ブランチ、と国王陛下が呼んだ食事は、半熟とろとろのオムレツに色鮮やかなサラダ、焼きたての香りが鼻をくすぐるパンには、末姫様の大好きな甘いハチミツとバターが添えられている。王城直轄の畑で採れるハーブを使ったソーセージが湯気を立てていて、末姫様がごくりと咽喉を鳴らしたのが僕には見えた。
 それから最後に、小皿に盛られたヨーグルト。
 三人の侍女がそれを卓上に並べて、それから末姫様のペットである僕にも、温かいミルクと燻製肉の端っこが差し出された。僕だって空腹だ。お皿を並べてくれた侍女の人に、お礼のつもりでキュウ、と鳴き声をあげた。
「お礼を言ってるわ、ありがとうって」
 末姫様の「通訳」に、侍女さんは硬い表情のままで一礼した。
「恐縮ですわ、姫様」
 お礼を言ったのは末姫様じゃなくて僕なんだけど。
 どうも僕は、このお城の侍女さん達の一部には未だに怖がられたり、気味悪がられているらしい。確かに、元を辿れば僕はこの国の生き物じゃない。出身地はこの湖沼の国ではなく、遠く砂漠の王国だ。見た目は丸いけど、大きくなればきっと、牙も鋭くなるんだろう。侍女の人達の恐れ方を、だから僕は気にしないことにしていた。末姫様はそのたびに、「お前はこんなにいい子なのにね」と憤慨するけれど。憤慨してくれることが嬉しいから、だから僕は、何も言わない。
「今日の恵に感謝を致します、ガイディス・グラジス、大地の豊穣の竜よ」
 手を組んで、末姫様が口早に祈りの文句を口にする。国王陛下も目を伏せて、祈りの文句を口に乗せた。こちらはゆっくりと、重々しい調子で。
「今日の恵に感謝を、ガイディス・グラジス、大地の豊穣の竜よ」
「いただきまっす!」
 元気良く、末姫様がフォークを掴んだ。
 周囲には給仕をする為の侍女が立っているので、陛下も末姫様も、先程のように砕けた、そして親密な会話はなさらない。結婚相手のことや昨夜のパーティでのこと、末姫様が一言でも何か漏らせば、それをすぐにでも国中に広めようと、侍女だけじゃなく、貴族達まで躍起になっているからだ。
 それを警戒しているというよりも、お二人とも、噂されるのがあまりお好きではないのだった。その辺り、確かに陛下も末姫様も、よく似ていらっしゃる。
「お父様、それで、今度一緒にヒルベルの丘まで遠乗りに連れて行ってくださるってお話、どうなったのかしら」
「ああ、うーん…そのうちな、そのうち」
 曖昧に言葉を濁す陛下に、末姫様がソーセージを切り分けながら口を尖らせる。
「また『そのうち』ですのね、お父様ってばっ。わたくし、ずーっと楽しみにしていましたのに、延期されっぱなしじゃありませんか」
「悪かったよ、フィーナや。機嫌を直してくれんか?」
「…シスター・メイフィーの授業も最近厳しくて、遠乗りのチャンスなんてそうそう無いのですよ、わたくし」
「知っているよ。…しかし何だなぁ、お前は、性格はまるでリトゥリーには似ていないのに、そのお転婆ぶりはそっくりだな」
 リトゥリー、と言うのはこの国の一番上の姫様だ。末姫様にとってお姉様にあたる。
 王位継承権は第一位。その重責を自覚し、誇りに思っている女性で、更には女性ながら、王国のどんな勇敢な騎士にも劣らぬ剣技の持ち主だ。王国では珍しい女性の騎士として、今は近衛騎士団に所属しておられる。
 将来的にはきっと立派な女王におなりあそばせることだろう。
 ちなみに、リトゥリー姫の夫にあたる方は、彼女とは全く正反対の、いわゆる「なりあがり」の若者だ。僕はあまり顔を合わせたことがないけれど、末姫様いわく「なかなかの食わせ物」らしい。…どうでもいいけどどこで覚えたんだろう、そんな言葉。
「まぁ。お姉様が聞いたら、頭から湯気を出してお怒りになられるわね、きっと」
 くすくす、末姫様が笑った。
「お姉様ってば、二言目には『王族としての自覚と誇りを』ってそればっかりなんですもの」
 そう。王家の姫としての自分をとってもとっても誇りに思うリトゥリー様にとって、下町にこっそり遊びに出かけてしまったり、礼儀作法の授業をサボって乗馬や剣術に精を出す末姫様は、どうもそりの合わない相手らしい。ことあるごとにお説教をされるので、末姫様はリトゥリー様を苦手になさっていた。
 でも、第三者の僕から見ていると――女だてらに騎士を勤めるリトゥリー様と、身体を動かすのが大好きな末姫様は、どこか似ている気がするのだけども。
「リトゥリーはリトゥリーなりに、お前が心配なのだよ」
 陛下もその辺りのお二人の気持ちは何となくお察しなのだろう。そんな風に末姫様の言葉を嗜め、優しく微笑む。
「あの、陛下」
 お二人の優しい語らいに少々遠慮をしたのか、咳払いなんてしつつ、食卓の会話を遮ったのは侍女の一人だった。年若い女性で、王族の食卓で給仕を許されているくらいだから、多分、それなりにしっかりした身分の人なのだろう。
 青い瞳が遠慮がちに、陛下を見つめる。
「…そろそろ、大臣が執務室にいらっしゃるお時間ですよ。」
「おや」
 もうそんな時間だったか、と陛下はぼやいた。どうやら、末姫様とお話をなさるためだけに執務室から抜け出して来られたらしい。――陛下は時々、末姫様が下町へ遊びに出掛けるのを、「誰に似たのだろうな」とぼやいておられるが、こういう状況を目の当たりにすると僕はしみじみ、「末姫様と陛下はそっくりでいらっしゃる」と思わざるを得ない。
「残念だ。もう少しお前と話をしたかったんだが…」
 口元をナプキンで拭いながら、陛下が席を立つ。末姫様も慌てて一緒に立ち上がると、口元を拭い、更にちらと何かを気にして、グラスの冷たい水を口に含んだ。
「お父様、また遠乗りに行きましょうね。…わたくし、キツネ狩りにも行って見たいわ。リトゥリーお姉様は行ったことがあるのでしょ?」
「…参ったな、お前ときたら本当にお転婆だね。誰に似たのだろう」
 末姫様の言葉に苦笑しつつ、陛下が僅かに身を屈める。
 末姫様は背伸びして、陛下の頬にキスを、した。

