Princess Brave!
僕らが駆け込んだ村では既に火の手があがり、村の人々が逃げまどっていた。さっきは麦畑を荒らし回るだけだったあの魔物は、今はがむしゃらに、見境なくあたりのものを壊して走り回っている。
「っ・・・」
リラさんが息をのむ。
彼女にこの光景はどう映るんだろうか。かつて自分を追い出した村と村の人たち。今も自分の妹を、騙されて呪詛に手を伸ばすほどに追いつめた人たちを、リラさんはしばし黙ってみていたが、
「…姫殿下。私が魔物を足止め致します。殿下は村の方々を避難誘導して頂けますか」
「どこへ誘導すればいいかしら」
「そうですね、外れの神殿の方へ。あの辺りは山の精霊の加護が強いので」
「分かった」
末姫様はこういう時は余計な口を叩かない。何よりご自分の状態をちゃんと把握しておられる。怪我した肩を庇いながら、末姫様は逃げる村の人たちの方へ駆けていった。
人々は混乱している。こういう時、末姫様みたいに人に命令し慣れている人は重宝されるものだ。
「落ち着いて聞きなさい!」
凛と通る鋭い声は、子供っぽい甲高さがあるお陰で余計によく通った。火の手から逃げたり、畑の収穫物をどこかへ運ぼうとしていたり、おろおろとするばかりの人たちの意識が一斉に、突然現れた女の子の方へと向けられた。耳目を集めてもそこは末姫様、特に動じる様子なんかありはしない。
「あの魔物は私たちが何とかするわ。あんた達さっさと逃げなさい。神殿の方? そっちにいけば何とかなるってあの子が言ってたわよ」
末姫様、何を思ったのかそこで魔物の方へと走るリラさんを顎で示して見せた。相変わらずのメイド服の裾を華麗にさばき、暴れる魔物に向けて腕を振るっている。ここからだと、彼女の武器のワイヤーは見えないが、それでも彼女の動きに呼応して魔物の暴れ方が鈍っているのはよく分かった。村の人たちの目にだってそれは明らかだろう。だが。
「あいつの妹が原因なのに、あいつの言うことになんか従えるのか…?」
混乱の中で誰かがそんな風に発言すれば、なし崩し的に村の人たちは口々に不信を訴えた。末姫様が(いくら年の割には貫禄があるとはいってもだ)見た目に幼い上に、余所者だった、という点も不利に働いたんだろう。
どうするの、末姫様。僕の見上げた先で、ところが当の末姫様ときたらニコニコしながら村の方達の不信を叫ぶ声を聞き流している。
そうこうしているうちに、魔物の雄叫びと同時、何かの魔術の効果だろうか。小屋のひとつの屋根が吹っ飛んだ。見えない巨大な獣の爪か何かで抉られた、ようにも、見えた。
破片がばらばらと降り注ぎ、末姫様の頬を掠める。
「何をなさってるんですか、殿下! 早く避難をなさってください!」
「あら。だって村の人達ときたら、あなたのことが信用できないって仰るのだもの」
リサさんの悲鳴じみた非難の声に、けれども末姫様がわざとらしくバカ丁寧な口を利いた。これはまずい。なんだかよく分からないが、末姫様ときたらこんな時に「とびきりのいたずらを思いついた」みたいな顔をしている。
リサさんは僅かに唇を噛むような、口惜しそうな、奇妙な表情になる。が、魔物の猛攻にそんな表情は瞬間で消え去った。
「第一お、お前だって、あの小屋に…リラの小屋にいただろう。お前だってあいつの手先に決まってる」
あーあ。気づかれちゃったよ。末姫様を指さして、村の誰かが叫ぶと、すっかり周りの人たちは遠巻きになった。腕組みをした末姫様はそれでも思い通りにいった、と言わんばかりにニヤニヤしている。それが余計に村の人たちには不気味に映ったんだろうね。正直なところ僕も不気味だ。
と、そこへ、後から走ってきたらしいウィズが現れた。何だかすごく不機嫌というか、不愉快そうに眉をしかめていたのが少し気になる。
「ウィズ。リラは?」
「はぁ? あんな状態だ、エンドに任せて来たが」
