「そういえば今年の十五夜は、晴れみたいですね」
管理人室での他愛のない世間話のはずだったのだ、その話題は。何の気なしにテレビのニュースで耳にした単語を田村氏が口にした瞬間、しかし、彼の「ご近所さん」達は各々眉を寄せたり顔色を悪くしたり目を逸らしたり。全く予想外の反応を返してきた。
予想外その1、このマンションに住む最年少の二人。このマンションから快速であれば駅2つ離れた場所にある、とある私立高校に通う、立花竜花と東雲名鳴の場合。
二人はたまたま駅で顔を合わせたとかで、珍しく足並みを揃えて帰宅したところだったのだが、
「十五夜かー、あたしその日はマンションに居ないんだよね。方違えでさ、ツキの家に行くんだ。こっちに天一神(てんいつ)が来ちゃうから」
方違え。――古典文学でしか耳にしない単語に田村氏は苦笑しか返せない。竜花は何でも古くから続く陰陽師の家柄で、本来なら政財界に影響を与えるような家系のお嬢様らしいのだが、当人は「参ったなー、来週は物忌みだからバイト休まなきゃ…お金が…」なんて世知辛いことを呟いている普通の女の子である。言ってることが若干普通ではないがこれくらいは田村氏、最近はご愛嬌だと思えるようになってきている。
そんな竜花の言葉に、横に居た名鳴がふーん、と気のない様子で頷いた。
「大変だなぁ、魔術師は」
「何他人事みたいな顔してンのよメイ。あんた十五夜って平気なの?」
「平気も平気、ってか絶好調だな」
にんまりと笑う唇の端から、いささか鋭い八重歯が覗く。
田村氏は「ご近所さん」の事情を全て把握している訳ではない。だが、このマンションに住まう住人が、自分を除いて残らず、様々な事情を抱える身の上であることは知っている。恐らく彼とて、ただの男子高校生ではないのだろう。いつもはいくらか眠たそうな茶色の瞳を細めて、彼は笑った。
「元々『俺達みたいなの』は月夜に体調が良くなるんだよ。十五夜だと猶更だな。俺の場合はちょっと『調子が良くなりすぎる』かもしれねーけど」
名鳴は言って、田村氏を見遣る。ふふん、と胸を張って、
「ともかくだな。十五夜の俺は超頼れる。トーゲツの馬鹿より頼れるのでおっさん、何かあったら声かけてくれていいぞ」
「それは有難いなぁ、でも…『何か』?」
年上の青年に何故だか対抗心むき出しの少年の姿を微笑ましく思いつつも、田村氏はその言葉に不穏なものを感じざるを得ない。首を傾げていると、
「あー、そっか。田村のおじちゃん、宝舞に来てから、十五夜って初めてだっけ」
ここで初めて気が付いた、と言うように竜花が元々丸い目をますます丸く瞠って、気安い調子で田村氏の背を叩いた。
「おじちゃん、あたし後で『お守り』あげるから、十五夜にはちゃんと持ち歩いてね。十五夜って色々危ないから」
「…心霊災害が起きやすいってよく聞くけど、宝舞の十五夜ってそんなに凄いのかい?」
『それはもう』
意図したわけではないだろうが、高校生二人の声がぴたりとハモったもので、田村氏は思わず漏れる笑いを零しながら、二回り以上年下の少年少女の厚意を有難く受け取ることになった。年下と言えども、田村氏は心霊災害に対しては全くの素人だし、このマンションの住人達は残らず心霊災害に耐性がある。ある意味では先輩である。年下であっても田村氏は先輩には敬意を払うことにしていたのだった。
予想外その2、謎の訪問者の場合。
――このマンション(近所では通称「幽霊マンション」なんて呼ばれているが)には時折、ヘンテコな訪問者が現れる。銀髪碧眼の長身の青年もその一人で、見た目30歳少々程度にしか見えない彼は一応「かみさま」であるらしいが、田村氏にとってはどちらかというとそういった背景よりも、
「ああ、星原君のお父さん」
この謎の人物が、隣家の住人の養父である、という事実の方が身近で大事であった。
「お、田村のおじさんか。久しぶりー」
もう20歳近い義理の息子を抱えているとは思えぬ見目の養父は、能天気に笑って手を振ってくれる。そんな彼も、十五夜には思うところがあるらしく、その単語を出されると渋い顔をした。
「じゅうごや、なー。オレんとこだと暦が違うんだけど、どこの国でも月は月だし、満月は満月だもんな、やっぱ怖いよなぁ」
「怖いんですか」
馬鹿みたいにおうむ返しするしかない田村氏であるが、青年、星原詩律はうんうん、と生真面目な表情になった。壁に背を預けた格好だった彼は腕組みを解いて、顎に手をあて何事か考えるような所作をする。
「そ、怖いんだよ。田村さん、お守りとか用意してる? 宝舞の十五夜は、そうだなぁ――なかなか『派手』だよ」
