これは、遠く他所の国の、遠く古い御伽噺――




 遠くから響く細い楽の音。王城の広間では今頃、華やかなダンスパーティが開かれているのだろう。優しい音色は久方ぶりに出番を得た王宮楽師のみんなが張り切っているのだろうと想像がつく。僕は欠伸をして、そうして、目の前で蹲っている小さな末の姫様を見た。
 宴の音が聞こえるのに、末姫様が此処に居る、ってことは、つまり、末姫様はパーティを抜け出してここでサボっている、と言うことだ。
 末姫様の柔らかな巻き毛は青交じりの金色で、まだ小さく細い肩の上でゆるゆると波を描いている。肩をむき出しにしたパーティドレスはきっと寒いのだろう、彼女はショールをしっかりと握り締めている。薄い闇の中で僕を見ている瞳は、鮮やかな薄い水色、今は見えないけれど、お城を取り囲む美しい湖の湖面と同じ色だ。その大きな瞳と相まって、幼い顔立ち。頬に浮いたそばかすがその印象を強めている。美人、って言うよりは、可愛い、って言う印象の強い容姿だろう。
 彼女はこのお城の王様の七人の娘の一人。その末の妹姫様でいらっしゃる。
 だから「末姫様」って僕らは呼ぶ。
 高貴な方だからお名前を軽々しく呼んではいけないのよ、と言うのが僕の育ての親でもあったムーメの教えだ。ムーメは牝牛で、もう随分な年寄りなんだけど、僕も僕の兄弟もムーメのお乳で育ったから、ちょっぴり古臭いことも言う頑固なこの乳母の教えは守る事にしている。
 末姫様は、僕の羽毛をしっかりと抱きしめて、僕に頬を寄せた。小さな末姫様でも、僕の身体は軽々と抱き上げられてしまう。
「…私、嫌だな」
 何が?姫様、何か嫌な事があった?また爺やさんに嫌味を言われたのだろうか。それとも歴史の先生かな。
「ううん、違うの。…いえ、爺やは確かに、今晩も煩いのだけど…だから逃げてしまったのだけど」
 末姫様は深い深い溜息を、吐き出した。傍らの藁の中で眠るムーメがちらりと目を上げて、それからまた目を閉じる。
「末姫様、」
 そうしてムーメは年季の入ったチェロの音みたいな声で、末姫様に声をかけた。
「なぁに、ムーメ」
「駄目ですよ。レディがパーティの最中に、このような場所に居ては。折角のドレスが台無しです。」
「でもムーメ、私、パーティは嫌いよ」
 末姫様が口を尖らせる。ムーメがその深い音でころころと笑った。楽の音も綺麗だけども、ムーメの笑う声も楽器の音のよう。
「お小さい頃はパーティともなれば、陛下や妃殿下の止めるのも聞かずにはしゃいでいらしたと言うのに!末姫様、いつからパーティがお嫌いに?」
「たった今、今夜から!」
 末姫様は僕を少し強く抱きしめて、力強く宣言した。これにはたまらず僕も笑ってしまったけど、ムーメは苦笑のような物を漏らしたようだ。
「末姫様、ダンスはお上手ですのに」
「ダンスは好きよ、上手に踊れた時は楽しいもの」
「パーティのお食事も大好きでしょう?」
「いつもと違うものが食べられるのは楽しみだわ」
「ドレスだって、お嫌いではないでしょう?」
「動き難いけれど、私だって場を弁えるくらいは出来てよ。乗馬服で会場に出る訳にはいきませんもの」
 憤然とした様子で末姫様はそう答え、小さく、「コルセットと化粧は嫌いだけどね」と付け加えたが、そんなのは末姫様が小さい頃からずっと言っていることで、今更「パーティが嫌い」なんて言い出す理由にはならない。ムーメが核心を突くように、低く問い掛けた。
「では、何故パーティがお嫌いに?」
 末姫様は、僕の背中の羽毛に顔を埋めて、泣きそうなか細い声で、お答えになった。

「だって、」

 僕の羽毛がか細い吐息に吹かれてちょっとくすぐったい。僕は身を捩って、末姫様の腕からぽとりと牛舎の藁の上へ落ちた。それと一緒に、末姫様の、途方に暮れたような言葉も落ちて来る。

「…誰も彼も言うのよ、私の顔を見る度に――『ご婚約はまだですか、ご結婚は?』」

 末姫様も、「お年頃」だ。
 まだそばかすの浮いた顔立ちは子供っぽいけれど、これでも御年十六におなりだ。十六ともなればこの国では結婚適齢期で、ましてや彼女は一国の姫君。いわゆる「政略結婚」の道具として――そんな風に言うのは僕も胸が痛むのだけど――扱われることだって珍しくない。
 とはいえ、だ。

