Princess Brave!


 さて。
 末姫様の大脱出のあった、あの激しい一日があけて翌日。
 僕と末姫様、それに「図書館の悪魔」ことウィズ・ウィスは、まだ城下の町に居た。
 っていってもやっぱり体面とか、噂話になっちゃうと面倒とか、そういう理由もあって、僕らは場末の、城下町の外れも外れの方にある裏路地の、小さな小さな宿屋に泊っていた。
「うー…おはよ…う」
 その、記念すべき旅の、最初の朝。
 ――末姫様の寝起きはやっぱり、悪かった。
「よう、遅かったな」
 ウィズが嫌味たっぷりに言うと、末姫様が口を尖らせる。けど、末姫様は反論はしなかった。時刻で言うと十時くらい。かろうじて昼前、って感じで、確かにかなりのお寝坊だった。
「だから無理するなって言っただろ」
「無理なんかしてないわよ」
 肩を竦めたウィズに、噛みつくみたいに胸を張って言いつのる末姫様。はいはい、とウィズは取り合った様子もなくって、それで余計に末姫様はイライラしたんだろう。
「してないってば!」
「分かったよ。してないな。じゃあ明日もこれくらいのレベルの宿屋に泊まるからな、ふかふかのベッドも奇麗なシーツも期待するなよ。最悪、野宿ってこともあるんだからな」
「最初から覚悟のうえよ、バカにしないでよ!」
「…お前、野宿したことあるのか?」
 完全に、ウィズの口調は小馬鹿にしたものだった。末姫様がかっと頬を赤くする。でも反論は――出来なかった。すとん、と椅子に腰を落とす。ウィズは結局その点をそれ以上は追及せず、別のことを尋ねた。
「朝飯は?」
 ちなみにここは宿屋の一階で、夜は酒場を兼ねている。この辺だと割と珍しくもない構造の宿だ。で、朝はこうして朝食も作ってくれる訳だ。訊ねたウィズの前には、空になった皿が置いてあった。
「…っ、食べるわ、よ!」
 末姫様は涙目になって、カウンターで眠たそうに頬杖をついていた宿の主の方へ行ってしまった。ウィズはその背中を見送って僕を見、肩を竦めて、
「……気の強い姫さんだな…」
 感心しているのか呆れているのかよく分からない調子で、呟く。
 ウィズと末姫様はこの調子で、昨日からずっと言い争っていた。旅の目的地をどうするかということに始まって、路銀をどっちが管理するか、僕をどうするか(ペットなんか連れ歩いてどうするんだ、とウィズは言っていた。聞き捨てならないな)、挙句の果てにはウィズの髪の色――不思議なことなんだけどこれが、光の具合ってだけでもなく、本当に色がころころと変わるのだ。ウィズは「体質だ」って説明してた――やら、末姫様の年のことやら、訳の分からないことにまでケンカは発展した。
 宿をどうするか。それもまた、二人の間のケンカの種のひとつだった。
「路銀にだって限りがあるんだから。安い所で充分よ」
 と、値段を重視して、とにかく安い所に泊まろうと主張したのが末姫様で、
「…あのな。それなりのところに泊らないと、多分、お前の身体が休まらねぇぞ」
 と、それなりの値段の所に泊まることを主張したのがウィズ。
「言っただろ。俺は人の怪我を治療するような術は得意じゃねぇんだ。お前の腕、一応痛みは引いてるんだろうが、完治している訳じゃねぇ。体を休められる時に休めるべきだぞ」
「イヤよ!」
 末姫様は、頑固だった。僕としても(不本意ながら)ウィズに同意したいところだったんだけど、末姫様は結局、
「あたしは大丈夫って言ってるじゃないの!」
 ――と、押し切って、この宿に泊まることに決めてしまった、という訳で。
 そして、現在に至っている。
 僕は末姫様のベッドで一緒に眠ったんだけど、そうだね。お世辞にもいいベッドとは言えない、硬いベッドだった。もちろん、僕は小さい時から、シルクのシーツと天蓋のついた、ふかふかの柔らかベッドに慣れているから、余計にそう感じたんだろう。
 末姫様だって、きっと同じはずだ。昨夜はずい分と遅い時間まで、寝苦しそうに何度も寝返りを打っていたからね。
 昨夜の残り物のシチューと硬いライ麦パンをトレイに乗せて、末姫様が席に戻ってくる。丸いテーブルの、ウィズの反対側に腰をおろして、お行儀よくパンを千切りながら食べ始めた。そうしながら末姫様は上目づかいにちらりと、ウィズの髪を見る。強い日差しを窓から受けて輝く色は、深みのある藍色だった。