アロハシャツに短パンという格好の彼も相当に派手ではあるが。田村氏はそんな感想はひとまず呑み込み、問いかけに首を縦に振った。先だって、竜花から押し付けられるようにして、田村氏は「お守り」を受け取っていた。
「竜花ちゃんから貰いました。何だか分からないんですが、大事にする様にって念押しされましたよ」
照れくささから笑いながら田村氏が取り出したのは、小さな布袋である。中身は覗いてはいけないと強く言い含められていたのだが、差し出されたその布袋を見るなり、詩律はあっさりと奪い取って中身を開いてしまった。あ、と田村氏は声をあげかけたが、詩律は笑ってそれを制する。
「ああ、大丈夫。オレは加護与える側だから、護符(アミュレット)の類は効果が無いし、覗いても問題ないの。田村さんは中身見ちゃダメだよ」
「そ、そうなんですか…はい」
「しかし…くっくっく」
何故だか袋を覗き込んだ詩律は含み笑いをこぼしてから、丁重な手つきで布袋の口を改めて閉じた。田村氏にそれを返しながら口の端で笑みを噛み殺すみたいな、でも我慢しきれていないみたいな、妙な顔をしている。
「……りゅ、リューカは相変わらず、下手だな、細工が」
――そういえばかの女子高生は「手先が不器用」なのが悩みらしかったなぁ、と。田村氏もつられて思い出す。手元の布袋をまじまじと見つめ直していると、不意に、白い手がぬっと目の前に差し出された。驚いて顔をあげると、銀髪の青年が笑みを口の端に残したままの表情で、手を差し出している。その掌の上には、何やら小さな光るカケラのようなものがあった。
「これもあげるよ、田村さん。オレの息子が世話になってるご近所さんにもしものことがあったら困るからね」
「何ですか、コレ?」
摘まみ上げたものを蛍光灯に透かして見る。半透明なそれは光を集め、青とも銀ともつかぬ色に揺れる。詩律へと田村氏が視線を戻す頃には、彼は既に踵を返して歩き出していた――元々、息子を訪ねてマンションに来たら不在だったのだと言うから、田村氏と話し込んでいたのは本当についでだったのだろう。
手をひらりと振って立ち去り際に彼が言うには、その小さな欠片は。
「ありがたい生き物のウロコだよ、お守りに!」
――そして、予想外3件目はこの話を聞いて顰め面をした。
「…な、何が『ありがたい生き物』だ詩律の野郎…」
田村氏からウロコを見せられた灯月が頭を抱えている。その横で目をキラキラさせているのは、1階角部屋住まいの青年、灯月と同年代の専門学校生である戒利だった。彼は物欲しそうに手を伸ばし、引っ込め、中途半端な位置で手をわきわきと動かしながら、
「た、田村さん、それ俺にくれないか…! いや、いい、十五夜が過ぎてからでいい! 十五夜までお守りとして大事に使ってから俺にくれ!」
「戒利お前見境ないな…」
「お前はお前の親父の価値が分かってねぇな灯月。このウロコ一枚でどんだけ高値がつくと思ってるんだ」
その物言いにぎょっとしたのは田村氏の方である。思わず手の中にあるお守りを見下ろした。せっかくのもらい物を失くしては困るので、あの小さな「ウロコ」はこの布袋に普段収納している。
「これ、そんなに高価なものなのかい…?」
何分、田村氏は毎年の初詣で購入するお守りくらいしか「魔具」に関する知識が無いのだ。一般的な相場がどれくらいになるのかさえ分からない。あまりに高価なものであれば、返却しよう、と田村氏はそんなことを考えていたのだが、あっさりと灯月が首を横に振って告げた。
「貰っとけよ、おっさん。詩律は『それ』、腐るほど持ってるから気にしねーよ」
いいのかなぁ、とは思うものの、二人は構う様子もない。戒利だけは「いいなぁ」としきりに呟いていたが、それでも田村氏がウロコを譲ろうとすると血相を変えたものだ。
「駄目だって、十五夜までは持ってなくちゃ。それが過ぎたら宝舞も落ち着くからさ、その時譲ってくれると嬉しい」
「そういうものなのかい」
全体、この街の十五夜に何が起きると言うのか。
――田村氏は戦々恐々としながら、十五夜の当日を迎えたのである。
気付けば社内にもあちらこちらにこんな掲示やメールがあった。
「本日は十五夜です。特に宝舞方面にお住まいの方は早めの帰宅を心がけてください」
「お守り、護符を持ってない人は早急に用意をお願いします」
はぁ、と気の抜けた嘆息をつく田村氏に、年下の別部署の同僚がどうしたんですか、と首を傾げる。
「いや何、十五夜か…風情があるな、くらいにしか思っていなかったんだけど、大変なんだね」
「? 田村さんトコでは十五夜って、こんな感じじゃないんですか?」