「話の出来る状態? 出来れば立ってここまで歩いてこられると望ましいんだけど」
末姫様はなおも問いかける。ウィズがいよいよ眉をしかめて、腕組みをした。
「何させるつもりだ、お前」
「あの子の負の感情がキーだって言うんなら、責任とらせるのよ。決まってんでしょうが」
「……無茶苦茶だ。うまくいく保証もねーぞ」
「そうね。でもうまくいけば儲けものよ」
そう言って末姫様はウィンクをした。ウィズがため息をつく。何だよ二人して、これから何をしようって言うんだろうか。
「俺は賭事が嫌いなんだよ…。くそ、ちゃんと失敗した場合のフォロー考えとけよ馬鹿姫」
「あら、知らないの? お姫様ってのはね、賭事には勝つように出来てんのよ、世の中」
「知るか。そんなルール、フィータだけで十分だアホったれ!」
お話に曰く「賭に負けた」ことになっているウィズは捨て台詞みたいに叫んで、くるりと踵を返した。と、その途中で思いだしたみたく振り返って、
「フィフィ。<レガス>の魔女のことはどうするんだ」
「捨て置きなさいな」
末姫様はあっさり。
「確かにとっつかまえて話聞かなきゃなんないけど、それは後回しでいいし、…あんなに強い相手だなんてちょっと予想外だったわ。そう易々と捕まってもくれなさそう」
その評価にウィズは僅かに険しい顔をしつつも腕組みを解いて、肩をすくめた。
「…まぁ<あれ>はさすがに例外クラスだとは思うけどな…。分かった。リラをここに連れてくりゃいいのか?」
問いながらも末姫様に背を向けるウィズ。末姫様が頷いたのを肩越しに確認すると、ならば許可を、と続ける。魔法を使うつもりらしい。末姫様が三度、頷いたのを見届けて、ウィズは今度こそこちらに背を向けた。
「あー…この方向で直線だな。驚かれても困るがパニくんじゃねーぞ。吹っ飛べ!」
ぶん、と伸ばした腕を振るう。同時に僕の体が転がりそうになる暴風が起きた。何事かと僕が目を開けると、そこには、ぽかんとした顔のエンド様とリラさんが居た。本当に唐突に、出現した、としか表現しようのない登場である。当然ながらそれを目撃した村の人達が今度こそ悲鳴を上げて末姫様から離れていくが、末姫様は気になさる様子もなかった。ウィズはというと少々「しまった」と言いたげな顔をしていたが。
「な、なんだ?」
まだ朦朧としているリラさんより先に、我に返ったのはエンド様だった。辺りを見渡し、怯えたように逃げていく人々と魔物とリサさんを確認して、状況をあらかた把握したらしい。
「ウィズだったな、お前の仕業か。こんな派手なことをしなくとも良かっただろうに」
「いや、悪い…これがてっとり早いかと思ってつい」
「え、え、…え?」
ここでやっと我に返ったのがリラさんだった。我に返ったと言うよりも、たまたまその時、まだ魔物の足止めを頑張っていたリサさんが吹き飛ばされたのだ。小さな彼女の悲鳴に反応したらしい。
「姉さんっ!?」
「り、リラ…? 何をしてるの、早く逃げ…」
「リサ、後ろ!」
リラさんに気を取られたリサさんに迫った獣の爪を、末姫様とウィズの動きが阻む。ウォーハンマーで動きを反らし、そこへウィズの操る魔法の風が追撃。大きく吹き飛んだ魔物と一度距離を置いて、リサさんが体勢を立て直す。
「姫殿下!」
珍しくもなじるような調子のリサさんの声に、末姫様はぴくりとも動じない。リラさんへ目をやって、にんまりと笑う。ウィズが頭を抱えるような、「どうとでもなれ」と言わんばかりの投げやりな表情になった。
「――リラ。体調は?」
「…気分はよくないわ。でも逃げるくらいならできる」
青い顔ではあったものの、リラさんの口調ははっきりとしていた。エンド様の肩から手を離し、一人できちんと立っている。足下にもふらつくような様子はない。
だが末姫様は、にっこり笑ってそんなリラさんにこう告げたのだった。