「…今日は藍色なの?昨日は赤だったり黒だったり、節操ないのね、その髪」
「体質だって言っただろ。俺のコレは」
 ウィズは呻いて、伸び放題の長い髪をひと房つまんだ。自分の目の前に寄せて、うんざりしているみたいだ。
「切るの?その髪。なんだか邪魔そうにしてるけど」
 パンを飲み込んで、末姫様が尋ねる。
「…いや。髪は魔力が宿り易いからな。伸ばしてた方が俺としては都合がいいんだ」
「へぇ、そういうものなの?確かにメイ姉さまはあんまり髪を切りたがらないわ」
「女性の髪は特に、精霊に好かれるんだよ」
 だからだろうよ、とウィズが頷くと、末姫様はますます興味が湧いてきたみたいだった。
「でも男性でも、魔族の人は短くしていることが多いわ。男の人でそんなに髪を長くしているのって、修行中の僧侶の人とか、それくらいよ?…あ、昔、お城に来た吟遊詩人さんもそんな長い髪をしてたわね」
「吟遊詩人?そんなの呼ぶのかよ、城に」
「あら、呼ぶわよ。ジプシーの踊り子さんとか、城下で話題になっていたらお城にもお招きするわ。余所の国でもそうだって聞いたわよ」
「…。ああ、成程。…ここ百年でそういう風潮になったのか」
 ウィズが目を丸くして呟いたので、僕も末姫様もはっとする。
 ――ここに居るのが、百年前に眠りについた人物だってことを今更ながらに、思い出す。
 肝心のウィズ自身も、その辺りの認識がまだまだ出来ていなかったんだろう。彼はふと眉根を寄せて、
「あ、待てよ。そうするともしかして…なぁ、髪を伸ばして願掛けする、って、最近じゃあ、やらねぇの?」
「願掛け?」
「俺の時は普通だったからそれで誤魔化すつもりだったのになぁ…参ったな。もしかして、昨日町でじろじろ周りに見られてたのって、それが原因か?俺はてっきり、お前が悪目立ちしてるんだと思ってたぞ、フィフィ」
「し、失礼ね!あたし、全然目立ってなかった…と…思うわ…よ」
 語尾が段々と自信を失って弱くなってしまったのは、末姫様ご自身のお顔が、城下の民には筒抜けのバレバレの有名人だってことを思い出したんだろうね。
 僕から言わせてもらえばね、二人とも。有名人の末姫様も、この国じゃ珍しい長い髪のウィズも。二人、同じくらい目立ってたと思うよ。
 僕の溜息は、残念ながら人間の二人には届く訳もなかった。宿で飼われているらしいよぼよぼの太った猫が、欠伸をしながら僕に目くばせする。
<おやおや、前途多難そうだね、竜の子や>
 おまけにそんな同情たっぷりの言葉をかけられて、僕はテーブルの下、小さく鳴いてそれに答えた。
<僕がしっかりしないといけないね。頑張るよ>
<ああ。ニンゲンってのは、鼻も悪いし爪もろくなもんじゃあない。お前さんがしっかりしなきゃならんよ。これから旅に出るんだろ?>
 老猫はふぅん、と鼻を鳴らして、僕ににやりと笑って見せた。
<あたしも若い頃は行商にくっついて旅して歩いたもんだがね。ニンゲンのお守りをしながら旅するってのは大変なことだよ。せいぜい、頑張ることだ>
 ありがたい忠告をどうも。僕が老猫の貫録溢れる姿に頭を下げた頃、テーブルの上では末姫様がスプーンを置く音がした。
「ごちそうさまでした、おじさん!」
「あいよ。食器はそのまま置いててくれて構わんよ」
 カウンターの宿のご主人は、何やら本を広げて読んでいた。ちらりと目をあげもせずに末姫様にそう応じる。
「…で、これからどうする?」
 食事の終わりを見て取って、今後の行動の指針を立てようとウィズが話し合いを切り出した、と、同時だった。宿の扉ががたんと乱暴に開いたのは。
 鬱陶しそうに老猫と宿のご主人が同時に片目を開けたのが奇妙におかしくて僕は笑ってしまったけど、すぐにその笑いをひっこめることになる。
 入って来たのは、旅するジプシーの一団だった。楽器を抱えた人、色とりどりの衣装を抱えた人、足取り軽い黒髪に褐色の肌――この辺りでは見ない特徴――の女の人達が耳慣れない異国の言葉を交わしながら宿へ入ってくる。顔なじみなんだろう、カウンターのおじさんと、一団のリーダーらしきおじさんとが親しげに挨拶をしていた。
「久し振りだなぁ。景気はどうだい?」