「うーん…」
どうだったろうなぁ、と眉根を寄せて考えてみたが、田村氏の脳裏に浮かんだのは呑気に団子を食べる娘達と妻の姿であった。
「…雰囲気が違うよなぁ、やっぱり」
「東京は元々、心霊災害が起きやすいですからねぇ」
横から別の同僚が苦笑がちに口を挟む。それはまるで、「うちの地域は台風の通り道だからねぇ」とでも言うような、諦めとも何ともつかない鷹揚な口調であった。
「昔は月を眺めて…なんて風流な日だったらしいですけどね」
「月なんか眺めてる場合じゃないですよ。ウチの家族は総出で、休日ずーっと近所の社の清掃手伝ってましたからね。田村さんなんてもっと大変じゃないですか? 『あの』宝舞に住んでるんですよね?」
その言葉に、もう一人の同僚が目を丸くする。
「あの宝舞なのか。じゃあ今日は早く帰らないと」
「…。そんなに凄いのか」
「宝舞は日本一の心霊災害多発地帯ですよ。確かに家賃が安くて経済的にはいいかもしれないですけど、田村さん、よくそんなとこに住んでて平気ですねー」
田村氏はそうなのか、と今更な事実に逆に驚いて、自分の住まいを思い出した。「幽霊マンション」と揶揄され、実際に幽霊の暮らしているマンションだが、
「…幸いご近所さんに恵まれててね。それほど悪い場所じゃないよ」
その答えに、二人の同僚はへぇ、と頷く。それを見ながら田村氏はノートパソコンの蓋を閉じ、社内放送に耳を傾けた――先程から、しきりに早めの帰社を促している。
「田村さん、お守りの用意はあるんですか?」
同じように放送に耳を傾けていた同僚の問いかけに、田村氏は鞄から、中年男性が持つにはいささかならずファンシーなお守り袋を取り出して見せる。
「さっき言ったご近所さんから渡されたんだ。帰るまで絶対に手放すな、って念を押された」
「なんか随分と可愛いですね。手作りですか…?」
「女子高生の手作りだよ。陰陽師の家系の子らしくてね、…ああ、中身は見るな、とも念押しされてる」
「護符の類ならそうでしょうね。陰陽師の手作り品なんて、普通に買ったら万単位ですよ、田村さん」
凄いご近所さんですねぇ、と、妙に感心されてしまったが、田村氏はそれよりも護符の値段の相場の方にぎょっとしていた。万単位――竜花は確かまだ「見習い」だと言っていたからある程度それより値は劣るのかもしれないが、自らの知識不足を改めて痛感する。軽い気持ちで受け取ったが、そんなに値の張るものだったとは。
(今日は寄り道は危ないと念を押されているけど、何かお礼に手土産でも持って行った方がいいかもしれないな…)
その時までは、田村氏の思考はそんな具合で、大層呑気なものであったのだ。
常より早い時間に帰社となり、何故だか周囲の同僚たちからしきりに心配をされながら田村氏がいつもの宝舞駅――マンション最寄だ――で電車を降りたのは、19時過ぎであった。まだ空は明るいが、東の端にはくっきりと満月が浮かび上がっている。空の端っこにあるそれは幾らか赤味を帯びていて、成程、言われてみれば不吉な様相に見えなくもない。
しげしげと空を眺めていると、歩みが緩んだのだろうか。背後から突然ぶつかられて、田村氏はたたらを踏んだ。
「あ、申し訳ない…」
謝ろうとしたのだが、背後を振り返ると誰もいない。辺りを見渡したが、足早に急ぐ数名の人々が見えただけで、あとは、
「にゃ」
ホームの端に、白い猫が居るくらいである。人に慣れているのだろう、田村氏と目があっても、涼しげな青い瞳で彼を一瞥しただけで逃げる様子もない。
「…? 気のせいかな…」
田村氏は首を傾げつつも帰路に向かうべく改札をくぐり、そして足を止めた。ぽかんと口を開け、駅前の通りを見遣る。
常であれば駅前のロータリーは僅かな店舗の明かりや、点々と停車しているタクシーが見える程度の静かなものだが、月明りの下の光景は常のそれと一変していた。何も知らなければ、祭りでもあるのか、と思ったかもしれない。コスプレとも見える変わった格好の人々がガードレールに腰を掛け、あるいはベンチにたむろしている。よく見れば頭のてっぺんに角が生えた者、羽の生えた者、尻尾や獣のような耳を生やした者もいた。
田村氏とて、こういう「人」が世界のごく一部で暮らしていることくらいは常識として知っている。テレビで見たことはある。が、直にこうして目の当たりにすることは珍しい。ましてこんな集団でなんて、そうそうお目にかかることはない。
呆然としたのはしばしのこと、田村氏はすぐにマンションのご近所さん達の警句を思い返して我に返った。十五夜は危険だから、寄り道せずに帰るように、と口を酸っぱく言われ続けていたのだ。聊かうんざりするくらいに。
