Princess Brave!
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黒髪(ブルネット)の少女は、険しい眼で村を見下ろしている。幸いこの辺りは肥沃な大地と暖かな気候に恵まれているため、今年も小麦の出来は良さそうだ。問題は――ところどころ畑に喰い荒されたような踏み荒らされたような、生々しい傷跡があることだった。全体で見れば一部ではあるが、それでも荒らされた畑の収穫は今年は望めまい。畑の持ち主たちの生活を考えればちくりと胸が痛む。
「――どうだリサ」
がさがさと茂みをかきわけ現れた人物が、背後から彼女に声をかけた。リサ、と呼ばれた少女は恭しくその場で頭を下げると、報告を始める。
「――若様の推測通りです。…この村は…」
彼女は女性にしては低い、少し艶めいてさえ聞こえるハスキーな声で、
「――恐らく件の魔族の、実験場にされています。魔物騒ぎはそのためでしょう。遣いの報告が潰されたのは、口封じ――いえ、王都からの干渉を防ぐためかと」
顔を上げた黒髪の少女の、その左の深緑色の瞳には、金の鱗粉のような、美しい光が散る。
「そうか。では――やはり母上は利用されたと。そういうことだな。…やれやれ、俺が腰を上げる必要がありそうだ」
「若様、昨日王都よりお戻りになられたばかりですのに、無理をなさらずとも」
「だがリサは心配だろう?」
主の言葉にリサは唇をかみしめる。びゅうと風が吹いて、癖だらけの彼女の黒髪がさわさわと揺れた。長い髪が顔にかかって一瞬その瞳を隠す。
「あの村には…妹が、居ります故」
「なら挨拶にも向かわんとならぬな。お前を嫁に貰うのだから」
「……若様。お戯れが過ぎます」
「いや俺は本気なんだが」
しばしの沈黙を風の音が埋める。黒髪のリサは眉根を寄せて、ぷいとそっぽを向いた。もじもじとその手が長いスカートの裾を弄る。黒いスカートに白いエプロン。丘の上で草の上に座るにはとても不似合いなその姿を、第三者が見たらこう思うだろう。何でこんな田舎のこんな場所に、メイドさんが居るんだ。
「どうせわたくし以外のメイドにも同じ事を仰ってるんでしょう」
そのメイドさんは、恥ずかしそうに頬を染めて拗ねたみたいにそんなことを言った。
「言わんぞそんなこと。愛してるとか可愛いねとか綺麗だねとか好きだよとは言うが結婚してくれとはついぞ言った覚えがない」
「ほら、誰にでもそうやって甘い事を仰るんですから」
「妬くな妬くな」
「妬いてません。呆れているのです」
いよいよ拗ねたように口を尖らせるメイドさん。若様と呼ばれた青年はそれをにこにこというよりニヤニヤと眺めながら、彼女の髪に手を差し入れる。癖だらけで鳥の巣みたいな黒髪を、綺麗だなんて言う人を、リサはこの青年以外に知らない。ぐしゃりと髪の毛を乱して、彼はリサの、右は深緑、左に僅かに金色の散る瞳を覗き込んだ。
「――俺が信じられんか、リサ」
「殿方は浮気性ですもの」
彼女はむっつりそう言って、するりと自分を抱きしめようとする腕から抜け出した。華麗に長いスカートを翻し、裾を摘まんでふわりと一礼。
「若様、お戯れの時間はおしまいでございます。――わたくしめの出番のようですので、行って参りますわね」
「おう、リサ、存分に暴れて来い――」
彼女の主は空いた右手を握ったり開いたりしながらも、リサの顔を見てにやりと、彼女の好きな笑みを浮かべた。実に貴族らしからぬ獰猛な笑みだ。
「ところで俺は『仕事』をしている時のお前が一番美しいと思うんだが、そのことをお前に言ったかな」
「今日一日では、初めて言われましたわ、若様」