 宿のおじさんに問われたリーダーが肩を竦める。ずいぶんと生え際の後退した頭を、帽子をとってつるりと撫でて、
「いやいや、ここんとこいい感じだったのにさぁ、ティンダーリースだっけ?あそこの辺境の村行った時に偉い目にあったよ。お陰で馬車一台がおしゃか。儲けが全部吹っ飛んだんだぜ」
 信じられるか、おい、とリーダーさんは本当にうんざりしたように溜息をついた。宿のおじさんはそんな彼に水を差しだしながら、
「何があったんだい」
「魔物さ、魔物」
 リーダーさんのその返答に、やおら末姫様の眉が跳ね上がった。まずい、と僕が思う間もない。末姫様はつかつかと、二人の中年男に近付いた。
「おじさん、詳しく聞かせて頂戴。魔物ですって?ティンダーリースに?」
 ウィズが慌てて末姫様を引っ込めようとしたけどもう時既に遅しだ。腕組みをした末姫様の、僅かに滲む怒りの表情に、大の大人が気圧されたみたいになっている。
「あ、ああ。ティンダーリースとゼストセテックのちょうど境辺りだったかな。周りに何もねぇ辺境の村なんだけど」
「でも、ティンダーリース領なのね?間違いなく」
「…ああ、まぁ」
 何故彼女がそんなことに、つまり、魔物が出たのがティンダーリース領であるか否かにこだわるのかが分からないのだろう。中年男二人が顔を見合せて、それから答えを求めるみたいに、末姫様と一緒のテーブルに居たウィズを見る。もちろんウィズは末姫様の怒りの理由なんてわからないから、視線に対して首を横に振ることしか出来ない。
「魔物って、どういう状況だったの?詳しく話してくれる?」
 ――末姫様は意識していないんだろうけど、こういうとこ、人に命令をするのに慣れているなぁと僕はそんなことを考えた。多分、ジプシーさん達もそれは薄々察してたんだろうけど、僕らの事情を深く詮索しようとは思わなかったみたいだ。首をひねり怪訝そうな顔をしつつも、詳細を教えてくれた。


 数分後、青金の髪を逆立てた末姫様は宿を飛び出し、その後を料金の支払いを済ませて荷物を手早くまとめたウィズが追い掛けて行った。ちなみに僕はウィズのまとめた荷物の中に入っている。
 あわただしいね、せいぜい頑張れと、僕の背後で宿の老猫が面白がるように鳴いていた。
「おい、待てよ、フィフィ!」
「待たないわ。さっきの話、聞いたでしょう!」
 末姫様は怒っている。湖みたいな瞳の色は、そうすると深い青色になって、黄昏時の湖みたいな、静かな癖に人を呑むような迫力があった。
「ああ、お前そういうとこフィータに似てねぇよなぁ、ホント」
 呆れたみたいに、ウィズ。
「辺境の村の話だっただろ。魔物が出るのだって…まぁ少なくとも俺の時代にゃ珍しくなかったし、領主からの救援なんて、ありゃいい方だろうがよ」

 ――つまり要約すると、ウィズの言ってた通りだ。
 ティンダーリース領の辺境にある小さな村で魔物が頻繁に現れていて、村の人達は迷惑を被っているらしいんだけど、領主へ救援を乞うてもなかなか助けの手がのばされない。
 先のジプシーさん達もその魔物の被害にあった、という訳なんだけども。

「馬鹿を言うなっ!!」
 ウィズの言葉を、けれども末姫様は一喝した。ウィズが驚いたみたいに眼を丸くして足を止めてしまう。が、末姫様は一向気にかける様子もなく、ずんずんと、地面をたたきつけるように踏み抜きながら、町の雑踏を歩いていってしまった。雑踏の人達も何だか気圧された風で、末姫様に道を譲っている。
「な、何なんだよあれ…」
 と言いつつ慌てて後を追うウィズに僕もきゅう、と小さく鳴く。末姫様は元々大変気性の激しい方ではあるけれど、僕もああいう風に怒りを見せる姿はあまりお見かけしたことがない。
 ――確か過去に一度、国議会議員が賄賂を要求してたって話を聞いた時以来だな、あんな風にお怒りになるのは。
「…領民を守るのが領主の勤め。それに加えて――ティンダーリース領はねっ、王家直轄地なのよ!」
 やっとウィズが末姫様に追いつくと、まだまだ怒りの収まる様子のない末姫様が唸るようにそう言う。噛みつくみたいにウィズを見ているけど、ウィズに噛みついたって仕方無いのになぁ。
「名目上だろ?王家直轄っていっても、実質納めてるのは代々ギレム、エンゼン辺りの王家と縁のある公爵家…」