 僕はその瞬間、全身の羽毛が逆立つ感覚にゾッとして、思わず鋭い悲鳴をあげてしまった。
 キィ、と叫んだ僕にぎょっとしたように末姫様が硬直する。侍女の皆も何事かとこちらへ視線をやり、そして――中の一人が、叫んだ。甲高い声。
「陛下!」
 末姫様は多分、何が起きたのか理解できていなかったのだと思う。僕にだって分らなかった。
 僕の目にはっきり見えたのは、末姫様のキスの直後に床に倒れた陛下の姿。
 そして、僕の目の前に投げ出された陛下の腕が、異様な色に変化していくその様子だった。

「陛下!誰か、医師を…!」
「何てこと…陛下、しっかりなさって下さい!」
 駆け寄ってきた侍女が陛下の腕を取る。そうして、年若いその女性は、それでなくとも蒼白の顔色を更に悪くした。
「酷い。これは…陛下の身体が…!」
「ッ!」
 そこで、末姫様が我に返った。姫様は僕を強く抱き締めたまま、陛下に駆け寄り膝を突く。それで僕にも、陛下のご様子がよく見えた。
 ――それは、一言で言ってしまえば異様だった。陛下の身体が、指先や髪の毛、それに顔が、全て、硬直し、岩のように変化してしまっている。
「お、とうさま…?」
 末姫様が陛下に伸ばした指先を、だが、傍らに居た侍女が手ひどく振り払った。ぱしん、と叩かれて、末姫様がぎょっとしたような顔をする。視線の先に居た侍女の人は、顔色を険しくして末姫様を睨んでいた。
 奇しくもちょうどその瞬間は、誰かに呼ばれたのだろうお抱え医師の先生と、それから末姫様の三番目の姉姫様であるメイ様、それに一の姫のリトゥリー様とが駆けつけたところだった。

