かないならこのまま死ね! ああ死なないわねあなた魔王だもの次代の魔王とやらが生まれないと死ねないんだっけ難儀な生き物ねこのクソッタレ、『神様』が『ちょっとは仕事しろって言っておいてくれ』ってボヤいてたけど洒落にならないレベルで仕事してないわよねあなた、さっさと人類滅ぼしに来ないから人類勝手に滅びそうになってるじゃない!」

 無茶苦茶な理屈である、と魔王は思いながら欠伸をした。まだ眠たくて目がしょぼしょぼする。大体人類が滅びそうになっているのは自業自得だ。それに自分が介入していたら「魔王」という「共通の悪役」を得た人類はここぞとばかりに一致団結して戦おうとしてお互いの利害を睨み合ってぐだぐだになったりして滅びが遅れてしまっていたかもしれない。うん、自分が介入しなかったのはむしろ、人の滅びを促進したのだ。正しい。
 そう確認した魔王は再び眠ろうと「王座」で丸くなったが、

「だっしゃらー!!!」

 ――白衣を着た黒い女に蹴り飛ばされた。

「仕事を! あんたが仕事しなかったせいで世界がめちゃくちゃになった一件に関して仕事しろって『神様』から言伝預かってきてんのよこっちは! ていうか『神様』ってちょっとエラそう過ぎないかしら、この私をメッセンジャー代わりに使うってどんだけ人材の無駄遣いしてんのよこちとら学者だっての。まぁちょっとあれこれ資料も貴重なサンプルも提供してもらったから等価交換だけど!」

 うるさい女である。しかも「学者」と名乗っていた。確か人類が滅びに向かっていく端緒を作ったのもそんな名前の連中であった、と、魔王は蹴られた頭を撫でつつ思い起こす。あと「商人」とか「軍人」とか「民衆」とか「政治家」とか。まぁ大体子供以外の全人類だが。
 いやまて、「にーと」とか言った連中は珍しくも無害な連中であったなぁ。などと魔王は思い起こして遠い目をする。
 喚いて人を煽り立てるしか能のない、実に世界にとって影響のない、人類としては大変珍しくも世界に対してそれなりに無害な連中であった。人類にとっては有害だったかもしれないが。

「ちょっと人の話聞いてるの? 聞きなさいよ。聞いてるわよね聞いてると勝手に仮定して話を進めるわよこのド天才の私の話を聞かないなんてあんたこの一瞬一瞬の損失額が天文学的な数字になるとあとで悟って後悔にくれるといいわド低能魔王!」

 低能なのは事実なので魔王は聞いていないふりをした。実際にはうるさいのでいやでも耳に入ったし、「神様」の伝言なら聞かねばならないんだろうなぁというのも察しがついていたのでうんざりしていた。神様というのは、あれもあれで魔王によく似た存在ではあるが、魔王よりも格上でおまけに大体魔王に面倒を任せたがる困った奴なのである。

「聞くわね聞いてるわねいいわよ聞いてないとしても知ったことじゃないわ。じゃあ言うわよ。あんた今すぐ世界を滅ぼしなさい。今すぐ! 可及的速やかに即座に!」
「無理」

 魔王は即座に答えて今度こそ寝る態勢に入った。いかに長年の付き合いのある「神様」の言であろうともそれは聞けない、というか、「無理」である。「神様」だってそれくらい分かっているだろうに、と思って魔王は眉をしかめた。こんな無理難題を言い出すなんて、もしかして最近眠りすぎて「神様」からの連絡に無視を決め込んでたことで怒ってるんだろうか。後で詫びを入れなければ。
 等と思っていたら、目の前のうるさい女はぽかんと口を開けていた。魔王が首を傾げると、彼女は首をふるふると振って――尻尾みたいに一つ縛りにした長い黒髪が動きに合わせて揺れた――我に返ったように、

「あんた喋れたの?」

 いや。そりゃ喋れる。人類のできることなら魔王である彼に出来ないわけがない。そう思って彼は怪訝な目をして眼前の女を見下ろした。俺を誰だと思ってここへ来たんだろうか、彼女は。

「いやー、全然喋る気配がないから喋らないとか喋れないとかそういうキャラ立てなのかなとか魔王ってくらいだから『神様』からそれくらいの機能制限つけられてんのかなとか色々勘繰っちゃったけど何だふっつーに喋れるのね、喋れる癖に喋らないだけか、ってどんだけ寡黙なのよあんた」

