末姫様が連れてこられた場所は、王城の北の端にある塔の一室だ。薄暗い石造りの廊下を進むと、何重にも鍵をかけられ、更には魔法の力でも封じられた部屋が、ある。
 この塔は、昔、百年以上前には、犯罪を犯したり――と言うか、権力争いに負けて犯罪者に仕立て上げられた人が殆どなのだけど――或いは、「魔族」として生れてきた王族を、一時的に、あるいは一生、幽閉しておくための場所だったという。
 ――そう。昔は、王家に「魔族」が生れると、その子供は忌まれ、生れた瞬間に「死産」として処理されてしまうことも多かった。
 魔族は、確かに魔法を扱うことが出来る。けれどもその力ゆえに、昔は随分と酷い扱いを受けていたらしい。
 今ではそんなのは、「時代遅れ」だ。メイ様を見ても分るけれど、王族に魔族が生れても、今ではメイ様のように普通の姫君と一緒に育てられる。他所の国ではまだまだ、王族や貴族の間では、魔族が生れることを忌まわしいことだ、と見る風潮があるみたいだけど、この国ではそういう考え方は「良くないこと」だって言われている。
 閑話休題。
 ――昔は末姫様、この北の塔で「肝試し!」なんてやっては、じいやさんや教育係のシスターに叱られてばかりいたものだけれども。今回ばかりは事態が違う。末姫様は青い顔をして、リトゥリー様が部屋に錠をかけるのを見つめていた。
「私だってこんなことはしたくないがな。事態が事態だ。」
「…分ってます、姉様」
 口では言うものの、末姫様の手は震えている。
 …ちなみに僕はと言うと、末姫様が、「侍女は連れて行かなくてもいい、この子だけは一緒に行かせて」と強硬に主張したお陰で、現在、末姫様の膝の上に居る。何も出来ない、せいぜい今この瞬間、末姫様に身体を摺り寄せて慰めることくらいしか出来ない愛玩動物の僕を連れて行くよりも、身の回りの世話をしてくれる侍女を一人連れてきた方がよっぽど役に立つと思うのだけど、末姫様はそうは思わなかった。

 ――だって、北の塔の部屋って暗いしじめじめするし、トレルを連れて行ったら怖がってしまうわ。そんなの悪いもの。

 僕と同じ事を考えて忠告したリトゥリー様に、末姫様はそう説明していた。トレル、と言うのは、おっとりと間延びした口調で喋る末姫様の一番の仲良しの侍女だ。確かに彼女はこういう場所は苦手だろう。
 リトゥリー様が何度も詫びた後で立ち去ると、それまで何とかリトゥリー様に気丈に微笑んでいた末姫様は、力が抜けたみたいに椅子に深々と身体を沈めた。
 随分と長いこと使っていなかったはずの部屋だけど、直前に急いで掃除を済ませたとかで、室内は思っていたより居心地が良さそうだ。さすがに、王族を幽閉する場所なだけのことはあって、ふかふかの寝台や高そうな椅子とテーブル、洒落たガラスのシェードの被せられたランプ、かちこちと時を刻む時計も、精緻な細工のされた凝ったものだ。ソファには真新しいクッションが並んでいた。
 末姫様は僕をそのクッションに置くと、自分はソファに深々と沈んで、天井を見たまま動かなくなってしまう。
「…あたしが、呪われてて、そのせいでお父様があんなことになってしまったんですって…」
 声がとても弱々しいのが辛くて、僕は末姫様の頬に羽毛を摺り寄せた。
「ん、ありがとね」
 僕が慰めようとしていることを理解しているんだろう、末姫様は頷いて、けれどもやっぱりその声は弱々しく、表情も暗い。
 そりゃそうだろう。今直ぐ元気を出せ、ってのは酷な話だ。
 僕はそう考えて、キュウ、と一声鳴くだけにして、彼女の傍で丸くなっていた。
 どれくらい時間が経っただろう。この部屋は、窓はあるんだけど薄暗くて、時間の感覚があやふやになってしまう。

「フィー、居るかい?」
 声がしたのは、末姫様がソファに座って項垂れることに飽きて、部屋をうろうろと動き始めた頃のことだった。若い男性の声で、聞くなり末姫様がぱっと顔を上げる。
 この部屋は、内側からは扉が開けられない。代わりに、扉には小さな小さな覗き窓がついている。そこをかこん、と押し開けて、顔を出した人物が居た。
「クアート義兄様!」
 赤毛の男性は、先程、末姫様を「隔離すべき」と提言した、メイ様の旦那様で、ついでに言うと王城のお抱え魔法使いの一人だ。勿論、末姫様とも旧知の仲である。
「うわ!?」
 そのクアートさんは、末姫様が覗き窓から顔を出すなり、失礼なことにそんな声をあげて仰け反った。きょとんとする末姫様に、半歩後ずさったまま「ごめん」と詫びてから、
「…なるほど、メイが僕を寄越す訳だ。これは酷い」
「酷いって…あたしの呪いって、そんなに酷いものなの!?」
 詰め寄る末姫様に、また半歩下がるクアートさん。末姫様はこんな場所でなければ、「掴みかからんばかりの」と言ってしまってもいいような勢いだった。…呪い云々がなくても、思わず後ずさってもおかしくない勢いではある。
 そうそう、クアートさんも、「魔法使い」であるからには当然、「魔族」である。赤毛の下にある瞳は琥珀色をしていて、魔法を使うときには瞳孔の辺りに金が混じるのを僕も知っていた。
 その金交じりの瞳には何が見えているのか。眉をしかめてクアートさんは、覗き窓に背伸びする末姫様に向かって応えた。
「ごめん。正直、僕らじゃ手に負えないと思う。」
「…そんなッ…じゃあお父様は!」
 末姫様の、悲鳴のような声に、クアートさんは答えられなかったのだろう。けれども表情暗く俯いたその様子が、何より如実に事実を物語る。末姫様はふらりとよろめいて窓から離れ、そして、薄いカーペットに苛立ちをぶつけるように一度、地団太を踏んだ。
「ちくしょう、どこのどいつだ!あたしを呪うだけならともかく…感染する呪いなんて…ッ…!」
 しかも、真っ先にその犠牲になったのは、末姫様が誰より敬愛するお父様だ。彼女の怒りと悔しさは、想像するに余りある。
 僕も、見も知らぬ呪詛の犯人とやらに、むらむらと怒りが湧いてくるのを感じていた。
「――どうして。王城の魔法使いは、王国でも特に優秀な魔法使いなんでしょ?どうして、そんなクアート義兄様が、解けないような呪いなんて…」
「…うん。僕らも情けないことに、この呪いにだけは、手も足も出ないんだ…」
「どうして!」
「――君にかけられた呪詛は、どうも、僕らの使える魔法とは根本的に違うみたいなんだよ、フィー」
 話がどんどんきな臭くなってくる。僕もころころ転がって末姫様の足元に寄り、話をじっくりと聞くことにした。