「あら、残念。逃げるんじゃなくて、これからあなたに戦って貰おうと思ってるんだけど」
リラさんもリサさんも、よく似た顔立ちにおんなじような驚愕の表情を浮かべている様子ときたら、なかなかの見物だった。
「な、な、な――」
先に我に返ったのはリサさんだ。僅かに埃で汚れたメイド服の袖をぶんぶんと振り回しながら、
「何を仰ってるんですか殿下!?」
「今言った通りよ。リラに働いて貰います」
「り、リラは、リラは私のような魔族ではありません!!」
「魔族の近親者が魔族体質とは限らない。そんなこと、私だって百も承知よ、リラ。王族に魔族が居ることを知らないの?」
メイ様のことだ。もちろん、自身、エンド様――遠縁とはいえ王族に近い貴族に仕える立場のリサさんが、それを知らないはずがない。黙り込むリサさんを余所に、それまで沈黙していたリサさんが口を開いた。こちらはどうやらいくらか落ち着いた様子だ。
「…何をすればいいの?」
「リラ!」
「姉さん。私が役に立てるんなら、役に立たなきゃ。――あれは…、私のせい、…なんだから」
私のせい、と一語一語を区切って強く呟くリラさんの思い詰めたような目に、さしものリサさんもそれ以上は何も口にできなかったようだった。
「……何をしたらいいの?」
再度の問いかけに、末姫様は、吹き飛ばされた体勢を立て直し、再びこちらに向かって牙をむいた魔物を指さした。
「――止めるのよ」
末姫様の理屈は、こうだ。
あの魔物は、リラさんの中でくすぶりわだかまってきた負の感情そのものの発現。それなら、リラさんがその感情をきちんと抑え込めれば、魔物だって止められるはず。
暴論にしか聞こえなかったのだけれど、驚いたことにお墨付きを出したのはウィズだった。この場でおそらく一番「呪詛」というものに詳しい彼が、渋々という様子ではあったけど頷いたのだ。
「確かに理屈の上じゃその通りだ。呪詛を破る方法の一つでもある。…とはいえ、安全確実な方法じゃない。賭けになるぞ」
「俺もあまり賛成できん、フィフィ」
説明を受けたエンド様も渋い顔だ。
「そんな不安定な作戦で、領民を危機にさらしたくはない」
エンド様が気遣っておられるのはリサさん、リラさんだけではない。魔物からは散り散りに逃げ去った村の人達のことも案じていらっしゃるのだろう。
だがとうのリラさんがその二人に反論した。
「あたし、やるわ」
「リラ…」
「姉さんだってこの村にいい思い出なんかないのに、頑張ってくれたんだもの。…あたしもやってみる」
強くきっぱりとした口調で、青い顔ではあったけれど目には今までとは違う意志が見える。そのことに、男性二人も気づいたのだろう。
「フィフィ。間違っても、彼女らに被害の及ぶことがないように頼むぞ」
「あんた誰にもの言ってんの。領民以前に、リラもリサもウチの国民よ」
守るに決まってるでしょう。末姫様の言葉に、ウィズもやれやれ、という風に同意した。
「俺もフォローする。後ろは心配しなくていいから、ぶつかってこい」
そう告げた矢先だった。空を切り裂くような悲鳴が辺りに響く。ぎょっとした僕らが目を向けた先には、逃げ遅れたらしい女性が、赤ん坊を抱き抱えて近づいてくる魔物から逃げているところだった。
どうやら僕らが話し込んでいる間に、魔物はターゲットを変えたらしい。
鋭い爪が女性を狙って降り下ろされる。抱えた小さな子供を庇うように、女性が身を丸くしたが、その爪は誰を傷つけることもなかった。
――そこに居たのは、他の誰でもない。誰から言われるでもなく、真っ先に駆けつけて、二人を庇うように魔物の爪に身を晒していたのは。
リラさんだった。
「り、リラ…?」
「逃げなさいよ、さっさと! 馬鹿ね!!」
泣き叫ぶ赤ん坊と、その母親に向けてリラさんはまるで吐き捨てるみたいにそう告げた。魔物の爪は止まっている。降り下ろしたくても、リラさんに攻撃の矛先を向けることを躊躇っているようだ。