 面倒くさいのでその問いかけを魔王は無視した。

「それでさっきの件なんだけど」
「無理だ」
「あ、そこは即答してくれるのね安心したわ。大丈夫よ、その無理難題を押し通すのが人類のクソッタレな可能性なんだから安心しなさい。世界を滅ぼす兵器なら私が作っておいたわ」

 さしもの魔王もこの言葉には思わずリアクションをせざるを得なかった。何を言ってるんだこいつは。

「いやーだからさー人類同士で戦争して攻撃力の高い兵器を作りまくってたらうっかり世界滅ぼせるシロモノの設計図作っちゃってさぁ。私のいた軍の連中は世界を滅ぼすなんてとんでもないとか寝言ほざきだしやがってね、何のためにお前ら戦争やってたんだよって私思わず言っちゃったわよ馬鹿じゃないのあいつら、どう考えても何もかも破滅させるために戦争してたんじゃないの。他にどんな理由があって同族同士で殺し合うってのよ? 可笑しいわよねぇ。って言ったら『神様』がマジで爆笑してたからムカついて思わず世界滅亡スイッチ押しちゃうところだったわ」

 そんなノリで世界滅ぼされても困るが、眼前の彼女は真顔であった。本気らしい。滅亡の末期になると生存本能をフル稼働させるからか、稀に種族内からとんでもない個体が出現することがあることは魔王である彼はよく知っていた。彼女は「その個体」なのかもしれない。
 「神様」辺りは洒落と黒々としたユーモア感覚でもってそれを「勇者」とか呼んでいた。その個体が出現した時点でその種族の滅びは決定的なので、大変悪趣味なネーミングである。

「って言ってもこの『世界滅亡スイッチ』ってばまだ完全じゃないのよ分かるでしょ? 世界を一個まるまる『無』に還すってんだからさ、相応の素材が必要なのよ。そんで私の見立てだと、あんたが素材としては最適なのよ、この世界の魔王。この世界の生きとし生けるものをとりあえず何となくで滅ぼす困った生き物であるあんたが、必要なの」

 彼女はにこりと笑った。緑の目が細められる。白衣の袖が太陽の陰って久しい昏い世界に眩しく広げられる。

「――世界を滅ぼすために、あんたが必要なの!」





 最初は「神様」を素材に採用する予定だったのだと彼女はあっけらかんと言う。「だってそーでしょ? 世界を創った神様が、世界を滅ぼすには一番の適格だもの」と言われて納得しそうだった自分が怖い、と魔王は思う。出会って数時間で彼女と言うとんでもない一個体に慣れてきてしまっているようだ。
 そんな訳で、「魔王」は「世界を滅亡させる兵器」の素材となり、少し眠って目を覚ます頃にはその気になれば世界を滅ぼせる、という「機能」を手に入れたわけだが、

「あ、でもちょっと頼みがあるのよ」

 世界を滅ぼす前に、と彼女が言うもので、魔王は眠たい目をこすりながら彼女に向き直った。人類種の女性の平均がどんなものかは知らないが、彼女はなかなかに背が高く、それでも魔王よりは頭一個分くらい小さい。見下ろした先では、彼女がこちらを挑むように真っ直ぐに見つめ返していて、もうこの世界ではロクに見られなくなってしまった「若葉」と言う奴によく似た色の鮮やかな瞳に、魔王は少ししんみりとしたものを感じていた。この世界で再び「若葉の緑色」が見られるようになるのはどれくらい先になるやら、と考えかけて、ああ、そういえばこの世界はもうすぐ滅ぼすから、二度と見られないなぁ、とかそんなことを考えている。考えている横で、黒い肌に黒い髪の女は白衣の腕をまた胸の下辺りで組んだ。本人は意識していないのだろうが、そうすると豊満な胸が押し上げられて、白衣の下、おざなりに着ているシャツの隙間から見事な谷間が見えている。魔王は一種族で一個体という存在であるため雌雄の別がないが、「人」の「男性」とかなり近い存在ではあるので、「こういうのも見納めだなぁ」とかそんなことを思っていたのだが、

「――世界滅ぼすの少し待ってくれる?」

 とか言い出されてはたと我に返った。無言で首を傾げれば質問の意図は伝わったらしく、彼女が弓型の眉を片方だけぴくりと上げる。

「私が作った兵器なのよそれ。だけど世界が滅んじゃったら結果が確認できないでしょ、私は学者だから自分の作ったモンの成果が確認できないってのはちょっと納得いかないのよそれでなくても出力大きな兵器だから近場に居る私確実に消し飛ぶし。まぁ私、ちょっとうっかり軍に居る頃に自分を改造して髪の毛一本とか灰とかになっても蘇生できるようになってるからそれは構わないんだけどね?」