ポケットのお守りを軽く握ってから、田村氏は気を取り直し、少し足早に歩き出す。
――が、事はそう容易ではなかった。
あたりの景色が、違うのである。酷く奇妙な話だった。慣れた帰り道を歩いていたはずなのに、今や道の左右は見覚えのない光景――長く続く、生垣だ。
生垣の向こうをそろりと覗き込んでみると、これまた奇妙なことにそこには見覚えのある景色が広がっていた。新築のアパートと、古びた雑居ビル。田村氏が帰り道にいつも眺めている光景が見える。
では生垣を超えればよいのではないか、そんなことに思い至って田村氏は辺りをきょろきょろと見渡し、とうとう、足を竦ませた。見渡す先、前も後ろも生垣の切れ目が見えない。道の先はいつの間にやら、薄い靄に覆われて見えなくなってしまっていた。
(どうしようか――)
こういう場合はどうするべきだったか。学校で教わった記憶は遠く彼方で、これっぽっちも思い出せない。珍しくも田村氏は焦燥を感じてあたふた、前と後ろを、右と左を見渡した。お守りは今やポケットから取り出し、胸元で握りしめている。
緊張感がいよいよ限界まで張り詰めた時だった。
ぱちゃん――という、水音が聞こえた。気のせいかと田村氏は辺りを見渡す。水場なんてどこにもなかったはずだが。そうする間にもぱちゃん、ぴちゃん、と水音は大きくなっていく。
「う、うわぁ!?」
そうして、気が付いた。いや、むしろどうして今まで気付かなかったのか。田村氏の足元、傷のある少しだけ色の剥げた革靴が、半ばまで水に没していた。驚いてたたらを踏んだ拍子にズボンの裾に派手に水が跳ね、服がじとりと重たくなるのを感じて田村氏は更に焦った。
一歩、二歩、その場を後ずさる。水は足元から湧いているように見えたが、田村氏が動くと、まるでそれを追うように浸水域が広がった。水量も増え始めており、さっきは靴の半ばまでの、小さな水たまり程度だった水は、今や靴の中に浸入するほどの水嵩になっていた。
田村氏は三度、辺りを見渡した。今度は何か助けになるものがないかと求めて。
そうしている間にも水は勢いを増し、今や田村氏の膝までもが水に浸っていた。こうなるともう身動きそのものが阻害され始める。
(ああ、これはまずい、まずいな)
焦燥の中でそんな言葉だけが頭の中をぐるぐると空回るが、さてだからといってどうすればいいのか。
そこで更に、田村氏は水中にある足元で「何か」が動いていることに気が付いた。気が付いてしまった。
足元をかすめるように何か――重たく、長く、足元を絡めとるような動きをしている「何か」が、蠢いている。既に水位は田村氏のお腹まで達しており、辺りは薄暗く、つまり水底のそれが何なのかは、全く見えない。
「ひぃ――」
情けない声をあげて田村氏は足を上げようとしたが、その足をぐい、と引かれて、それも尋常ではない――大人の男の力でも振りほどけない強さで引っ張られ、均衡を崩した。駄目だ、と衝撃を予想してぎゅっと目を閉じる。
だが、思っていたような水の冷たさや身体を打つ衝撃は、無かった。いつまで待っても。
恐る恐る目を開く。
見えるものは、薄らと街灯に照らされたアスファルトの道路。どこまで続くともしれない切れ目のない生垣こそそのままだが、地面には水の気配さえない。
次に恐る恐る、田村氏は足を動かした。自分の身体は倒れてすらいない。二本の足で、どうやらしっかり、立っているらしい。
「…?」
首を傾げる田村氏だったが、その時懐がほんのりと温かいことに気が付いた。手繰ってみれば、そう、あのお守りだ。しかも仄かに内側から輝いている。
状況はまるで分らなかった――が。
このお守りが文字通り自分を「守ってくれた」のだと、田村氏は理解した。軽く握り直して、お守りに向けて小さく頭を下げる。矢張り日を改めて、あのご近所さんの女子高生には何かお礼をすべきだろう。何が喜ばれるだろうか。
などと考えたところでふと、顔を上げる。――まだ状況は、解決していない。この生垣、どういう仕組みか、どこまでも続いているように見える生垣によって、田村氏は「いつもの帰り道」からは隔てられたままだったのだ。
「どうしよう…」
途方に暮れた田村氏の足元で――猫が一匹。にゃあ、と鳴いた。
猫がこんな場所にも居るんだなぁ、というのが最初の田村氏の感想であった。が、
「おのれ、どこぞの魔術師の護符か。素人の癖に御大層なもん持ちやがって」
苛立たしげな、皺がれた老人のような声がその猫から聞こえてきたものでぎょっとして、一歩後ずさった。猫が喋ってる――等とここで呟いたら、大層な間抜けに見えるだろうなぁ、と奇妙に冷静な思考が過って口だけは噤んだが。