転びまろびつ逃げていく親子を確認して、リラさんはほんの少し安堵したように息をつき、再度、魔物とにらみ合う。
ところが、だった。タイミング悪くそのにらみ合いを、別の村の人が目撃していたのだ。どうやらはぐれた親子を捜しに来ていたらしいその人は、その様子を見てこう叫んだ。
「やっぱり、リラ、お前だったんだな…! お前が魔物をけしかけていたのか!!」
――鬼の首でもとったような、ってのはこういうのを言うんだろうね。いきりたって何か言い返そうとしたのは末姫様とリサさんが同時だったが、それより先にリラさんの背後で魔物が動いていた。その村人を狙うように身を低くし、唸る。飛び上がろうとした獣の足に、しかしリラさんがしがみついた。
「やめて!!」
だが、それまで一切リラさんには攻撃するような様子を見せなかった魔物が、その時、リラさんを振り払った。酷い勢いで、吹き飛ばされたリラさんが近くにあった建物の漆喰の壁に叩きつけられる。悲鳴さえなかった。
「リラ!!」
今度こそ悲鳴を上げたリサさんが駆け寄る。だが、思いの外ダメージが軽かったらしく、リラさんはよろよろと立ち上がろうとしていた。
だがそこへ更に追い打ちをかけるように、先とは別の村の人の声が響く。
「ざまぁみろ! 魔物なんざに頼るからだ!」
「…っ!!」
これは堪えろ、という方が無理じゃないだろうか。ざわりと、小屋の中で見たようにリラさんの影がざわめくのが見えた。けれど、彼女は歯を食いしばり、立ち上がる。うなり声をあげて駆け出そうとする魔物に食い下がるように。
「…やめなさい。あたしの産んだものだってんなら、あたしの言うことを聞きなさい…!」
食いしばった歯の隙間からこぼれる声は絞り出すような、本当に何かを削るような声色だった。まず、リラさんの影の動きが徐々に収まっていく。そうして、ぶるりと身震いをするような動きを最後に、ぴたりと影はあるべき形に止まった。
魔物の方はまだだ。まだ止まらない。喚き、叫びながら、村人の方へ突進しようとして、その動きが大きくよろめく。地面に頭を突っ込んで、ひときわ大きく魔物が鳴いた。
「…っ!!」
歯を食いしばるリラさんの目には、ほんの少し。ほんの僅か。
確かな迷いが、あった。
「…駄目。攻撃しないで。お願い…!」
必死の言葉は自分に言い聞かせるようにも聞こえる。いや、実際、リラさんは自分に言い聞かせていたのに違いなかった。
魔物がぐるりと首を動かし、影そのものみたいな顔をリラさんへと向ける。影そのものの中で煌々と、瞳と思しき部分が光って見えたのは気のせいではあるまい。
張りつめた弓のような緊迫感が、しばし辺りを満たす。
一体どれだけそうして睨み合いが続いたろうか。
おおん、おおおん、と、鋭く長く、獣が遠吠えするように、呻くように鳴いた。末姫様やリラさん、ウィズが身構える。だが、それだけだった。獣はガタガタと震えながら、まるで空気の中に溶けるみたいに、その輪郭を崩していくではないか。
「やっ…た…?」
リラさんがぼんやりとした声で呟く。まるで実感が出来ないという様子で呆然と、塵のように消えていくその姿から目を離せずにいる。
「やったの、あたし」
「やったみたいね」
ぽん、と末姫様がリラさんの肩を優しく叩く。だが。全員がほっと安堵に張りつめていた息を緩めたときだった。
鈍く、硬質な音と同時に、リラさんの姿が僕らの視界から消えた、みたいに見えた。正確に言えば、リラさんが地面に倒れ込んだのだ。
僕が事態を把握する間もなく、僕の耳には、切りつけるような罵倒が聞こえた。
「この魔女め!」
遠巻きにしていた村の人達が、いつの間にか僕らを囲むように現れていた。その手にはめいめい、辺りの石ころだとか、落ちていた瓦礫だとか、そういうものが握られている。
え、何?