 さすが人類である。ロクでもないことしかしていない。

「でも『世界が滅亡する』と、そんな私でも蘇生できなくなるから困るの。私は死ぬなら私の作ったものが確かに『世界を滅ぼせる』ってことを確認したい」

 それはまるで、自分だけが滅亡を逃れたい、と言っているようであったが、

「…いや、私は別に滅亡は免れたくないのよ人類だし人類ロクでもなかったでしょ実際。さっさと滅んだ方が世界のためだと思うしだから死にたいけどうっかり死ねないのよ私困ったことに。ぶっちゃけるとその兵器、私が自殺用に作ったものを応用発展させたものなのよねまさかこんなものが出来るなんて私自分で自分の才能が怖いわ天才って困るわよね」

 同意を求められても困る。

「あと『神様』からも伝言があってさ、『兵器に頼って無精をしないでさっさと人類を殲滅するように。人類が滅べばとりあえずその世界はまだ使い道があると思うけどまぁ滅ぼしてもどっちでもいいや』って神様割と本格的にやる気ないわよね!」

 それは事実だったので彼は頷いておいた。「神様」とは長い付き合いだが、飽きた!とか言い出して種族まるごと滅ぼしてみたり使えない!とか言って世界をゴミみたいに捨てたり基本的にやる気がない。まぁ「神様」を雛型として作られている「魔王」の自分からして面倒くさがりだからもしかするとこれは抗えない業と言うものかもしれない、と魔王は神妙なことを背伸びしながら考えていた。長いこと「王座」に丸くなっていたせいで体がすっかり鈍ってしまっているようだ。世界滅亡まで猶予があるというのなら、少し人類を滅ぼす仕事の続きをやってもいいかもしれない。目覚めの運動代わりに。

「そういう訳だから少し猶予を頂戴な。あんたは少しは真面目に仕事してるアピールを『神様』にして、その間に私はその『兵器』が完全に動作することを確かめる方法を何とか編み出してみるから」

 魔王は頷いた。世界を滅ぼすのは明日でもいいだろう。明日できることなら明日やって、今日は他の楽しいことをしよう、と彼は「王座」の周りを見渡した。様変わりした世界にロクなものは残っていないが、だからこそ、こんな世界にした人類に適当に罰を与えて回るのも悪くはないかもしれない。
 腕組みを解いた学者の女は、頷いた彼に向けて歯を見せて笑った。八重歯がちらりと見えて、それが肉食の獣が威嚇しているようにも見えて、魔王は何だか可笑しくなった。少し笑って、彼は「王座」から一歩外へと踏み出す。白衣の女は白衣のポケットに手を突っ込んで、その後をとことこついてきた。振り返って首を傾げると、むっとしたように三日月形の眉を上げる。

「あのね魔王、あんたは魔王だけど今や私の兵器でもあるのよ、一緒に行動するのがスジってもんでしょ違う? 私何かおかしなこと言ってる? 何で笑う訳どこにも笑う要素ないわよむしろシリアスよシリアスって三回唱えて神妙な顔して私を連れていくといいわ!」

 言っていることは無茶苦茶だし彼女の発言は全体的に狂っていておかしいと魔王は思ったが、人類なのでこんなものだろう、と思い直して、それではとまた歩き出した。その気になれば魔王はどこにでも好きな場所へ一瞬で移動することができるので徒歩なんてナンセンスな移動方法は採用しないのだが、少なくとも歩いていればこの女は勝手にその二本の足でついてくるだろうと、それくらいは想像が出来たからだった。案の定足音は後ろからついてきたので、魔王は「王座」を今度こそ完全に解除して、外の世界へと歩み出る。



 ――緑とピンクと黄色の雲が太陽を陰らせ刺激臭のする雨が大地を溶かし、異様な色に変色した植物が何かの残骸を覆い尽くしている。見渡す限り、やはりそこにロクなものなんて何一つ無い。
 それでも明日には滅ぼせると思うと、魔王は愉快な気分になった。ふふ、と声を漏らして笑うと後ろからついてきていた白衣の女が怪訝そうな目でこちらを見る。彼女の方が余程怪訝で剣呑な存在なのだが。

「何よ、なにがおかしいのよ、こんなロクでもないのが何か楽しいの?」

 魔王は――

 面倒くさいので答えずに、そのまま歩き出した。世界を滅ぼす前に、少しくらい真面目に人類殲滅の仕事をしなければ、とも思ったのであった。


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