Princess Brave!



 甘ったるい橙色の頭が子ども達の作った壁の上に見えて、青年はため息をついた。



 ――少女の姿をして、フリルとレースをあしらった全く非実用的な衣装を着たその人物を見るなり、彼は子ども達に、常の淡々とした調子で告げた。
「…みんな。少し早いけどお茶の時間だ。フルル、おやつの用意を。クーティは小さい子達のお昼寝の準備を頼むね。それからエルディ先生に、僕の分のお茶は不要だと伝えておいて。お客の分も不要だと」
「はーい」「分かりましたぁ」
 声を掛けられた年長の少年少女が頷くのを確認して、彼は、客人への好奇心を隠そうともせず振り返り振り返り去っていく子ども達の背を見送る。そうして最後の一人がドアを閉めると、やっと、自分を訪ねてやってきた客人の方を見やった。
 少女の――形だけは、十代半ばの少女の風貌をした客人は、子ども達をあしらう彼をにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて眺めている。その視線に初めて居心地の悪さを覚えたのは何年前だったか、と思案しつつ、彼は気付かぬ振りをして、客人に頭を下げた。
「…何年振りですかね。お久しぶりです、オラディア様」
「ふゥん、他の『オラディア』に聞いてたけど、ホントに子守が板についてんじゃアないのさ。…三十年ぶりくらいかい、チビ」
「チビはやめてください」
 また、ため息。チビ、と呼ばれた人物は、僅かに不機嫌そうに鼻の頭に皺を寄せたが、すぐに常の淡泊な表情に戻った。
 チビと呼ばれるほどに、彼は小さくない。――人間でいえば二十歳かそこらの年齢だろう。ほっそりとした体躯は男性としてはかなり華奢だが、身長の方は平均程度にはあるようだ。
「ンふふ、悪い悪い、悪気はないわよゥ?ただまぁ、しばらく見ないうちにすっかり大きくなったんで驚いただけさね。…なぁ、ヨル」
 オラディア、と呼ばれた少女――めいた人物は、くくく、と、悪い魔女みたいな声で笑った。薄紫の瞳といい陶器のように白い肌といい、整った可愛らしい顔立ちといい、外見だけはロマンス小説から抜け出してきたお姫様のようなので、その言動がことさらに目立つ。
 とはいえヨルにしてみれば、三十年ぶりに会うとはいえ、彼女の言動などとうに慣れたものだ。動じた風もなく、ただ、肩を竦めた。
「何の御用ですか。あんたが、面白半分で僕を冷やかしに来たとも思えませんが」
「いやァ、案外、ただの冷やかしかもよぅ?お前さんが子守をしてる姿を見たかっただけ、とか…」
「――或いは、孤児院を襲撃されて、へこんでるんじゃないか、とか?」
 台詞を先回りされ、オラディアは不機嫌そうに鼻を鳴らした。口元には相変わらずにやにやとした笑みが貼りついていたが。
「ンン、アタシの性格、分ってンじゃないのさ」
「当たり前です」
 淡々と返され、オラディアはつまらなさそうに口を尖らせて見せた。が、矢張り少年の対応は淡泊なままだ。
「やァだつまんないの。…孤児院ぶっ壊されて、もっと落ち込んでるかと思ったのにさ」
 ――元々、ヨルと先程の子ども達は、この町の人間ではない。一ヶ月ほど前に住んでいた孤児院を何者かに襲撃され、その際に孤児院が完膚なきまでに破壊されてしまったため、やむなく、子ども達を連れて遠方の知人の元に身を寄せていたのだ。
「落ち込んでますよ、これでも」
 正確には「肩身の狭い思いをしている」と言った方が正しいかもしれない、と彼は胸中だけで呟いた。この孤児院の持ち主である知人は、幾らでも居てくれて構わないと笑っていたが、子ども達はそうもいかない。元の孤児院を恋しがっている子どもも少なくないし、それに矢張り、金銭面での負担もある。
 とはいえ、それを目の前の女に告げるつもりもなかった。
「…どうにか、元の孤児院を再建するお金を工面しないといけませんしね、胃が痛いったらありゃしない」
「それだけかい?」
 にやにやと――例の意地の悪い笑みを浮かべている女の目がきらりと光ったのを、ヨルは見逃さなかった。何を企んでるんだろう、という一抹の不安が頭をよぎる。
「どういう意味ですか」
 警戒も露な彼の問いに、オラディアは、心底楽しそうに、告げた。
「あんたンところの『院長先生』が、今何所に居るか、知りたくなァい?」
 ――その言葉に対するヨルの反応は、舌打ちだった。
「知ってるんですか」
「ンふふぅ、当たり前じゃないのよン。アタシ、これでも【レガスの長】なんだよ?」
 心地よさそうに。心の底から心地よさそうに女は声をたてて笑った。不快と焦燥を見せたヨルの反応が楽しくて仕方がない様子だ。
「この間の襲撃で、『院長先生』が行方不明になったのも、あんたがそれを探しに行きたくって仕方がないことも、アタシ、ちゃぁあんと知ってるんだから。ウフフフフ!」
「……わざわざ、使いを出さずに自分で伝えに来たのは、それが理由ですか…何が条件です?」
 悪寒を覚えつつも、ヨルが不愉快そうに問うと、女は笑いの残滓を口元に貼り付けたまま、高らかに告げた。