僕はちょっと唖然としてしまって、状況が飲み込めなかった。さっさと動き出したのは――それこそまるでこの状況を予測してたみたいに動き出したのは、末姫様と、エンド様。少し遅れてウィズも、リラさんをのぞき込んだ末姫様の傍へと動いた。
「傷は浅いけど、気を失ってるみたい」
「…今ので呪詛が壊れた、というか、自分で壊した訳だからな。そりゃ気疲れもするだろ。リサ、ンな青い顔しなくても大丈夫だ。俺らが魔力枯渇で倒れるみてーなもんだから、休めば治る」
ウィズは振り返ってリサさんを宥めるように言うと、ぴりぴりした空気を放つ村の人達を一瞥した。
――後になって思う。ウィズはあの時、何を考えて、何を感じていたんだろうか。
「ではこれ以上混乱が広がる前に移動するか。リサ、大丈夫か?」
「……はい」
一方、リサさんも、村の人達に何か思うところがあるんだろう。一瞬遠い眼をして自分を侮蔑と恐怖の入り交じった目で睨む人々の群を見渡してから、ゆっくりとエンド様に従った。
僕らがゆっくりと村の外れに向かって動き出しても、村の人たちは特に何かしてくることはなかった。ただ侮蔑と恐怖の視線ばかりが背中に突き刺さってるのは、鋭敏な僕でなくても簡単に分かったと思う。ひそひそと囁き交わす声が、僕の耳には届いていた。
「魔物を呼んだのは…」
「…今まで村に置いてやったのに…」
「恐ろしい、これだから――」
リラさんは一体どれだけの想いで、自らの生み出したあの呪詛の魔物を、――この村の人たちへの怒りや憎しみを、抑え込んだって言うんだろう。
僕に言葉が喋れれば良かったのに。そうしたら、そう叫んでやったのに。
幸い、末姫様達には村の人達の声は聞こえていないみたいだった。でも、残念だけど。末姫様もウィズもエンド様もリサさんも、村の人達が何を言っているか、思っているか、予測はしていたんじゃないかな、と思う。
「…何も変わってねーじゃねぇか、だから――」
ウィズが小さく呟いた言葉の意味を、僕らはまだ知らない。
リサさんがリラさんを抱えて、僕らは元の森の小道を歩いていた。リラさんの居た村はずれの小屋に向かっていたのだけれど、途中でふと、末姫様が声をあげた。
「あっ」
「何だ、フィフィ急に」
何やら思案げにしているウィズの代わりに、答えたのはエンド様だった。さっきからウィズときたら一言も口を開かず暗い顔をしてるんだ、変なの。
「…やばい、忘れてた。あのほら、小屋の周りに居た連中、どうしたかしら」
ああ、あの人達ね。僕は思わずウィズを見上げたが、ウィズは相変わらずどこか上の空だ。
とはいえ末姫様の疑問には、あっと言う間に答えが出た。リラさんの小屋の周り、ちょっと前まで怪しい連中が僕らを足止めしていたその場所には、芋虫みたいに転がされた人影が山ほどにあったからだ。
死屍累累、って感じかな。死んでるのかと思ったけど僕の耳には呻くような小さな声が聞こえていたからまだ生きてはいるらしい。
恐る恐る僕が近づいてみると、倒れた一人は、苦悶と恐怖を顔に張り付けてうんうんと唸っていた。さすがにこの様子に、ウィズは我に返ったのかぽつりと一言。
「…何やったんだ、あの魔女」
「あまり想像したくないな」
エンド様が眉をしかめた。
「あまりにスゴい悲鳴が聞こえたから殺したのかと思ったが…」
「殺されたのはコイツだけみたいね」
末姫様の声は、この時ばかりはさすがに少し堅かった。姫様の方へ目をやると、こいつらを引き連れていた代表格っぽいローブの男が、血を流して倒れている。濁り始めた目を見るまでもなくその姿は、生きているはずもなく。
その足下には、ばらばらに砕けた、リラさんの部屋にあったあの「お守り」と同じようなものが落ちていて、末姫様はそれをのぞき込むと、
「ウィズ。これ壊れてるけど…?」
「さっきリラが自力で呪詛を壊しただろ。そのせいで壊れたんだ。きっと、もう一つの片割れ…リラの部屋で見たアレも壊れてる」
果たして、ウィズの言葉は真実だった。リラさんの小屋(一部すっかり風通しが良くなってしまっていたが、リラさんはこの村ではもう暮らせないだろうから放っておくことになった)、ベッドの上に放り投げられていたお守り――いや、呪詛を媒介するという魔法の道具は、バラバラに砕けてしまっていたのだ。