「……ウィズ、そう言う話には詳しいのね」
「図書館に腐るほど本があったからな」
 ああそう、と末姫様はひとつ頷いて息をつく。段々と声が勢いを失っていくところを見ると、気持が少しずつ落ち着いてこられたのだろう。
「とにかく、名目上でも何でも、あそこは王家の領地なのよ。…いくら辺境だろうが、王家直轄地の領民を泣かせるなんて、ふざけるのも大概にしとけってのよ王家に恥かかせる気なのギレムのあのハム野郎」
「………ああ、うん、何となくお前の性格がわかってきた」
 遠い眼をしてウィズは呟いた。似てるのは見た目だけだなぁという彼の独り言は僕にしか聞こえなかったが、多分、彼はようやく、目の前に居るのがかつて自分と縁の深かったフィータ様と全くの別人だってことを意識し始めたんだろう。
「それで?どうするんだ?」
「決まってるでしょ。行くわよティンダーリース」
 やっぱりそうなるのか――とウィズが頭を抱えた。
「あのなぁ…お前、そんな辺境のことなんか心配してられる状況か?一刻も早く呪いを解くんじゃねーのかよ」
「あんたこそ馬鹿じゃないの?」
 心底からバカにしたような物言いにさすがにカチンときたのか。ウィズが何を、と声を荒げようとしたのを、末姫様の冷たい視線が遮る。
「あたし達が何のためにいいもん着ていいもん食べてるのか分かってる?王族や貴族にはね、自分を捨ててでも国民を守るって誓約があるのよ。だから普段偉そうにふんぞり返ってられるの。なのにここでてめぇの身可愛さに目の前で泣いてる民を見捨てるわけ?ふざけるのも大概にしろってのよ」
 吐き捨てるようにそれだけ告げて、末姫様はまたつかつかと歩き出す。今度は置いてけぼりを食らうことなく、ウィズは半歩遅れてその後ろについた。呆れたような、それでいて楽しそうな、へんてこなわざとらしい溜息をついて彼は言う。
「お前ってほんと、変なお姫様だなぁ、フィフィ」
「ひいおばあ様には似てない?」
 皮肉っぽく末姫様が問うと、彼もにやりと笑って軽口を返した。
「いーや、言うことも考えも性格も振る舞いもまるきり違うけどな、でも、やってることだけは妙にそっくりだ」
 それから彼は二つ抱えていた荷物の小さい方を末姫様に放って寄越す。慌てて末姫様が受け取るのを確認もせず、足早に末姫様を追い越した。
「ほれ、行くぞ」
 文句を言おうと口を開いた末姫様の機先を制した格好で、ウィズが肩越しに振り返る。長い髪の毛が揺れて藍色に光った。
「まずは馬車だ。徒歩で行くには遠すぎるからな…どうした?」
「何でもないわ。ただ自分の間抜けさ加減にちょっとうんざりしただけ」
 末姫様は天を仰ぐようにして、そう応じた。――そういや末姫様は、城下町から外に出たことが殆どないんだ。どうやればティンダーリースの目的の村へたどりつけるかなんて考えもしないで、怒りに任せて歩いていたのに違いなかった。いかにも、末姫様らしい。





 交通手段をどうするかについてはまたひと悶着があった。要は無理せず金を使って素早く済ませてしまおうと言うウィズと、世間知らずのオヒメサマ扱いされることに反発する末姫様とのやり取りだ。でも結局今回はウィズが押し切る格好になり、それでもウィズはそれなりに妥協したのか、ティンダーリースの近くまで移動するという行商人の人達に礼金を支払って、一緒に乗せていってもらうことになった。
 遠方から訪れているという行商人の人たちが扱っているのは、王国の西方でよく作られてる食器類。王都で仕入れた名産の水鉱細工の雑貨。それらが丁寧に木箱に梱包されて幌馬車には積み込まれている。壊れものだから扱いはとっても丁重だ。厳つい男達がそぉっと荷物を下ろす様子を、末姫様はじっと見入っていた。
「おい、乗せてってくれるってさ」
 行商のリーダーらしい髭面の人物と交渉していたウィズがひょこりと馬車の陰から顔を出した時、末姫様は慌てて、満面に浮かべていた「興味津津」と言わんばかりの表情を引き締めた。またぞろウィズに世間知らずの何のと言われるのが我慢ならなかったんだろう。
「この子も一緒で大丈夫?」
 僕を抱きあげて確認する末姫様を、髭面の男性が笑いながら見やった。
