デザートは勿論うさぎさん林檎です。

『先輩、悪い、助けてくれ!』

――案の定、電話は11時ぴったりにかかってきた。
冬瑠は弁当箱にたこさんウィンナーを盛り付けていた菜箸を揺らしながら、事前にエプロンのポケットに入れていた携帯を手に取る。片手で器用に通話をオンに。そして相手に何かを言わせる間もなく、彼女はすらすらとこう告げた。
「次に星原君は『レポート忘れた、本当に悪いけど、俺の部屋から取ってきてくれ、頼む!』って言うわ」
『レポート忘れたんだ、ホントに悪いけど俺の部屋から…あれ?』
「ビンゴ」
携帯越しに伝わるはずもないが冬瑠はにっこり笑って、エプロンで軽く手を拭った。携帯電話はフリーハンドにして弁当箱の横に置かれている。
『…何だ先輩、知ってたのか…』
「残念だけど、どれを持っていけばいいのかまでは把握してないわ。あたしが『視えて』たのは、あなたがこうして電話をかけてくることだけ。――それで星原君、あなたの机の上の、どのファイルを持っていけばいいのかしら?」
灯月の机の上は、勝手に掃除をしてしまうと彼が猛烈に怒るので、さすがの「掃除魔」冬瑠も手を出してはいないのだ。いくら彼の部屋の鍵の隠し場所を知っていて、度々家事のために勝手に家庭訪問をしている冬瑠とはいえ、それなりに彼のプライベートを尊重する気持ちくらいは持ち合わせているのであった。
『学校用のA4の群青の奴。学校のロゴが入ってる』
「はいはい、あの群青色のフォルダね。了解。それじゃあお姉さん、お昼ごろには到着するから」
冬瑠はにこやかに応じながら、弁当箱のふたを閉じる。
お弁当は二人分。
慣れた手つきで、彼女はそれをトートバッグに詰め込んだ。