「違うって…」
「魔法がどういう原理で使われるか、知ってる?」
 問われて、末姫様が言葉に詰まる。僕も困った。魔法については、基本的な知識は習うけど、正直、扱える訳でもないし興味も無かった、というのが末姫様の本音だろう。
「…ごめん、わかんない」
「――全ての自然現象には、『精霊』という力が存在してる。炎の燃える場所には火の精霊が、水の流れる場所には水の精霊が、嵐の夜には風の精霊が居る。それは分る?」
「う。聞いたことはある…」

 義兄さんの話を要約すると、こんな感じだ。
 魔法使いが操る「魔法」とは、その「自然精霊」を体内に取り込んで自分の一部とし、制御したり、変化させたりすること、なのだそうだ。これは、「魔族」として生れた人ならば生れた時から出来ることだそうで、更に系統立てて学べば、複雑な魔法を操ることが出来るようになる。「呪詛」なんてのは、かなり複雑な手順を踏まないといけないそうで、優秀な魔法使いでなければ出来ない魔法なんだって。
 それから一人の「魔族」が操ることの出来る精霊は、生れた時からある程度決まっていて、特定の精霊以外は操れない、という特徴もある。
 例えば、三の姫・メイ様は、水や大地、それに草花の精霊を操ることが得意で、逆に火の精霊を操ることは絶対に出来ない。
 クアートさんは、火の精霊と風の精霊は操れるけども、水の精霊は操れない。
 こうした特性は生れ付いて決まっていて、絶対に変えられないのだそうだ。
 さて、問題なのは今回、末姫様にかけられた魔法なのだけども――

「『概念精霊』と言って…そもそもが、『自然精霊』とは全く異なった精霊を使った呪詛である可能性が、高いんだ」
 眉を顰め、苦しそうに説明する義兄さんに、末姫様も今回ばかりはマジメに聞いて話を理解したのだろう。難しい顔をして考え込む。
「特殊なの?それって」
「……この精霊を操れる魔族が、少なくとも今、この国には居ない」
 呻くように、彼が答えた。
「歴史上には何人か存在したって伝えられているけど、大陸中捜したとしても数百年に一人、生れるか生れないかという程に、この精霊に適応できる魔族は数が少ない。」
「じゃあ――普通の魔族の人には、この呪いは解けないってこと?お父様も…助けられない?」
 悲痛な問いに、非情な答えが返った。
「…今のままでは、恐らく、無理だろう。陛下を助けることは出来ない。」
 クアートさんの言葉に、末姫様は、かじりついていた小窓から僅かによろめいて、一歩下がった。が、そこで足を踏みしめると、
「お父様のご容態は?お悪いの?」
 それを、末姫様はずっと気に掛けておられたのだ。クアートさんはこの質問に対してだけ、初めてほんの少し安堵した風な様子を見せた。厭な質問ではなかったらしい。
「命にだけは決して危険はないんだ。それだけが幸いだった」
「本当…?」
 とはいえ、ここまで想像もつかないような事態に遭遇し続けている末姫様が少々訝しげなのは無理からぬことだろう。クアートさんが末姫様を安心させるように頷く。きっとあの鉄格子の窓がなければ、いつもそうしておられるように、末姫様の頭を優しく撫でているに違いなかった。クアートさんは昔から、末姫様を妹のように可愛がっている。
 ――そんな彼が、陛下に仇なした罪を問われて末姫様が幽閉されている姿を見るのは、いったいどれだけ辛いことだろうか。
「本当だよ。あの状態では陛下は、お話することも動くことも出来ないが、少なくとも今より悪化する心配だけはない」
「そう…」
 それが良いか悪いかはさて置き、だけども。当面は事態の悪化を心配する必要だけはなさそうだ。末姫様の、蒼白だった顔色も、ほんの少しの安堵に微笑まれたようだった。
 ほんの少しであっても、末姫様がお元気になる要素があったのなら幸いなことだ。僕は再びキュウ、と先程より強く鳴いて、末姫様に羽毛を摺り寄せた。
 はっきりと力強く、末姫様は僕の鳴き声に頷く。決然とした表情だった。

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