「私、ねえさま達のように、恋をしたいわ、ムーメ。…本当に好きな人に出会って結ばれて、幸せな結婚をするの」

 彼女は夢見るようにうっとりと宙を見上げてそう言い、想いを巡らせているのだろうか、そのままぼうっとして動かなくなってしまった。
 この国の、末姫様の上のお姫様達は、その殆どが既に結婚していらっしゃる。それも、本人が決めた相手と、当人同士の話し合いで婚約を取り決めているのだ。つまり殆どが、王族には――それどころか貴族でだって珍しい「恋愛結婚」をしている。
 まぁ元々、「吹けば飛ぶような小さな田舎の国」だ。この国の姫君をわざわざ娶ろう、なんて考える人間はなかなか居ないし、何よりこの国自体、それほどの価値がある場所でもない。何となく侵略もされず、戦略的価値も無いので戦争にもほとんど巻き込まれず――大陸の片隅、小さな小さな田舎の国は、産業の農業と、それからちょっとした「特技」だけを頼りに、強国同士の競り合いを尻目にどこかのんびり生き延びてきたのだ。
 だから姫様達が「お父様お母様、わたくしこの方と結婚いたします」なんて言い出しても、国王陛下も王妃殿下も「あらそうなのおめでとう」と返すだけ。いたって平和、いたってお気楽。それがこの国の王族の性格であり、同時に国民性でもあるのかもしれない。
 ともかくも、そうやって無事に結婚相手を見つけて来た姉姫様達を見て、末姫様は「あんな結婚がしたい」という夢を持つに至ったようで。
 それなのに肝心の出会いの場であるパーティで、王族の姫様とお近づきになろう、あわよくば――なんて連中ばかりが群がってくるもので、すっかり幻滅してしまった、と、そういう次第なのだった。