「あなたの…あなたの仕業ですね、フィーナ様!」

 その非難の言葉に、末姫様は唖然としたようだった。何を言われたのか分らない、と言った風な顔で目の前で陛下の腕をとる侍女の顔を見返す。反論する言葉さえ思い浮かばないようだ。
「食事に毒など入っていないことは我々が確認していますわ!陛下に何か危害を及ぼすことが出来るとしたら、あなたしかいらっしゃらないでしょう!」
「あ、あたしは…」
 余程動揺していたのだろう、末姫様は思わず地の口調でそんなことを言いかけて、口を噤む。険しい表情をした医師と、その横に居たメイ様のご様子に気付かれたのだ。末姫様は三の姫のメイ様に、問い掛ける視線を投げた。
「メイ姉様!お父様はいったい…」
 ――問われたメイ様は、左目を覆っていた眼帯を外していた。
 メイ様の瞳は、左目だけ、ほんの僅かな金の色を帯びている。それは本当に僅かで、気をつけて覗き込みでもしない限り見えない程の色なのだけれども、矢張り「魔族」の特徴で、だから彼女は普段、そうして眼帯をつけて人目からその左目を隠していらっしゃる。
「…呪詛よ、フィーナ。これは『石化』の呪詛だわ。」
 彼女は眉を顰めて、そう呟くように告げた。
 石化、と言われれば、確かに倒れた陛下の身体は石のように硬く、無機質な色合いに変化してしまっている。先程まで生き生きと末姫様と語らっていたとは思えない姿に、僕は改めてぞっとした。一体、こんな呪詛を誰が――?
「呪詛…?呪い?呪いを為したというのですか、メイ。王城は、どんな呪詛も届かぬように、魔術で護られているのに…」
 その言葉に怪訝な顔をしたのが、リトゥリー様だった。一の姫であるリトゥリー様は、厳しい表情でメイ様を見つめる。メイ様も真剣な顔で頷いて、眼帯を片手に弄びながら、
「…三の姫にして、魔法使いの私が保証します、姉上。これは間違いなく、『石化』の呪いです。」
 そして彼女は付け加えて、言う。
「それと、王城の護りは、完璧です。…父上にまで呪いが届くなんて、普通ならあり得ません」
 声は冷静に聞こえたけれども、見上げた先でメイ様の手が僅かに震えている。目の前の事態に、彼女も動揺しているのだ。
「ですが…侍女の言うように、フィーナが何かを為したというのなら。話は別でしょうね。」
「え?」
 わけが分らない、と言う風に末姫様が間抜けな声をあげ、リトゥリー様が眉を跳ね上げる。彼女はくるりと妹である末姫様を振り返ると、厳しい口調で問うた。
「――フィーナ。その侍女の言葉は本当か?」
「あ、あたしは何もしていません、姉様!第一、『魔族』じゃないあたしに呪詛なんてかけられる訳が無いじゃないですか!」
 そう。確かにその通りだ。
 魔法や呪いは、魔法を扱う生まれつきの才能――つまり、「魔族」として生れたかどうかってことだ――が無い人には使うことが出来ない。つまり、生まれつき「金の瞳」を持たない末姫様は、どうあがいたところで陛下に呪詛をかけることなんて出来ないはずだ。
「確かに、それはそうだが…」
「リトゥリー様、私、見てました。フィーナ様が陛下にキスをした瞬間に、こんなことになったんです!」
 侍女が声を荒げて、そう叫ぶ。リトゥリー様は困惑したように、メイ様を見遣った。
 ――魔術や呪詛のことならば、魔族であるメイ様の方がお詳しい。
「…フィーナ、」
 メイ様は、末姫様に近寄ると、左の瞳を僅かに光らせて彼女の目をまじまじと覗き込んだ。末姫様はやはり、まだ動揺しているご様子だったが、しっかりとその目を見返す。
「あたし、何もしていないわ、メイ姉様!」
「ええ、私もそれは分るわ。でもフィーナ、…呪詛はお前がもたらしたものよ。」
「なっ!?」
 そんなはずがない、と言おうとしたのだろう。口を開いた末姫様を手で遮り、メイ様はこの時ふ、と悲しげな目をして、末姫様を見た。
「メイ?どういうことなんだ。それが本当なら、フィーナをこのままにしておく訳には」
「そうですね、姉上。フィーナを隔離した方が良いと思います。…フィーナは…」