「こうなれば、直接貰うぞ…!」
猫はよく小鳥に飛びかかろうとするときのように――つまり狩りをする時のように、身を低く構える。シャア、と口から吐き出された警戒音に田村氏は再び身を固くし、目を閉じた。
が、これもまたしても、田村氏の身には何一つ起きなかった。代わりに響いたのは、強い衝撃を伝える鈍い音だ。
「へ…?」
「おっさん、無事か?」
恐る恐る目を開くと、そこに居たのは見慣れた少年の姿だった。マンションのご近所さん、数少ない高校生組の一人。
「な、名鳴君…! 何でここに」
「いや、ま、悪い予感って言うか」
にんまりと笑う表情にはさしたる緊張感もないが、彼のすぐ前では先程の猫がまだ、威嚇するような、今にも飛びかからんと言う低い姿勢のままで唸っているから、田村氏としては気が気ではない。
そんな彼の前で、片手に金属のパイプ――よりも頑丈そうな、鉄の棒を持った少年は、猫へゆっくり視線を戻した。
「あのさー。お前、襲う相手は選べよ。分かんだろ、こんだけ加護くっつけて歩いてる人間がタダのズブの素人だと思うか?」
「う…うるさい」
少しばかり猫の声は威勢が弱くなったようだった。名鳴は軽々片手で扱っている鉄の棒を、おのれの肩に乗せて、腰を落とす。猫に視線を合わせるように。
「もしかして、人間襲う必要あったか、お前?」
途端、猫が顔を勢いよくあげた。苛立たし気な声色で叩きつけるように叫ぶ。
「お前のような『人食い』と一緒にするな!」
(ひと…くい?)
不穏な単語が耳をかすめた、様な気がする。眉を寄せた田村氏を他所に、名鳴がはぁ、とこれ見よがしなため息をついた。
「俺を煽ってどーすんだよ。なんかワケがあるんだろ、って訊いてんだ」
告げて、名鳴は背後の田村氏を腕で示しながら、
「ウチのマンションの住人が総出で加護だのおまじないだの結界だの、お守り以外も盛りだくさんなんだぞこの人。普通の神経してたら、狙わねぇよ」
「え、そうなのかい!?」
「そうだよ! …てか、マジでおっさん気付いてないのな…逆にすげーな」
思わず自分の身体を矯めつ眇めつする田村氏であるが、貰ったお守りが相変わらずほんのり光っている以外にこれといって変わったところはない、ようにしか見えなかった。きっと田村氏の感覚では分からないモノなのだろう。それを僅かばかり寂しくは感じつつも、田村氏は改めて猫へと向き直った。猫は最早、狩りの姿勢ではなく、前足をちょこんとそろえてお行儀よく座ってしまっていた。心なしか髭がしょんぼりと項垂れているようにも見える。
「……その人間の持つ加護に、用事があったのだ」
やがて猫は唸るようにそう告げた。田村氏はきょとんと、名鳴の方も不思議そうに首を傾げる。
「加護? どれだ? …まぁ竜花のお守り、じゃねーよなぁ…詩律のオッサンのか」
おっさん――と思わずその箇所にだけ引っ掛かりを覚えてしまう田村氏であった。彼から見れば星原詩律はせいぜい30代前半の若い青年にしか見えないのだ。
一方猫はどうやら図星を衝かれた様子で、落ち着かなさげに前足でしきりに髭を整えながら呻くように答えた。
「それはいずこか、名のある水神の加護だろう? それさえあれば、友人が目覚めるやもしれぬ。少しばかり脅せば奪い取れるだろうと…」
何だ、と田村氏は僅かに胸を撫でおろした。理由を知れば、恐ろしさは薄らぐものだ。
「詩律さんの、ってことはこのお守りの中身だね。…そんなに困っているなら、私は別に構わないよ、差し上げるよ」
「なんと。そんなにあっさりと。良いのか」
「…いや、うん、正直びっくりしたし、怖かったからなぁ。これを渡せば解放してくれるって言うんなら、私としては是非もないというか…」
口にしながら何だか情けないことを言っているような気がしてきたが、田村氏はあえてそこには目を瞑った。何せ田村氏自身は何の力もない一般人なのだ。こんな状況に陥るのも初めての経験だし、切り抜けられるのならどんな手段だって講じたい。が、それに異を唱えたのは、名鳴だった。
「いや、待て待て、そんなあっさり渡すもんじゃねーよおっさん」
少しばかり――ほんの少しばかりだが――むっとして、田村氏は男子高校生を見遣った。
先にも述べた通り田村氏は一般人だ。自分自身でもそのことを痛感している。一方の名鳴は一般人ではない、と、思う。田村氏は彼らの背景を正しく把握できてはいないが、あのマンションの住人は残らず一般人とは言えない職業や技術や、そうしたものを持ち合わせていることは把握している。