「みんな下心が見え見えなのよ!紳士たるもの、もっとステキにエスコートして下さらなきゃ」
 何を思い出しているのか、憤然としながらそう言う末姫様に、ムーメは穏やかに笑うばかりだ。
「もう、最悪。最低。二度とパーティなんて出るものですか。あんなギラギラした目の野獣どもなんかと誰が――」
「末姫様、」
「…分ってるわよ、『お城の中で下品な下町言葉を使わないように』でしょうムーメ。聞き飽きたわ。」
 末姫様は七人姉妹の中でも特別、好奇心旺盛で行動力も人一倍だ。王城をこっそり抜け出して一人で――正確に言うと僕と一緒だったので、一人と一匹で、城下町へと出かけることもしばしばで、だから、フツウは高貴な身分の人なら顔を顰めるような下品な物言いもしっかり習得している。
「でも、此処なら貴方達の他に誰も聞かないでしょう。言わせて頂戴。私、本当に腹が立って腹が立って!私をそこらの馬鹿で化粧とドレスの流行にしか興味の無い姫君なんかと一緒にしないで欲しいわ!」
「『馬鹿』って。貴女もお勉強は苦手でしょう、姫様」
「それは言わないで」
 ムーメの指摘にそっぽを向く末姫様。そうしてそっぽをむいたまま、僕の羽毛に口元を埋めると彼女は小さく愚痴を付け加えた。
「…嫌だわ、私、あの中から、結婚の相手を選ばなければならないのかしら。」
「末姫様…」
 これにはムーメも困ったようだった。どんな言葉をかけたら良いのか、僕も分らなくて、末姫様の顔を見上げる。水色の瞳を伏せた彼女は、酷く憂鬱そうに見えた。いつもキラキラ輝く瞳が翳っているのを見ると、僕まで気が塞ぎそうだ。
「チクショウ」
 全く姫君にあるまじきその愚痴がぽつりと牛舎に落ちる。
 ――間の悪いことに、姫様を探していたらしい爺やさんが、姫様お気に入りのこの牛舎へやって来たのはこの呟きの直後だった。白髪のめっきり増えて、けれどしゃんと背筋を伸ばした爺やさんは、薄暗がりでも分るくらいに血相を変えて飛んで来た。
「姫様!ああ姫様、なんて場所に!いえそれよりも先程の言葉は何ですか!」
「げっ」
「何ですかその下品な物言いはっ!!しかもドレスが汚れて…全く、貴女は何を考えていらっしゃるのです!!」
 末姫様は、僕とムーメにだけ見えるようにちらりと可愛く舌を出して見せ――それもまた、爺やさんに叱られる「下品な振る舞い」だ――そうして、藁塗れの裾を掴んで優雅に一礼してみせた。皮肉っぽく口元を微笑ませ、
「あら爺や。パーティはもう終わったのかしら?」
「終わっておりませんぞ。本日のパーティはそもそも、姫様のお相手を探すのが目的の宴!だと言うのに肝心要の貴女様が居られないようでは、パーティを終えようもありません!」
 嘆かわしい、とその場で高血圧で倒れそうなほど興奮して言い募る爺やさんに、姫様がちらりとうんざりしたみたいな顔をした。
「…分ってるわ、分ってる。だから皆様にご挨拶は済ませたでしょう?」
「貴女とダンスを、と仰る殿方が沢山いらっしゃるんですよ。だと言うのに、姫様ときたら、公爵様のご子息の申し出をこっぴどくお断りになられて…こんな所に逃げ込まれて」
「あのハム男、ねー」
 小さな姫様の呟きに僕とムーメは思わず噴出した。ハム男、と名づけられた公爵様のご長男は、確かに、お城の厨房で料理長が時々切り分けているハムの塊そっくりの殿方である。
「まだ結婚してらっしゃらなかったのですねぇ、あのハム…じゃなくて、ギレム公爵様のところのご子息」
「何を暢気な。ギレム公爵家と言えば家柄も申し分なく、財産、領地も貴族随一。一番の優良物件にて御座いますよ末姫様」
「アレが一番…つか爺や、『優良物件』って」
 末姫様が眩暈を抑えるみたいな仕草をした。まぁ、気持ちは分らないでも、無い。
「他に爺やのお勧めは、外務大臣のギィ閣下のご子息ですね。アレなら顔も申し分無く。家柄は少々劣りますが…」
 ちなみにこの国では、平民・貴族双方から選挙で議員を選んで運営する議会というものが存在している。家柄が云々、って爺やさんが言ったのは、そのご子息とやらが平民出だからだろう。とはいえ、商売を成功させたり、政治家としての腕が良かったりして(この王国では試験に受かれば誰でも政治家になれる)下手な貴族よりよっぽど金持ちな平民だって居るから、その辺りの差別意識は薄いかもしれない。
 が、末姫様はこの爺やさんの提案にすげなく一言。
「やーよ。ギィの息子ってアレでしょ女癖が悪いんで有名な」
「ひ、姫様!どこでそのような情報を…」
「メイドの皆に聞いてみなさいよ、爺や。大抵の男の評価は、メイドの皆が一番知ってるわ」
 腰に手をあて得意そうに言う末姫様に、爺やさんは一瞬、納得したように頷きかけ、
「……今はそのような話をしている場合では御座いません!!」
 はっと我に返った様子で叫ぶ。ち、と末姫様が舌打ちをしたが、これは幸い爺やさんには聞こえなかったようだ。聞こえていれば説教があと十分は続いただろう。
「とにかく末姫様。会場へお戻り頂きますぞ。ドレスと御髪を整え直してから、せめて一人でもよろしいですから殿方とダンスなりお話なりして頂きます。でなければ示しがつきません!」
 言うなり爺やさんが、細い末姫様の腕を掴む。引き摺られるようにして末姫様が牛舎から引っ張り出され、足元で藁が散った。末姫様に抱えられた僕も一緒に、牛舎の外へ出ることになる。
 爺やさんが僕の存在に気付いて顔を顰めたが、末姫様のお気に入りのペットである僕を無理に引き剥がして、末姫様と再び言い合いになることが嫌だったのだろうか。何も言わず首を振って、再び、末姫様を廊下へと引っ張り込んだ。
 メイドが数名、藁まみれの末姫様に笑み混じりの声をかける。彼女達の間でも、末姫様のお転婆は有名なのだ。
「末姫様ってば、駄目ですよぅ、せめてパーティが終わるまで待たなくちゃぁ」
 少し間延びして、子供のようにおっとりした調子で話しかけるメイドの一人に、爺やさんが軽く睨みをくれ――きっと先程の末姫様の言葉を思い出し、彼女に要らぬ情報を吹き込んだ相手を察したのに違いない――末姫様がにやりと、笑う。
「だってさ、ロクなの居ないんだもん」
「ぜーたく言ったら、めー、ですよぉ」
 このメイドは、末姫様がまだ乳母からミルクを貰ってた頃から彼女を知っている。それで時たま、こんな風に末姫様を幼子を叱るみたいに言うことがあった。末姫様はと言えば、爺やさんに叱られる時みたいに舌を出したりはせず、困惑したように、ばつが悪そうに、
「…ごめんなさい、トレル。分ってるのよ、例え名目だけでも、私のお婿さん選びの為のパーティだもの。…例え好みの人がいなくったって、私が出席していなければ示しがつかないわ」
 実に素直な反応をする末姫様に、爺やさんが複雑な表情をしつつもメイドへ指示を残し、部屋を後にする。何で彼女に対しては末姫様がこんなに素直なのか、と理不尽を噛み締めているのに違いない。
「まだ諦めちゃ、だめ、ですよぉ?パーティはいくらでもあるんですもの。…さぁ、御髪を綺麗にしましょうねぇー」
 パーティは、いくらでも。
 この言葉に末姫様が希望を見出したのか、それとも、軽い失望を覚えたのかは、僕にはあずかり知らないことだ。ただ末姫様は一度、溜息をついて、
「そうね。…そのいくらでもあるパーティで、もっと素敵な人が居ればいいけどね」
 とだけ、呟いた。