Princess Brave!


 馴染みの使用人に匿われていた厨房に動きがあったのは、末姫様とウィズが頭を突き合わせてどうやって脱出するかの相談をしている最中だった。
「フィフィ様!」
 サンドイッチを包んで小さな革の鞄に仕舞いこんでいた末姫様のもとへ、血相変えたエレルが走りよってくる。その後ろから、もう一人。
「ら、ラウお姉様…?」
 ぱちくりと目を瞬いた末姫様の前に現れたのは、質素なワンピースを着た、ラウトゥール様――王国の四の姫、表向きは神殿へ出家したことになっている姫君だ。
「あら、フィフィ、やっぱりエレルのところだったのねぇ。トレルのところに居ないから、もしかしたらと思ったのよ」
 おっとりとした口調は相変わらずだ。僕が挨拶代わりにころころと転がると、ラウトゥール様は頬を緩めて僕を拾い上げ、羽毛に軽くキスをしてくれた。
 嫁ぎ先の影響なのか生来のものか、ラウトゥール様は動物という動物をこよなく愛するお方である。
「お姉様、って」
 一人、事態を把握し切れていないウィズが呻く。末姫様のお姉様なんだから、そりゃあやっぱりお姫様には違いないし、今のところ、末姫様は「幽閉されてた場所を脱走した犯罪者」扱いされていることも確かで、思わず彼が逃げ腰になるのも無理からぬことではあった。そんな彼を他所に、末姫様はラウトゥール様に抱きついた。挨拶のキスをしようとして、慌てて踏みとどまる。
「ごめんなさいお姉様、挨拶は後で」
「いいのよ。でも私からキスをするくらいの時間はあるわよね?」
 にこりと微笑み、ラウトゥール様は末姫様のおでこにキスをした。それから頬に手をあて、
「あら?私、あなたに何か伝えなくちゃと思ってここへ来たのだったけど、何だったかしら」
「…、お、お姉様、あの、あたしを連れ戻しに来たんじゃ…」
「あらあら、フィフィ、あなた何か悪いことでもしたの?」
 のんびりとした口調には緊張感の欠片も見受けられない。さすがにぽかんと口を開いて、末姫様は姉姫様を見上げた。
「だってあたし、お父様が、あの、でも、」
「あ、思い出したわ」
 末姫様がおろおろと混乱するのを見ているのかいないのか、あくまでもマイペースにラウトゥール様は抱えていた僕を床におろしながら末姫様の言葉を遮って口を開いた。
「エレル、あなたは一度、部屋へ戻りなさい。あなたとフィフィが仲良しだって、城の皆は知っているもの、余計な疑いを招いてはまずいでしょう?」
「は、はいっ…」
 まずラウトゥール様は背後で青くなっていたエレルにそう優しく告げた。心配そうな表情のまま、それでも姫君の言葉には逆らえず、振り返り振り返りエレルは厨房の扉を開く。
「フィフィ様…無茶はなさらないでくださいよ?」
 最後にそう言い残して、エレルは廊下へと消えていった。
 厨房に残されたのはラウトゥール様、僕、それにウィズと末姫様。居心地悪そうなウィズをちらと見遣って、少し考え込むような間を置いたものの、末姫様が追いやるような所作を見せなかったこともあるだろう、ラウトゥール様は結局あんまり頓着した様子もなく再び末姫様へ向き直った。
「――お母様から、託けを預かっているわ」
 末姫様に目線を合わせて、ラウトゥール様はその穏やかな調子でそう、言った。
「まずはね、さっき、臨時会議があって、フィフィ、あなたをエングースの神殿へ送ることが決まりました。」
「――罪人扱いされないだけ、破格の待遇ね」
 皮肉っぽく末姫様は口の端を歪める。それを見ていたラウトゥール様は、けれども微笑みは崩さず、続けた。
「それからこれも、お母様からの伝言よ、フィフィ」
 彼女は目を閉じ、一言一句を思い出すように、

「『あなたが正しいと思うように、好きなようになさい』」

 ウィズは沈黙し、末姫様は肩を竦めた。まるでそんなこと、最初から分っていたと言わんばかりに。
「それでね、脱走したあなたを城から出さない為に、城の騎士団が動いているの。王族絡みだから、という理由で、指揮は近衛騎士団のリトゥリーお姉様が執っていらっしゃるわ」
 その彼女に、ラウトゥール様はそう言って、肩を優しく三度叩いた。幸運を祈る、という意味合いのある、獣人族の――つまり彼女の旦那様の一族の、おまじないのような仕草だ。それを知っているので、末姫様はありがとう、と姉姫様にそう一礼した。
「リトゥリーお姉様は今、どこに?」
「あの人のことだもの」
 その質問にくすりとラウトゥール様は、口元を隠しながら優しく笑った。
「きっと、兵士達と一緒に剣を握っておられるでしょうね。――ああ、それとフィフィ、これを貴女に渡そうと思っていたのだったわ」
 ようやっと、自分自身の用件を思い出されたらしいラウトゥール様は自分の袂に手を入れ、何やら小鳥の羽を使った小さな飾りを取り出した。銀の鎖で首から下げられるようになっているそれを、末姫様にそっと掛ける。
「ヒースから貰ったお守りなの。でも今、一番幸運が必要なのは貴女だもの、フィフィ」
 貸してあげる、とお茶目にウィンクなんてして見せる顔立ちは、末姫様にもよく似ていた。
「お姉様…、」
 末姫様は一度ゆっくりと息を吸い込み、それから、お守りを丁寧に、ドレスの胸元に隠した。深く頭を下げる。
「必ず、返しに来るわ。約束します」
「気をつけるのよ、フィフィ。困ったことがあればいつでもいらっしゃい。…ええと」
 そして彼女はやっと、姉妹の会話に口を差し挟む間も無く、居心地悪そうにしているウィズに気付いたようだった。にこりと微笑みかけ、
「ところでこの方、どちら様だったかしら、フィフィ?」