「名鳴君は、そりゃあ、こういう状況には慣れているかもしれないけど」
むっとしたまま田村氏は思わず口にしてしまって、しかし口に出した瞬間には後悔したもので、すぐにその語調は失速していった。
「…ああ、その、いや…。早く解決できる手段があるなら、そうしたいと思ったんだが。すまない、確かに私は素人だから、考えが浅はかだったかもしれないな…」
「おっさんいい人だなぁ」
「全くだ。お人よしと言われることはないか」
何故か名鳴だけではなく猫にまで呆れたように言われてしまった。それから猫ははぁ、とため息をつき(実際に見て田村氏は痛感した。ため息、という行為はあまりに人間臭い所作だ。)
「……やむをえんな。ついてこい。見て、そうして判断してくれ」
一方的に告げてとことこと歩き出してしまった。まだこの、異様な空間の道行は続くらしい、と察して田村氏もまた、ため息をつく。仕事は早くあがったとはいえ、やっぱり疲れてはいるし、早く帰って横になりたい。そんな田村氏の疲労を他所に、当たり前のように名鳴が歩き出す。
――つまるところ、田村氏もついていくより他にないのだ。
そうして歩き始めて数分もたっただろうか。唐突に、視界の端で生垣が切れ目を見せた。それまで無限に続くかと思われていた生垣が、彼らの歩みに合わせて姿を変えたのだ。田村氏はもう大抵のことでは驚くまいと決めていたが、さすがにぎょっとして後ずさってしまった。そんな彼を他所に、慣れているのだろうか、名鳴はのんびりと「おー」と声を上げている。遠近感を狂わせるような動きで生垣はあまりに唐突に途切れ、その先に開けた場所には、ぽつりと池がひとつきり。ほとりに小さな祠があるが、「少し大きな水たまり」以上に感想を持てないような、淀んだ小さな池だ。
池の周りは、遠くに街の明かりを臨みながら、それでいて不自然に暗い。
田村氏はおのぼりさんよろしくきょときょとと辺りを見回していた。
「ここ異界だけど、おっさん初めて?」
いかい、という単語もすぐには馴染まない。田村氏は少し意味を考える間をおいてから、ああ、と頷いた。
「異界…これがそうなのか。話にはよく聞くけど、そうだね、確かに経験するのは初めてかな…」
時折ニュースで耳にする内容を思い起こしながら田村氏はカバンを抱きかかえて少し身震いをした。9月の夜は肌寒いが、そればかりではなかった。
(異界に呑まれて遭難、なんてよくよくニュースで聞くからなぁ)
一方の名鳴は慣れたものだ。足元の猫に問いかけている。
「んで? この池がどうしたって」
「ふん。所詮人食いか。見て分からんか」
「だから何で俺をいちいちdisらないと話ができねーんだよお前は…いっでぇ!?」
途中で名鳴の愚痴は悲鳴にとってかわった。ぎょっとして田村氏が跳ねあがる横で、名鳴は何か、熱いものにでも触れたかのように右腕を振っているところだ。
「え!? ど、どうしたんだい名鳴君!」
「痛ぇ…おいこらクソ猫、神様居るじゃねーかここ…」
恨めし気な名鳴の言葉に、猫はフン、と鼻を鳴らしただけだった。ついで田村氏に向き直り、前脚をきちん、と揃えて真っ直ぐに見上げて来る。かみさま?とこれまた耳慣れない響きに首を傾げる田村氏へ畳みかけて来た。
「その通りよ。力を損ねて今や姿を見せることも減ってしまったがな。弁財天に連なる由緒正しき水神だ」
何故か猫の様子は自慢げだ。友人、と言っていたなぁ、と田村氏は猫の発言を思い返して頷く。あいにくと田村氏には弁財天と言われても「確か七福神に居たかな」くらいの認識しか無いのだが。
「それで、ええと。その水神様?が、このお守りを欲しがっているってことでいいのかな」
「…む。否、欲しがっている、というと語弊があるが…それがあれば、多少なりと、力を取り戻せるやもしれぬと思うてな」
「と言うと、」
田村氏はまた、眼前の小さな池へ視線を移す。
「つまり、今は力を失ってるのかい」
応じたのは猫ではない。田村氏の背後でそわそわとしている名鳴だった。
「――東京の土着神は、みんなそうだぜ。力を失ってる」
「? そうなのか、みんな…?」
「まぁ、色々あんだよ。…んで何、力を取り戻させて、どうすんだよ」
話を促された猫が、目を反らした。
「貴様らの知ったことではなかろう」
「じゃあ、渡せない」
名鳴が勝手にそう断じたもので、田村氏はまた少しだけむっとして彼を見遣ったが、名鳴は真面目な表情のまま。腕組みをして気難しげに眉を寄せている。ふざけて発言している訳ではないのだ。
「おいネコマタ、お前だって分かってるだろう。そんなことしたら、下手すりゃ【大結界】が壊れる」