「これで解決…とはいかないわね…」
村の魔物騒ぎは確かにこれで解決したんだろう。でも末姫様の言うとおり、今回のことはどうにも僕らに、もやもやとした不安感を残していた。
その時、だった。リサさんがぴくりと、何かに気付いたように顔を上げ、エンド様になにやら耳打ちした。
「――ん? 本当か、リサ」
「はい。間違いありません、若様。シュリとトレトが近くに来ています。若様の居場所を尋ねているようです」
「…城下で何かあったのか…?」
眉根を寄せて腕組みし、考え込むエンド様とリサさんを見比べ、末姫様が口を挟む。
「どうしたの?」
「城下に居る俺の直属の部下が、俺に接触を求めているようだ。…母上が昨日、王都から帰ったからな。見張りを任せていたのだが」
「叔母様に見張りを?」
末姫様が困惑と、それからいくらかの警戒を織り交ぜた表情になった。エンド様は腕組みを解いて、降参するように両手をあげる。
「すまん。本来なら陛下に報告すべきだったんだが、俺は結局この間のお前の誕生パーティ、途中で抜けてこっちへ帰ってしまったからな。…急を要することでもないし、確証を得てから報告を、とは思っていたのだが…」
「あ、ごめん。あたしのせいかしら」
白々しいですよ末姫様。あなた公衆の面前でエンド様を思いきり侮辱したじゃありませんか。僕はそう思ったんだけど、エンド様ときたら愉快そうに笑いだしたじゃないか。
「あれは俺がそう仕向けたんだったろう、フィフィ。そんな殊勝な態度はお前らしくないぞ」
僕はびっくりして末姫様を見上げた。僕の視線に気付いたか、足下の僕を見た末姫様は…ちょっと困ったみたいに舌を出していた。
「仕向けたって…」
「俺の母上はどうしてもフィフィと俺を結婚させたがっていてな。一昔前なら危うく、生まれてすぐに婚約なんてことになっていたところだよ」
もちろん、そうはならなかった。ご自身が恋愛結婚をなさっている王様は、政治的な目的による婚姻を極力避ける方針をとっているのだ。
「だが俺にはリサが居るし、フィフィは確かにはきはき物を言うし可愛らしいとも思うが、俺にとってはただの従姉妹だ」
「若様」
「何だ。まだ俺のプロポーズを本気にしてくれないのかリサ」
「どこをどうとれば本気に受け取れるのでしょうか。…いえその件についてはまた後ほど。話を続けてください」
「うむ。…まぁ、そういうわけだ。俺はどうしても母上を諦めさせたかったんだよ。それでフィフィに、あんな芝居を打ってもらったのさ」
芝居…ねぇ…。
僕はちょっと胡散臭い気分で末姫様を見上げたけれど、末姫様はぷいとそっぽを向いてしまっていた。
「話を戻すが…母上は最近、その結婚を焦ったのか、いささかならず様子がおかしかったんだ。変な連中を城に入れて重用するようにもなったし、前々から魔族を嫌ってはいたが、異常に魔族を敵視するようになった」
末姫様の表情が色んな感情と思惑をはらんで険しい物になった。メイ姫様のことや、城内の魔族の人達と、城内に居た公爵夫人のことを思っていたのかもしれない。ともすれば、末姫様の大事な人達が傷つけられていたのかもしれなかったのだから。
「…待って、エンド。ってことは、あたしがあんたを振ったのって、結構まずいんじゃない? 叔母様の感情を逆撫でしたんじゃないかしら」
「だからといって、俺と結婚したいか?」
「ううん全然これっぽっちも微塵も絶対そんなこと考えないしあり得ないけど」
「そこまで言わなくてもいいだろうというほどの全力の否定をありがとう」
首をぶんぶん横に振って言う末姫様に、いくらかげんなりした表情でエンド様が仰った。気持ちは分からなくもない。
「俺としては一度くらい、母上はキツい言われ様をされた方がいいのではないかと思ったんだが、な」
そこまで無言だったウィズが不意に口を開いたのはこの時だった。ずっと何か考え込んでいる風だったから、唐突なことに僕は驚いてそちらを見上げてしまった。
「――変な連中ってのが、さっきの、呪いをばらまいた元凶の連中か?」