 ラウトゥール様が廊下へ出てすぐ、廊下からは兵士達とラウトゥール様の会話が僅かに聞こえてきた。末姫様を知らないか、と問われて、あの穏やかな様子で「さぁ、どこへ行ったのかしらねぇ」などと言われては、兵士達も疑う要素を見出せなかったみたいだ。
「…さ、今のうちよ」
 何を言ったものか、廊下の兵士を追い払ったラウトゥール様に見送られ、末姫様とウィズと、それから末姫様に抱えられた僕は、廊下を駆け出した。それまで黙っていたウィズがようやく口を開く。
「――なんていうか随分、肝の据わった姉さんだな、お前の姉とやら…いや、お前の母親もか。どんな家族なんだよ、一体」
「理解があるのよ」
 その一言でウィズの疑問を片付けて、末姫様は廊下の曲がり角に足を止めた。人の足音が聞こえたのだ。慌てて立ち止まり、左右を見渡し、隠れる場所も無いことを確認して、末姫様が臍を噛んだ。
「しまった、捕まっちゃう…」
「俺に任せてみないか?」
「――魔法?」
 末姫様の問いにウィズが頷いて、瞳を伏せる。早口に何かを呟いて、それで、何が起きたのか僕らには理解できなかったけれど、ウィズは満足げに走る足を緩めた。末姫様もそれに合わせて速度を落とす。
「久々に使ったにしちゃあ、悪くない出来だ」
「…?何をしたの?」
「外見をな。少し弄った。俺を信じて、少し黙ってろよ」
 音を立てるなよと指示して、彼は壁際に足を止める。少し躊躇した様子だった末姫様も、渋々それに従った。
 ――足音が、近づいてくる。
 末姫様が唾を飲み込み緊張に身を固くするのが僕にも分った。
 だが、近付いてきた二人の兵士は、不思議なことに僕らには目もくれず、廊下を足早に通り過ぎ、広間へと通じる扉から外へ出て行ってしまった。
「え…?」
 思わず、といった様子で末姫様が口元に手を当てる。ウィズが少し得意げに、笑った。
「音さえ立てなきゃ、気付かれねぇよ。姿を消したんだ。」
「消したって…あたしには、あなたも、自分も、見えるわよ」
 信じがたい、と末姫様が口を尖らせたのは、まるでウィズが役に立つことを認めたくない、みたいにも見える。
 ウィズはそれに気付いているのか、多分、気付いてなかったんだろうとは思うんだけど、
「何なら鏡で確認してみろよ。俺の仕事はカンペキだ。…我ながらブランクがあったとは思えない見事な出来だなぁ、惚れ惚れするぜ」
 腕組みしてしみじみ頷いたりなんかして、本当に満足そう。とうとう、愉しそうに含み笑いまで始めた。
「この調子なら、俺一人の腕でこの城、抜け出すのも簡単だぜ、『フィフィ様』?」
「……。やめてよ、その名前で呼ぶの」
 末姫様は、少し思案げに首を傾げていた。胡散臭そうに横目にウィズを見たものの溜息をついて、多分、あれは、「イヤだけど、腕は確かってのは信じるしかなさそう…」と思っていたのに違いない。
 それにしても、末姫様は、何故だか随分とウィズを嫌っているように、僕には見えた。
 よっぽど騙まし討ちみたいな格好でキスされたのが、腹に据えかねているんだろうか。いくら挨拶みたいなもんだって言っても、初対面の相手にキスするなんて、恥ずかしかったに違いない。
 三十秒ほどだろうか。廊下の壁に身を預けて思案していた末姫様は、よし、と小さく頷いた。
「よし、決めた。…ウィズ。城を出るまでは貴方に頼ることにするわ。…ただし、」
「『ただし』…何だ?」
 眉をぴくりと動かして、それでも末姫様の考えに合わせる事にしたらしい。ウィズは腕組みをした格好で末姫様の方へと視線をやる。
「――ひとつだけ頼みを聞いて欲しいの。姿を消すのは、城門までにして頂戴。」
「城門?」
 ウィズは、目をぱちくりさせてから、軽く頭をかいた。
 廊下は大きな窓に面しているから、すごく明るい。外から入ってくる午後の太陽の光の中で、その時、ウィズの髪は面白いくらい赤く輝いた。なんだか、ヒトの髪の毛って言うより、砂漠で一度だけ見たレッドドラゴンの鱗みたいな色だ。不思議だな、と僕が首を傾げる横で、ウィズは唸るように、
「城門っつったら…フツーよ、一番、見張りの数も多くて、脱出するのが難しい場所なんじゃねぇのか?」
 怪訝そうなウィズに末姫様はふふん、と鼻を鳴らして笑った。青い瞳がきらきら輝く。
「だからこそ、よ。――指揮を執っているのがリトゥリーお姉様だって、ラウ姉様はわざわざ教えてくだすったわ。そこを突けば、もっと安全に、堂々とお城から脱出する方法があるの。…あたしを信じて、任せて頂戴、ウィズ!」
 先程、彼が放ったのと同じ言葉で説得されると、ウィズは愉しそうに金の瞳を細めた。まるで猫みたいに。声をたてて笑うと、彼はふざけた仕草で、末姫様に一礼した。
 お気の召すままに、プリンセス。

-Powered by HTML DWARF-