「それは人間の都合だ。ふん、貴様らの勝手に友人を奪われた俺の気持ちが分かるものかよ」
「…ったってなァ…」
話は平行線をたどっているようだ、と察して、田村氏はおずおずと口を差し挟むことにした。このままではいつこの「異界」から出られたものか分からない、という不安も大きかった。
「もしよければ、少しだけ貸すよ」
「おっさん…」
嘆息する名鳴を見ると、それは良い判断ではないのだろう。田村氏にはうかがい知れない、何か大事な事情があるのだろうということも理解はできる。が、今はとにかく帰ってゆっくり寝たい、田村氏は正直な所その一心であった。
猫が期待するように顔を上げ、ぱっちりとした目を田村氏へ向ける。視線を合せるように屈んで、田村氏は続けた。
「ただ、この…ウロコだっけ? 友人に先約があってね、譲ることになってるんだ。少し使ったら、すぐ返してもらえないかな。それじゃあ駄目だろうか」
この提案に、猫は何やら困惑した様子であった。耳がぺたりと後ろに倒れ、尻尾をとんとん、と小刻みに揺らし、
「少し――少し、か、うむぅ…」
思案するように、唸っている。田村氏はこれでよかったか、と不安になったもので、背後に立つ名鳴の方を見遣ったが、彼は肩を竦めた…だけである。
しばし続いた沈黙を破ったのは、その場の誰の声でもなかった。ぱちゃり、という、いささか唐突な水の音だった。薄暗い池から聞こえた水音は、明らかに自然のものではない証拠に、奇妙に規則的に響いてくる。
名鳴が、す、と一歩前に出たのは、警戒しての事だろう。田村氏も、そうと気が付いて肩を強張らせた。そんな中で、猫だけが、ひどく戸惑った様子で低く唸るような鳴き声をあげていた。苛立ちを示すように小刻みに尻尾が揺れ、水辺の岩を叩いている。
まるでそのリズムに答えるように再度、水音が響く。
猫は小さく唸った後――田村氏と名鳴の方へくるりと向き直った。
「…その条件で構わぬ、とさ。わが友は欲が無い」
余程その結論が不服なのだろう、言い捨ててからふん、と鼻を鳴らすのも忘れない。名鳴が僅かに目を瞠り、それから、肩の力を抜いた。嘆息する。
「まぁ、本人が言うなら仕方ねぇか。――お前、この『かみさま』と意思疎通できんのか」
「意図が分かる程度だ。かつてのように言葉を交わすことも、共に酒を飲むことも…莫迦なことを言い合って笑うことも、もう叶わぬ」
遠くを見る猫にちくりと田村氏は胸が痛んだ。名鳴が居なければ、「ならば」とお守りを渡していたかもしれない。だが、先程の名鳴の並べたてた物騒な言葉が、田村氏を押しとどめた。
――この街は、ひときわ心霊災害の多い場所。
でも本当にそれだけなのだろうか。彼のような異能者たちには、この街の違う側面が見えているのではないのだろうか。十五夜が、田村氏の知るそれと違うイベントとして認識されていることも含めて。
(…なんて私が推し量っても仕方がないことだけども)
見えるものが違う、経験が違う、それに何より持っている「常識」にだってズレがある。今更ながら、田村氏は痛感する。自分はただの凡人――能力者ではない、という意味なら世間でいう所の「非保有者」だ。そのことに一抹の侘しさか、虚しさか、僅かに胸を疼かせるものを感じながらも、田村氏は言葉にはしなかった。
代わりに、お守り袋をすい、と差し出す。
猫はお守り袋の紐を咥えると、器用に自分の真横に置いた。前脚でそれを押さえ、僅かに目を伏せたような所作をすると同時、池の湖面が一瞬だけではあったが、確かに輝いた。
ごぉん。
眩しさに思わず目を閉じた田村氏の耳に、銅鑼の音のような、腹に響く音がこだました。
田村氏が次に目を開いたときには、辺りの風景は一変していた。
――目の前には生垣も、水面も、そして猫の姿もなくなっていたのだ。目の前にあるのは、見慣れたマンションのエントランス。心配そうにこちらを見ているのは住人達とご近所さんだ。そして横には名鳴が居た。彼はふわぁと欠伸をして、大きく身体を伸ばす。
「おっさん、お守りはちゃんとあるか?」
そして彼は田村氏がどういうことか、と問うより先に、そんなことを問いかけてきた。咄嗟に言われた通りに懐を探り、田村氏はそこに、ここ数日で手になじんできた布の感触があったことに安堵の息をつきつつ、
「大丈夫だ、ここに…あれ?」
取り出してみると、何だか少し重たい。様な気がする。田村氏が首を傾げていると、開けてみれば、とあっさりと名鳴が告げた。
「でも、開けてはいけないと――」
「そのお守りは、おっさんを十五夜の帰り道の間守るためのもんだから。もう役割終わってるから、大丈夫だろ」
