パーティ会場に入った末姫様には、いやがおうにも注目が集まっている。当然だ。「お婿さん探し」という目的を置いても、表向き、このパーティは末姫様のお誕生日を祝う宴なのだから。
 衣装を換え、髪型を変えた末姫様を見て、会場の人々は彼女のしばしの不在を、お色直しのためのものだと、そう解釈してくれたようだった。近寄ってきた貴族のご婦人の一団が、さざめき笑いあいながら、末姫様のドレスのセンスを褒めそやす。
「お似合いですわ、末姫様。やはり十六にもなると、大人びてこられるものね」
 そうか、と、末姫様のお供をしていた僕は思い当たって、ご婦人の一人を見た。この方は確か、ソルウェム男爵の奥方だ。詳細は省くが、王家とも懇意で、当然ながら末姫様が生まれた時からご存知なのだ。
 彼女は末姫様の成長が、我が子のことのように嬉しかったらしい。夫人の息子さんは残念ながら既婚者だから、末姫様のお相手に、なんて躍起にもなっていない。その点、末姫様も安心したのだろう。
「有難う御座います、男爵夫人。大人びてきたかどうかは分りませんけど、ここまで健やかに大きくなれたのは、夫人のところのミルクのお陰かもしれないわ」
「あら、そう仰ってくださると嬉しいわね」
 夫に伝えておきます、と丁重に礼を返して、男爵夫人はそこで、扇を広げて末姫様の近くへと寄ってきた。貴族の淑女の皆さんが、他人の恋や不幸やその他諸々、楽しい噂話に興じる時にお約束の格好だ。内緒話をするように末姫様の耳元で、男爵夫人はこう問い掛けた。

「それで姫様、今日のパーティに、御眼鏡に適う殿方はいらっしゃって?」

 ――末姫様の反応は、言うまでもなく、うんざりとした溜息だった。「勘弁して…」と溜息がしっかりと物語っている。
 実はこれで、既に五度目の問いかけだった。「どなたかとダンスを?」とか、もっとストレートに、「あの方はお勧めですわよ」とか「うちの息子なんかどうかしら」と実に積極的に売り込みを仕掛けるご夫人方もいらっしゃる。これは、王家の姫君と婚約することで色々利益が得られることを期待している人達。末姫様が一番嫌う人達だけれど、残念ながら事実として、貴族にはこういう方々が大変多い。
 冗談じゃないわと口の中だけで、末姫様は呟いたようだった。また、ムーメに叱られるような、こんな煌びやかな王宮には不似合いな言葉を口にしようとしたのに違いない。寸前で思いとどまったように、彼女は、侍女の一人からグラスを受け取り、それを一息に煽った。勿論だが、中身はノンアルコールのジュースである。
「末姫様、あの…私とダンスを、如何でしょう?」
 その時、果敢にも一人の青年が進み出て彼女の前に膝を折った。ざわりと、群集がざわめく。
 実はまだ、末姫様にダンスを申し入れた男性は居なかった。それというのも、実は一番最初に末姫様にダンスを申し込んだ貴族の殿方――ちなみに末姫様はすっかりその存在を忘れているらしいが、ギレム公爵家のご子息、彼女いわくの「ハム男」――があんまりにもこっぴどい断られ方をしたからだ。

「ごめんなさい、わたくし、踊りには自信があるの。せめてわたくしの動きについてきて下さる機敏な方じゃないと。あなたではきっと、一曲も踊れず倒れてしまうと思うわ」
 事実なんだけどね。姫様の踊りは、姫様の性格が出るのか、動きが激しい。そもそも舞踏会のダンスというのは、あれで結構な重労働なのだ。
 
 ともかくもあんなこっぴどい振り方をした末姫様は、あの一言で周囲によろしくない印象を植え付けてしまったようだ。そんな状況で、彼女にダンスを申し入れた勇気ある男性の姿を一目見ようと、会場中の視線が一斉に一点、末姫様の前に現れた殿方へと集まった。
 進み出た男性は、いかにも貴族らしい、手入れの行き届いた少年、だ。銅色の髪の毛を少し長くして、それを後ろで一つに結わえている。濃紺の衣装に、ブーツは一度も土を踏んだことのないようなぴかぴかの琥珀色。年のころは末姫様と同じくらいだろう。
 僕はその顔を見上げ、一体どんな身分の方だったかと思い出そうとした。だが、不思議なことに、見覚えが無い。
(誰だろう、この方…?)
 僕が不審に思っていると、さざめく群集の中から聞こえた、興奮したようなご婦人方の内緒話が耳に入って、疑問は解決された。