「条件はねェ、あんたが悩んで苦しむことだよ、『ハニー』」

 次の瞬間――オラディアが居た空間が、砕けた。
 突如として現れた青い狼が、彼女のいた場所をかみ砕いたのだ。哀れ、彼女の腰かけていた椅子は跡かたも無く砕けたが、オラディアは一瞬でその場を飛びのいていた。大仰な仕草で、彼女は嘆いてみせる。
「やだねェ、長に向かっていきなり攻撃仕掛けるなんて、アタシにもしものことがあったらどうしてくれるのさ?」
「どうもしやしないよ、オラディア・レィラ・レガス。レガスの長よ。あんたはどうせ何をやったところで死にはしないし、死んだところで、世界をバカにするみたいに蘇って見せるんだろ」
 淡々とした口調にはどこにも怒りは見えず、だが、彼の傍に控える青い狼は、牙をむいてオラディアを威嚇し続けており、それがある意味、彼の怒りの発露と見ることができなくもない。オラディアはそれが楽しくなり、もう一度からかってみようかとも思ったが、
「…僕をそう呼んでいいのはこの世に一人、あの世に一人だけだ。…それはあんたじゃない」
 彼の発言に、ふむ、と頷いて、からかうのはやめにした。彼女は悪人であったし悪事が大好きだが、それなりに目の前の人物のことを気に入っていたので、彼を侮辱するのはこの程度にしておこう、と珍しく――ここ百年くらいで覚えがないくらいに珍しく――自重したのであった。
「まぁ、いいや。…とにかくせいぜい悩んで頂戴よ、ヨル。あんたの探し人は、帝国の辺境に居るよ」
「…情報は、それだけ?」
「あとね、<茨の城>が一枚噛んでる」
「……重要な情報をどうも」
 心底嫌そうに溜息をついたヨルに、また、オラディアが楽しげに笑った。
「楽しませておくれよ、ヨル。面白くなりそうな事件なんだよ。引?きまわして、アタシを楽しませてくれよ!」
 一説によれば、寿命という概念さえ持たないと言われる女は、けらけらと甲高く笑って、そして、唐突に姿を消した。――そもそもバケモノみたいなもんだから、とヨルはその唐突な退場をさして気にも留めず、駄目押しのようにもう一度ため息をついてから、その場で一礼して見せた。誰も居なくなった、確かに誰かが居たその空間に向かって。

「――ご照覧あれ、僕らの愛しき大悪党。…せいぜいあんたが退屈しないよう、居もしない神様にでも、祈ることにするよ」




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