「おや、砂竜の雛じゃねぇか、懐かしいなぁ」
「…おじさん、砂漠の人?」
「おうさ。俺の故郷じゃあコイツが馬がわりでな、俺もガキの頃、兄貴の砂竜に乗ろうとして叱られたもんさ。…しかし珍しいもん連れてるなぁ、嬢ちゃん、どこでそんなもの見つけたんだい」
「ええ、友人が――」
 言いかけて末姫様は慌てて口を噤んだ。僕は元々、砂漠の王国の姫君から、湖沼の王国の七の姫たる末姫様個人へ、友情の証として贈られたプレゼントだ。そんなことを馬鹿正直に説明する訳にもいかなくて、仕方なし、末姫様は言葉を濁す。髭面のおじさんの肩越しに、にやにやしているウィズが見えた――助けろよ、お前は。
「…ひ、ひろったんです!」
「拾った?また酔狂なもんを落とす奴が居たもんだなぁ」
 おじさんは少しばかり首を捻ったが、幸いそれ以上は突っ込んで尋ねてはこなかった。
 そんなこともありつつ、馬車は街道を進む。王都を出発する際には兵士の人達の検問もあったけど、幸い、末姫様は荷馬車の中に紛れ込んでいて兵士さん達には気付かれなかったようだった。まぁもしかすると、兵士たちを取り仕切っている王国騎士団か、一の姫様から何がしかの指令があって、兵士さん達は見なかったふりをしてくれたのかもしれない。どっちにせよお咎めもなく、末姫様と僕は、――従者も無し護衛も無しという状態では生まれて初めて、王都の外へと出たのだった。
 背後に小さくなる湖上の王城を、末姫様はそれからしばらく無言で眺めていた。ウィズがまた厭味ったらしい口調で言う。荷馬車の上は居心地も悪いが、振動の音があるので二人の会話はそうそう周りには聞こえない。
「城に戻りたいか?今ならまだ帰れるぞ」
 まるでその口調は、末姫様に帰れ、と暗に告げているような。
 少し陰鬱な彼の視線が僕は気にかかった。ただ末姫様は、残念ながらそんなことに気付くはずもなく、彼の言葉を額面通りの挑発と受け取ったのか、むっつりと眉を寄せる。
「馬鹿にしないでよ。あたしを誰だと思ってんの?」
「フィータの曾孫で、アホみたいにプライドの高いお転婆な姫さんだな。今のところの印象は」
「…ひいおばあ様はどうだったのよ」
「あいつは…」
 彼は一瞬、何かを言おうとしたようだった。けれどすぐに――まるで何か、冷たいものを唐突に踏んでしまってびっくりしたみたいに――強く瞼を閉じて言葉を飲み込んでしまった。
「……いや、何でもねぇ。少なくともお前とは違ったよ…中身はな」
「悪かったわね、中身がこんなんで」
「そう卑下するな。中身まで一緒だったら俺が困る。俺の人生に、フィータみたいな女は一人で充分だ」
 その言葉は、本当に本当に彼の心底からの本音だったようだ。吐き出すように呟かれた言葉は馬車のがたがたという振動に紛れずにやけにはっきりと僕の耳に残り、多分、僕を抱きかかえた格好の末姫様の耳にも同じように残ったんだろう。そろそろ森の向こうに見えなくなりつつあるお城から視線を放して、末姫様は目の前のウィズへと視線を移す。
「あなたはひいおばあ様のこと、好きだったの?」
 末姫様のそんなストレート過ぎる質問に、ウィズは苦笑して、末姫様の額を小突いた。
「――お前はガキだなぁ、フィフィ」
「何よそれ」
「そういうのを不躾とか無遠慮とか言うんだよ。覚えとけ」
 もしかして。
 この人は本当に(お伽噺の中で悪魔が美貌の姫君に一目ぼれしてしまったように)心からフィータ様を好いていたのではないだろうか。
 僕はこの時初めて、ウィズに対してそんな推測を抱いた。それまでは何がしか縁のある相手だったのだろう程度にしか思っていなかったのだ。
 末姫様の方はどう思ったのか分からない。彼女は唇を尖らせて、「フィフィって呼ばないでよぅ」と弱々しく抵抗しただけだった。ただウィズにそのことを突っ込んで尋ねようとしなかったところを見ると、それでも何がしか感じる所はあったのかもしれない。それきり末姫様は何かを考え込むように黙り込んでしまわれた。
 がたがたごとごと。しばしの間二人の間を沈黙が流れる。合間を埋めるように荷馬車の騒々しい音だけが響いていた。



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