 メイ様は目を伏せ、その金の瞳で感じとったのだろう、事実をぽつりと口にした。

「――フィーナは、感染性の強い呪詛をかけられています。…放って置けば、被害者が増える。」

 末姫様はその言葉の意味を捉えかねたのだろう。唖然として、口をあけたまま、メイ様を見つめている。リトゥリー様も困惑した様子だったけれど、彼女は、騎士団の団員として王城を護るという勤めを持っているし、その誇りが冷静な判断を支えたのだろう。すぐに、末姫様の手を取った。
「姉様、何するの!?」
「フィーナ、メイの言葉が本当なら、呪詛の源はお前だ。…国王陛下に呪詛をもたらしたとあれば、例えそれがお前の意思ではないのだとしても、放って置くわけにはいかない。…分るな?」
「分らないわよ!何がどうなってるの、お父様はどうなったの!?姉様、教えてよ、メイ姉様!」
「…感染するの、フィーナのかけられた呪詛は」
 メイ様が、苦悩を滲ませた声で、告げた。末姫様もここへきて、やっと事態を少しずつ飲み込み始めたんだろう。抵抗して暴れていた身体から力が抜けて、その場にぺたりと座り込んでしまった。
「…呪詛?あたしが、呪われたの?感染って…お父様は、そのとばっちりを食ったってこと?」
 少々お姫様らしからぬ物言いだが、末姫様も動揺していらっしゃるので大目に見てやって欲しい。
「そうよ、フィーナ。」
 メイ様が項垂れる。
「…問題は、お前がどこで呪われたかということ、それと、その呪いの内容。…残念だけど、私程度の力では、お前の呪いの内容までは見通せない。ただ、その呪いがとんでもなく強いことだけは分るわ」
「一体、どこでそんな呪いを?」
 リトゥリー様がじろりと末姫様を睨んで、末姫様が首を竦めた。
「お前がまた、城下に遊びにでも行った時に呪われたんじゃないのか?」
「うっ…」
 そこを突かれると末姫様も弱い。城下町へこっそり遊びに出かけることを、特に生真面目なリトゥリー様は良く思っていらっしゃらないのだ。
 だが末姫様が説教をもらう前に、メイ様が冷静に口を差し挟んだ。
「いえ。そんなことは無いと思います、姉様」
「何故そう言い切れる」
「…この呪いは…ちょっと、普通じゃありません。それに、フィーナはパーティの三日ほど前からずーっと城下町へは行っていません」
「三日より前には行ったんだな」
 じろり、と末姫様を睨むリトゥリー様。メイ様は白々しい顔で頷き、末姫様が恨めしい表情でそんなメイ様を見遣る。秘密にして、って言ったじゃない!と心中で思っているのだろうことは予想できた。
「…これだけ強くて、これだけ普通ではない呪いを、もし三日より前に受けていれば。少なくとも、私や、王宮の魔族の誰かが必ず気付きます。断言してもいいわ。」
 強い口調でメイ様が言い切ると、さすがにリトゥリー様も困惑したようだった。
「つまり…フィーナが呪われたのは、ここ一両日中か?」
「昨夜でしょう、恐らくは」

 昨夜、と聞いた瞬間、僕が思い出したのは――そして恐らく末姫様も同時に思い出したのであろう――あの、パーティのテラスに居た、そして夢の中の出来事のようだった瞬間の邂逅だった。
 強すぎるほどに強い金の色を帯びた瞳。
 あれだけ純金に近い色ならば、彼はきっと、相当に強い魔法を扱うことが出来るはずだった。

「…昨夜…」
 末姫様が呟く。リトゥリー様は溜息をついて、ひとまず、末姫様の手を取った。
「フィーナ。ひとまずは、悪いのだが、陛下に害を為したということで、お前を隔離させてもらうぞ。いいな?」
 末姫様は、どこか釈然としない様子ではあったけれども、反論するだけの要素もないことを、この時には理解なさっていたのだろう。素直に頷いて、リトゥリー様に従った。
「メイ姉様、お父様は…その呪いは、解けるのかしら」
 リトゥリー様に連れられて部屋から出る時、末姫様は振り返り様にそう尋ねる。メイ様は難しい顔をして、分からない、と弱々しく応じた。

「…こんなに強烈な呪詛は、初めて見るわ。私や…王宮の優秀な魔族でもどうにかできるかどうか。さっぱり分らない…」

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