そういうものか、と田村氏はあたりを見渡す。氏の視線に対して、住人たちが各々にうなずいたり親指を立てたので、恐る恐る、お守り袋を開いて、手のひらに中身を取り出した。
まず転がり出てきたのはほのかにきらめく、硬くて薄っぺらい物体。恐らく「ありがたい生き物のウロコ」とやらだろう。
次に、不格好な折り鶴が出て来ると、周りににわかに苦笑するような気配があった。
「相変わらず竜花、下手だな…」
呆れたような呟きは、騒ぎに顔を出していた住人のひとり、戒利のものだ。なお、作者の竜花本人はここにはいなかった。
問題はこの次。掌に転がり出てきたものは、泥に塗れた薄い小さな塊だった。指先でそっと拭うと、きらきらと金色に輝いて見える。
まさか、と拭えば――
「小判だ」
「小判だな」
周りの住人たちがひどく冷静に指摘する通り、泥から出てきたのは小判だった。確かに、サイズの割にはずしりと重たい。田村氏は少しばかり途方に暮れて、誰にともなく問いかけた。
「これ、どうすれば…」
答えたのは名鳴だった。肩を竦めて、
「たぶん、あの猫の謝礼だろ。受け取っときなよ」
「でも、これ、高いものなんじゃ…?」
「まぁ、そうだな。金運アップするぜ、おっさん」
金運?と田村氏は首を傾げる。田村氏が懸念していたのは、この小判――本物か偽物かは判然としないが、とにかくこの金色の塊そのものの価値のことだ。
話がかみ合っていないことに気付いたのだろう、戒利が助け船を出してくれた。
「これ、多分だけど。弁財天の系列の神様に奉納されてたもんだと思うよ、田村さん」
「弁財天――」
「名鳴、異界に巻き込まれたって言ってたけど、弁天様だったのか?」
「ん? ああ、あの猫、確かに弁天様につらなる系列の神さんだって言ってたぜ」
「猫なぁ…普通、弁財天の遣いなら蛇のはずなんだけど…まぁ、友人だって言ってたのなら、そういうこともあるのかね。田村さん、弁天様は知ってる?」
「七福神の、弁財天様…だよね。音楽とか芸能の女神様…」
おぼろげな記憶から田村氏が答えれば、戒利はそう、と頷いて、田村氏の手の上の小判を突いた。
「東京界隈だと、加えて『蓄財の神様』って属性もあるし、そもそも弁天様自体は水の女神様でさ。色々手広い神様なんだよ。これ、弁天様からのお礼なんだと思うし、鑑定しないと断言は出来ないけど、詩律の鱗よりずーっと強力なご加護が付与されてると思うよ。金運アップ間違いなし」
「天下のサラスヴァティの分霊と比べないでよカイリ! どうせおれは精いっぱい頑張ってそのレベルだよ!!」
「あーはいはい、『名無し』の水神様は大変ですね。黙っててください」
「ってかさ、その話だと。詩律の鱗狙いでその猫、田村のおっさんにちょっかいかけてきたんだよな」
ぽつりと呟いたのはそれまで無言で腕組みをしていた灯月である。眼鏡の下の目つきが少し怖い。
「…詩律が余計なことしなけりゃこんな騒ぎにならなかったってことだよな」
あー。とその場の全員が残念な目線を詩律へ向ける。銀髪の青年は目を反らしていたが、やがて視線の圧力に耐えかねたか、頭を下げた。
「あの…田村さん、ごめん…」
「えー…ええと…?」
なお、田村氏はこの時点で今一つ状況が飲み込めていなかった。ただ手にした小判があの猫からのお礼であること、金運が上がるらしい、というぼんやりした情報を理解できた程度である。
「いや、ええと、とりあえずよく分からないんですが、無事帰れましたし…」
答えながら手のなかのものをひとまず、お守り袋へ戻しておく。鱗は後で戒利へ渡すことになるだろうが。
そうしながら、直前まで見ていた光景を思い出す。暗い、どこともしれない異界の風景。静かすぎる水辺の風景。恐ろしい目にも逢ったが、最後にあの猫と、姿の見えない「神様」に対して抱いた感情のせいだろう、悪く思うことが出来ないのは。
(またお人よしだ、なんて呆れられるかもしれないな)
苦笑して、お守り袋の口を閉じる。
「――気にしないでください」
そう告げつつ、とりあえず――金運アップのお守りは、家族に送ろうと決める。どうやらとても良いもののようだから、自分の手元にあるより、家族の下にあった方が良い。そんなことを考えて、田村氏は顔を上げた。
「おっさん、お人よしだって言われねぇか」
しみじみとした調子で灯月に言われたが、田村氏は苦笑するだけでそれには応じず、代わりに問いかけた。
「こういう…護符? の類って、普通郵便で送っていいのかな?」
そのまま全員に、「せめて書留で送れ」と説教される羽目になった。