竜堂冬瑠は予知能力者である。

――本当は正確に言うと色々違うのだが、一応表向きはそういうことにしてある。実際、彼女が発現する能力は限りなく予知能力に近いから、あまり問題は無い。
その日、居酒屋の深夜シフトから早朝に帰宅した冬瑠は、朝6時から10時半までの短い眠りの中で、やたらとはっきりした夢を見たのだ。つまり、前述のような電話が突然かかってくる、という夢を。
夢のせいで予定していたより早い10時に目覚めた彼女は、とりあえず、と電話が来るまでの時間つぶしに、趣味の料理を始めることにしたのだった。
群青色のA4サイズのフォルダを大きめの鞄に突っ込み、片手にはお弁当の入った小さなトートバッグ。両手に準備を万端に整えて、冬瑠は予告通り、12時を少々回った時間には灯月の大学構内に入り込んでいた。灯月の居所なら大体は予想がつく。
「星原くーん」
案の定予想通り。冬瑠は見慣れた後姿を発見して、そう呼びかけた。日本人男性の平均身長を超えている彼はなにしろ目立つのだ。
一方、冬瑠ののんびりとした声に呼ばれて振り返った灯月は、一瞬顔を緩め――それから冬瑠の手荷物に気付いて「げっ」と言いたげに顔をしかめた。そのまま逃げだそうとする灯月の背中に、彼女はにこやかに告げる。
「いいのかなぁ星原君、ここで逃げると」
「逃げると?」
「お弁当から染みだしたよく分からない何かの汁があなたのレポートに」
言い終える前に灯月がぐるりと踵を返し、逃げだそうとしたのと同じ速度で冬瑠に駆け寄ってきた。
「先輩ありがとう。今度何かで埋め合わせする。何でも奢る」
「何でもって言ったわね? 覚えておきなさいよ」
「…俺の財布に損害を与えない程度で」
「考えておくわ…あら」
そこまで言って、灯月にレポートの入ったフォルダを手渡しつつ、冬瑠はふと視線を上げた。灯月の周りにはこれから昼食を一緒にするところだったのか、彼と同じ年頃の学生が数名、二人を遠巻き気味に眺めている。
その中の一人には見覚えがあったので、冬瑠はひとまずその人物に向けてにこりと笑みを投げた。
「久しぶりね、井川君。星原君がいつもお世話になってます」
「いえいえ。っつーか竜堂先輩だったんすね、灯月の奴が電話してたの」
――井川は灯月とは高校時代からの友人である。同じ学校出身の冬瑠とも、先輩後輩の関係にあたるのだ。
「えーと」
残る二人の男女は、初対面の冬瑠に戸惑ったように顔を見合わせ、それから、
「…『先輩』?」
「星原の妹さんとかじゃなくて?」
口々に不思議そうな顔をして、小さくて童顔の冬瑠を見やる。
「い、妹っ!?」
冬瑠がその言葉に目を丸くし――次の瞬間、恨めしげな目を灯月に向けた。
「ほ、星原君が! 星原君がいけないのよ、無駄にそんなに大きくなるからーっ!」
「いや先輩だって平均より相当小さいだろ。あと俺がでっかく成長したのは育ち盛りに飯食わせてくれた先輩のお陰だと思うぞ」
「…そういやお前、中学の頃から竜堂先輩に餌付けされてたな…」
その言葉に、級友の一人がぽんと手を打つ。
「あ、もしかして、前に井川の言ってた『灯月の家の近所に住んでる変わり者のお姉さん』って」
「そうだよ、この人。この見た目じゃ『お姉さん』って感じじゃないけどなー」
「悪かったわね童顔で」
すっかりいじけた様子で、冬瑠はトートバッグの取っ手をぐりぐりと指先で弄っている。そう言う所作が尚のこと子供っぽく見えてしまうことに気付いているのかいないのか。そして、はたとトートバッグの中身を見てから彼女は気を取り直したように灯月へ向き直った。
「…そういえば星原君、あなた、あたしのお弁当を見た瞬間逃げようとしたわね」
「う」
童顔絡みの話題でその話が有耶無耶になっていたことにすっかり安堵していた灯月は、不意を突かれて口ごもる。その隙に、容赦なく、冬瑠のいやに淡々とした言葉が追いかけてきた。
「これからお昼に行くところだったのよね? うーん、お友達と食べる約束をしていたのなら、このお弁当は確かにお邪魔だったかもしれないけど…星原君? あなたはそう言う場合であれば、素直に事情を説明して、あたしに頭を下げるわよね? どうして逃げようとしたのかしら?」
さすがに四年の、それなりの付き合いがある冬瑠の目はごまかせない。
「さて、申し開きを聴きましょうか」
「……先輩、そろそろ灯月が死にそうだから勘弁してやってよ。コイツの昼飯は」
「馬鹿、井川、やめ…!」
「俺も一応、お前のダチだからな、少しくらいは体調の心配もすんだよ。――栄養ドリンクと、大学生協で安売りしてたポテチひと袋ですよ」
確かに多少は腹が膨れるのかもしれないが、と、残る二人の友人達も苦笑している。とはいえ何度「身体に悪い」と言ったところで、「腹が膨れて午後の講義を受けるだけのカロリーが摂取出来れば俺は何でもいい」とそっけなく灯月が答えるばかりなので、彼らもいくらか諦めていたのだが。
さて、井川のその報告に、冬瑠はにこりと笑ってちょっと首をかしげて見せた。
「星原君?」
「……はい」
「あたし、あなたにいつも何て言ってたかしら」
「………ええと」
「お昼ご飯はきちんと食べなさいって…それと栄養ドリンクは飲み過ぎちゃ駄目って…」
「…………あの、先輩」
「あなたはいつもそう! 時間と効率ばっかり大事にして! 食事はもっと大事にしなさいっていつもいつも言ってるでしょうッ、このばかーーーっ!!!」





――見た目は小柄で童顔で幼い21歳の落とした雷を耳にした灯月の級友たちは、井川に向けてしみじみと言った。こんこんとお説教される灯月を横目に。

「成程ね、年上だわ」
「間違いないな、星原の『お姉さん』だ。――なぁ井川、あの…竜堂さんだったか? 星原のカノジョ?」
高校時代から灯月を知る友人は、肩を竦めて首を横に振り、それから未だに続く説教に背を向けて歩きだした。
「違うらしいけど、俺には何がどう違うのかさっぱり分かんねぇよ、昔っからあの二人はあんな感じなんだ」
「…俺らだけで先に飯にするか」
「そうね、それが良さそう」
ニヤニヤと笑いながら一人が言い、一人が苦笑する。井川はちらりと肩越しに、道端で自分より40センチ近くも小さな女性に、子供みたいに叱られている級友を見やった。
ぱっと見るとうんざりしているようにも見えるが、眼鏡の奥の目はどこか楽しそうだ。
「…あーあ、やってらんねー」




「もう、聞いてるの星原君っ」
「…聞いてる、っつーか先輩、さっきから同じこと言ってるじゃねぇか…」
「大事なことだから何度でも言うのっ。ほら、トマト残しちゃ駄目よ、ちゃんと食べなさい」
「………この年になってタコさんウィンナーかよ…」
「文句があるならデザートのリンゴあげないわよ」
「どうせウサギさんカットだろ」
「要らないの?」
「………もらう」



その日、大学構内のどこかのベンチでは、揃いの手作り弁当を食べる姉と弟のような、違うような、よく分からない大変身長差のある男女二人組が目撃されたと言う。