突然ですが僕たちはその頃襲われていました。
村までもう少し、という距離まで来たところで、街道の脇からぞろぞろと何だか白い影が湧いて出たのである。少し前に行商の人たちと別れて、僕たちは末姫様、僕、ウィズという二人と一匹だけになっていたから、末姫様が緊張したのも無理はない。
「な、なに…?」
ぎゅうとハンマーの柄を握って末姫様が誰何の声を上げる間もない。ウィズが素早く、末姫様の襟首を掴んで後方へ放ったのと、さっきまで末姫様の居た場所にぶすぶすぶす、っと矢が刺さるのが同時だった。――あの場所に突っ立っていたらあの矢が全て末姫様に当たっていたに違いない。
「――スケルトン?」
ウィズが小さく訝しげに口にしたのは、魔物の名前だ。はたしてその通り、街道脇の森の薄暗い影から次々と湧いて出て来たのは、実に有名な魔物たちだった。人間の白骨が勝手に動いてるみたいに見える。かしゃかしゃと軽い音がするのは骨がぶつかりあっている音だろう。
手に手に、錆びのある剣や弓矢を構えたスケルトンの数は10体といったところか。
「…魔物ってのはコイツらか」
「あら、じゃあここで退治しちゃえば問題解決…ねっ!!」
気合い一閃。
後方に投げられていたはずの末姫様が猫のように全身のバネを使って一息に一体のスケルトンの間合いへ飛び込む。スケルトンの方が武器を構える暇も与えずそのまま末姫様は構えたウォーハンマーを振り抜いた。矢張り軽い音をたててスケルトンはバラバラに砕け散り――そして、砕け散ってすぐにかしゃかしゃと軽い音を立てて元の姿に戻る。
「…おいそこの世間知らず。言っておくがスケルトンは物理攻撃で壊すのは難しいぞ」
ウィズが何やら指先で髪の毛をぐるぐるいじりながらそんな呑気なことを言うのと、末姫様がスケルトンの弓矢に追われてその場を飛びずさるのが同時。襲いかかってくる錆びついた剣をウォーハンマーの柄でいなし、背後から迫ってきた一体を蹴りあげて距離を取って、末姫様が叫んだ。
「先に言いなさいよ!」
「悪い悪い。知ってるもんだとばかり」
「うるさいわねあたし魔物と戦うのなんて初めてなのよ!!」
初めてにしては大変思いきりがよろしいことである。
「じゃあどうやって、倒すの、よっ!?」
ウィズは言葉は返さず行動で答えを返した。髪の毛を抜いてふ、と息を吹きかける。途端、ざっ、と鋭く風が吹いた。吹き荒れた風に揉まれてスケルトンはバラバラに切断される。風使いの魔法使いさんがよくやるみたいなカマイタチ、だろう。それも末姫様をピンポイントで外して、その場の10体のスケルトン全部を綺麗に砕くなんて、風使いの人でも出来るかどうか。すごい力量だ。
「…こんなもんだな。魔法使えば再生はできないらしい。出来りゃあ、後は神性精霊使い――ええとつまり聖職者だな。お祈りのひとつもしてもらえば…」
だが。
ウィズの言葉を余所に、スケルトン達はがしゃがしゃと骨を鳴らしながら再生を始めたではないか。
末姫様が少し胡乱な眼をしてウィズを睨み、ウィズが気まずそうに眼を逸らす。叩いても駄目、魔法も駄目、ときたらまぁやるべきことはひとつだ。
「――よし、逃げるぞ」
「もうっ、何なのよ全然だめじゃないのこの役立たず魔法使いー!!」
「うるせぇあんなスケルトンが居てたまるか!!普通魔法ぶちこんだらスケルトンってのは消滅すんだよ!!」
ぎゃあぎゃあと喚きながら駆けだす二人。僕も慌ててあとをついて走る。スケルトン達はすっかり僕らを敵とみなしたようで、しつこく後を追いかけてきた。かしゃかしゃと煩く骨を鳴らしている。
ふと悪寒を感じて僕が背後を見ると、スケルトンの数が増えていた。ざっと数えて30体くらい…?