「なんてことかしら。あの方、帝国のティグ皇子ではなくって…?」

 ――この小国の近くで、最近、優れた軍事力を背景に勢力を伸ばす「帝国」と呼ばれる国がある。確かに、王族の誕生会なんて大きな宴であることだし、近隣の王家の人間も招待されていておかしくはなかったけれど、まさか、今飛ぶ鳥を落とす勢いの「帝国」からも客人が来ていたなんて、僕も初耳だった。
 末姫様はどうなさるおつもりだろう、そう思ってちらりと見遣った先で、
「…まぁ、帝国から遥々いらしてくださったのですね。ご挨拶も申し上げず、失礼しました」
 どうやらとりあえず、当たり障りの無い挨拶をすることにしたらしい。
「代理人の方がいらしていると聞いていたのですが…何故、皇族の貴方が?」
「ええ、私は代理です。お招きに預かった兄が出席できなくなりましたので」
 仮にもあの大帝国の皇族だ。近隣国であることを配慮して、この国から招待状は届けてあったが、当然、本来ならば帝国は代理人を寄越して終わりだろうと思われていたし、実際そうなるはずだった。小国の、それも一番末の姫君の誕生日なんて、帝国にはおよそ関わるメリットがない。
 ところが「代理人」としてやって来たのが、やはり皇族の皇子様だというのだから、姫様もさすがに驚いたみたいだった。
 皇子様、ティグ様は朗らかに微笑んだ。子供っぽい雰囲気の抜けない末姫様と対面しているせいかもしれないけれど、その表情は末姫様よりはるかに大人びて見える。
「不意打ちのような形になって申し訳ない。本当なら事前にご挨拶申し上げるところだったんですけれど」
「まさか、我々の手違いでしょうか」
 この言葉に、場が一気に緊張感を孕む。
 ――小国に過ぎないこの国の王家が、帝国の皇子に不手際、なんて発覚したら、下手をすれば戦争にもなりかねない。少なくとも外交問題にされるだろうし、そうなった時、軍事力なんてほとんど近くのモンスター退治が出来る程度、のこの国が、どれだけの不利に晒されるか。
 けれど幸いにして、朗らかに笑む皇子様は、悪戯っぽく首を傾げて、
「いいえ。いいえ。こうやって不意打ちをした方が良いかと思って、そちらには今まで私の身分は伏せていたんです」
 くすくす、楽しそうに笑っている。
 どうやら不手際ではなかったらしいとほっと安堵するその場の一同を他所に、末姫様だけが緊張した表情を崩さなかった。それで僕も、何となく緊張したまま、二人を見上げていた。
「…何故、その様な真似をなさいました?」
「勿論、」
 彼は末姫様の顔を覗きこみ、再び手を差し伸べ、

「不意打ちをした方が、きっと貴女の印象には残るでしょう?…他国の者が、貴女の婚約者候補に名乗り出ることを、禁じる法は…まさかこの国にはありませんよね」

 末姫様は目を丸くし、それから、溜息をついた。今日の間に何度も聞いた、あのうんざりしたような溜息ではない。それは、詰めていた呼吸を吐き出す、それだけの呼吸の音に過ぎなかった。表情が感じられない。
 彼女は青い青い瞳を鋭く煌かせて、目の前の、強国の皇子様を見ている。そして。

「…では、一曲。」

 ――その手を、取った。

 会場中の注目の中、二人が優雅に踊り出したその時。
 僕がふと見遣った先で、一人のご婦人が、思わず僕が警戒音を出したくなるような物凄い形相で、扇の陰から、二人の姿を、姫様の姿を、睨んでいた。暗褐色の瞳の中で暗い炎が燃え上がっているようで、僕は心底から恐ろしくなり、末姫様の方を心配の余りに、見遣った。あの視線だけで姫様がどうにかされそうな、そんなありえないことを案じてしまったほど、彼女の視線は恐ろしかったのだ。
 そうして目を逸らした一瞬の間に、彼女はどこかへ、消えていた。
 会場から出て行ったのだろうか。誰も彼も似たように着飾った会場の中で、もうあの凍るような恐ろしい目と、ぶつかることはなかった。