きゅう、と声を上げた僕に気付いたのか、背後をちらと見やって末姫様がひぃ、と小さな悲鳴を上げた。
「増えてるんだけどちょっとどーなってんのよっ!?」
「俺に訊くな!!あんなスケルトン…スケルトン…?」
ふ、とウィズが走りながら何やら考え込む顔になったが、とりあえずそれはそれ。今は逃げるのが最優先。街道を走っていた僕たちだけど、途中で不意に末姫様が顔色を変えた。
「ちょっと待ってこのまま逃げたら村に着いちゃうんじゃないかしら」
「……だな。このままってのはちっとまずいか…」
そもそも村の魔物騒ぎを解決するために来たって言うのに、肝心の村にスケルトン達を連れ込む訳にはいかない。どうしよう、と顔を見合わせた二人に向けて、助けの手が伸びたのはこの時だった。
「伏せて下さいませ、旅の方!」
凛としたよく通る、しかしどこか色っぽい声。ざっと木々を鳴らして枝の上から地面に誰かが飛び降りてきた。咄嗟に頭を伏せた末姫様とウィズの頭上を何か細い――きらきら光るものが飛んで行き、スケルトン達が再びバラバラに砕け散る。やたら鋭い切断面を見せて砕けた骨は矢張り再び再構築されようとするが、飛び降りてきた謎の人物がぐいと腕を引くと、その動きが一瞬止まった。何かに引っ張られるように。
そのギリギリの均衡の中、飛び降りてきたその人――何故かこんな場所で見るにはあまりにも不似合い極まりない、メイドさんの姿をした黒髪(ブルネット)の女性は、鋭く告げた。藪の奥に向かって。
「そこに居るのは分かっています。出て来なさい。ティンダーリースに、ギレム公爵家にあだなす不埒者っ!」
「……どちらがティンダーリースにあだなす者だか」
その勧告に。
まるで従うように、ぞろりと茂みが動いた。がさがさと茂みを揺らす何かは――大きい。途方もなく大きい。
やがてぬっと街道に姿を現したのは、巨大な狼だった。馬ほどの大きさのある、大人をゆうに呑み込めてしまいそうな巨大な体と、群青色の毛並み――ただの狼のはずがない。
末姫様も圧倒されていたが、ウィズが一番驚いていたようだ。彼は金の目を瞠り、
「あ…悪魔…!?」
そう呟いたのだ。
「おや。一目でコイツの正体を見抜くとは、キミ、ただの魔族じゃあないね」
くすくすという笑いは、その狼の上から響いていた。見上げると、そこに黒いフードを目深にかぶった誰かが座っている。傍には森の木立で薄く暗がりになっているこの場所でさえキラキラ輝く小さな小鳥の姿。あれもまた尋常の存在ではないだろう。
「そっちの黒髪(ブルネット)さんは、もしかして、公爵家のワンちゃんかな?小国の貴族とは言えさすがに公爵だ、いい犬を飼っていること」
くくく、と小馬鹿にするように笑うフードの人物。目を眇める黒髪のメイドさん。緊張したその二人に取り残された末姫様含めた僕らはぽかんとそのやり取りを見守っていたが、やがてはたと末姫様が気付いたらしい。びしりと狼の上の人物を指差す。
「ティンダーリースの魔物騒ぎって、あなたのせいで起きてるの!?」
「……旅の方。早く村の方なりどこへなりと行って下さいませんか、わたくし仕事ができません」
「君には関係ないと思うんだけどなぁ小さいお嬢さん」
二人に同時に言われて末姫様は、それでもそれくらいで引き下がる様な可愛い性格はしていない。一歩前に出てウォーハンマーをぎゅっと握り、啖呵を切った。
「いいから答えろっつってんのよネクラ野郎!」
「――へぇ。いい性格してる。キミ何者?」
末姫様は――
少し言葉に迷ってから、ふぅと小さく息をついた。ばさりと青金(ラピスブロンド)の髪をかきあげ、堂々と胸を張る。
「あたしはフィーナ・フィーディス。この国の七の姫よ。文句があるならかかってらっしゃい」
「……」
「………」
ウィズがあちゃー、と頭を抱え、メイドさんは呆気にとられたように、狼の上のフードの人物は何を考えているのかよく分からないが、とにかく沈黙する。
結局、数秒間にわたる最初にその沈黙を破ったのは、茂みから顔を出した新たな人物だった。
「おいソイツの言ってることは恐ろしいことに本当だぞ、リサ」
「若様!いけませんこんな危ない場所に顔を出されては…」
「相変わらず見事な暴れぶりだな七の姫、惚れ惚れするほど可愛らしい!」
「何をぬかしておられるんですかこの浮気者ぉぉぉ!!!」
メイドさんはいきなり現れていきなり末姫様を褒め千切り出した人物を、いきなり右アッパーで吹っ飛ばした。
ぐるぐる派手に吹っ飛びながら親指をぐっと立てる謎の人物。
「それでこそリサだ…、今日も美しい…!」
「えー。ごめんついていけない、何この展開…」
狼の上のフードの人がうんざりしたみたいな声を出していた。出しつつもちゃっかりその隙に遠ざかって行く。スケルトンも一緒に消えて行ったが、逃げる彼を誰も止めなかった。
だって目の前の光景があんまりにもインパクト強かったもんだから。
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