 パーティの夜。
 結局、末姫様がダンスをしたのは、この悪戯好きな帝国の皇子様だけだ。
 いや、本当は、もう一人――居たのだけれど。これは僕と末姫様しか、知らない。会場の誰も、爺やさんも、ムーメも、知らない。



 ワルツが終わり、末姫様は軽く息を切らしながら皇子様に一礼した。そして、きっぱりとこう言ったのが僕には聞こえた。
 多分、多くの人々は彼ら二人の踊りの美しさに溜息をついたり賞賛を送ったりするのに忙しくて、聞こえていなかっただろうけれど。

「折角面白い演出でしたのに。その一言で全て台無し。せめてわたくしを落とそうと言うのなら、わたくしの性格くらいは事前に調べておいて欲しかったですわ、帝国の方」

 皇子の名を呼ばず、ただ「帝国の」と嫌味たっぷりに言った辺りに、末姫様の意思が現れている。あの皇子様にダンスの最中何を言われたのか僕には想像もつかなかったが、末姫様の意図は明らかだった。
 仮にも強国の、皇位継承権の優先度が低い皇子様といえ、侮辱するようなそんな発言をして、怒らせたらどうするんだ、と僕はハラハラしたのだが、皇子様が何か言おうとするのを遮って彼女はこう続けた。にっこり、「淑女らしく」微笑んで。

「…そして貴方はこの程度の侮辱で、わたくしの国を不利にしようなんて卑怯な真似はお嫌いでしょう」

 皇子様は――この言葉に、目をぱちくりさせて、それから驚いたことに、声を立てて笑い出した。いきなり笑い出したように周囲には見えたのだろう、ぎょっとした様子で周りの注目が集まる。中には気の早いことに、「末姫様は帝国に嫁がれるのかしら」「あら大変、とんでもない玉の輿ね!」と騒ぎ出す淑女たちも居たけれど。

「あははっ!…はは…はー。本当だ。どうやら研究不足だったようだね、誇り高き姫君!」
「お褒めに預かり光栄ですわ、帝国の皇子様。ご理解頂けたら、こんな気の強い扱いづらい女ではなく、もっと貞淑で可愛らしい方を選ぶことをお勧め致します」
「いやいや、とんでもない。――ますます気に入ったよ、フィーナ・フィーディス、王国の七の姫君」
 ――おやま。とんでもないこと言い出したよ。
 このとき僕が考えていたのは「末姫様が帝国に嫁いだら僕もついていくのかなぁ」ということだったが、あいにくと僕はそれが現実になるとも考えては居なかった。末姫様の性格なら、まだ乳母からミルクを貰ってた頃からよく知っているんだ。
 そして僕の予想通り、彼女は微笑んだまま、言い放った。

「お帰りください、帝国の方。そしてどうか、我が国のことも、わたくしのことも、そっとしておいてくださいませ。」

 幸いこのとんでもない台詞は周囲には聞こえていなかったようだ。二人が離れると、途端、わっとばかりに末姫様の周りを人々が取り囲んだ。
 帝国に姫君が嫁げば、強国がこの国のバックについてくれることになる。小国でしかないこの国には心強いことだろう。皆がそんなことを期待しているのが目に見えるようだ。
「凄いわ、姫様!玉の輿じゃありませんか」
「そうですよぅ、帝国の皇族って言ったらものすごいお金持ちらしいですよ!」
 既に帝国に彼女が嫁ぐことを前提としたみたいな、つまり、「帝国と商売したいんで口利きして欲しい」だとかそういった気の早いお願いまでも飛び交い始め、末姫様はその喧騒の中をやっぱりうんざりした表情で掻き分けていった。ドレスのままで、ほとんど走るようなスピードでテラスへと向かう。
「…ごめんなさい、一息つきたいの。少し一人にしてくださるかしら」
 末姫様の言葉に、人々は名残惜しそうにしながらも、めいめい勝手なことを噂したり、話したりして離れていった。

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