この村で、何を企んでかリラさんに呪詛の媒介を持たせ、魔物を生み出した本当の元凶。
その問いにエンド様が頷くと、ウィズは難しい顔をして顎に手を当てた。
「……感情を逆撫でしちまった…ってのは、確かに、まずかったかもしれねーな」
ウィズのぼそりとした言葉に、エンド様が眉を寄せる。
「どういうことだ?」
「フィフィの呪詛の元凶は…魔族だ。それも俺と同程度の。でも、そいつに呪詛を依頼した人間が居るとしたら?」
エンド様がはっとしたように表情を険しくし、末姫様が自分の腕を抱くような仕草をする。居心地良さそうな感じではない。
「…フィフィの呪詛、というのも俺は初耳なんだが、その事情については置いておこう。――母が、王族の人間に、呪詛をかけるような…王族を傷つけるようなことを企んだ、ということか」
「可能性は低くないと思うぞ?」
「ウィズ!」
末姫様が咎めるような声で呼んだが、ウィズは構うそぶりもない。エンド様が暗く険しい顔で、末姫様に向き直った。
「…フィフィ、そういうことか?」
真面目な声に末姫様はしばらく迷っておられたが、やがて渋々、という感じで頷いた。
「うん、ええ」
「そうなると…まずいな。謀反とは言わずともかなり重たい罰になる。…俺が母上を挑発したばっかりに」
「エンドは悪くないわよ! 悪いのは、叔母様をそそのかした奴らでしょ。リラだってそうじゃない、確かに呪詛の原因になったのはリラかもしれないけど、悪いのはリラじゃないわよ」
熱を込めて末姫様は言い募る。が、エンド様はいくらか動揺しておられるようで、末姫様の言葉は耳に届かないようだった。しきりに何か考え込むエンド様に、ウィズが少し不思議そうに眉を寄せる。
「…フィフィ、呪詛の依頼者が分かれば、呪詛が解けるかもしれねーのに。喜ぶとこじゃねぇの?」
その言葉に、末姫様はかっとしたように強い口調で、しかしエンド様とリサさんには聞こえぬよう小さく抑えた声で、
「馬鹿ね! …確かに叔母様はあたしもいけ好かないけどね、エンドのママなのよ! 自分の母親がそんな犯罪に手を貸したなんて、考えたくもないわよ、エンドだって」
「……そういうもんなのか?」
冷めた声でウィズが応じたもんで、末姫様も僕もぱちりと瞬いてウィズを改めて見つめてしまった。そんな僕らの視線に気づいているのかいないのか、独り言のように、ウィズは呟く。
「俺はいないから、そういうの。分からねぇよ」
「…あ」
末姫様が口元を抑える。気まずそうに視線を落として、落ち着かなさげに旅装の外套の裾を掴む。
「ごめんなさい…」
「別にいい、気にしてねーし」
ぶっきらぼうにウィズは言ってそれっきりだった。それきりその話題に触れることを嫌がるみたいに、話を切り替えたからだ。
「ところで、エンドの部下だったっけ? さっきから風霊がうろうろしてるけど、いいのか、合流しなくて」
その言葉に、エンド様と深刻そうに何やら話し込んでいたリサさんが慌てたように顔を上げた。
「いけない、忘れていました。シュリ、トレト。合流しましょう、色々と報告もありますし」
その言葉がどこへ向けられた物なのか僕らにはさっぱり分からないけれど、そのままリサさんは何やら言葉に耳を傾けているように何度か相づちを打った。それから、
「…村を出て、城下へ向かいます。姫殿下たちはどうなさいますか」
どうする、という風にウィズが末姫様をみる。選択は末姫様に任せるつもりらしい。末姫様は少し考え込んでいたけれど、結局、選択の余地はあまりない訳で。
「……あなた達と一緒に城下…ティンダーリースへ行くわ。私の呪詛と叔母様の件、公にするか否かは置いても、確認はしなくては」
いいかしら、と問う末姫様に、エンド様はもちろん、と頷く。それからウィズを見ると、こちらはあくびをしていた。末姫様の選択には、あまり興味はないみたいだ。
こうして僕らは村を出ることになった。リラさんも置いてはいけないので、現状、気絶したままで担いで連れていくことになる。馬が必要かもな、とエンド様が呟いていた。
森の細い道を歩くことしばし。もうすぐ開けた大きな街道、というところで、そのエンド様が顔を上げた。リサさんも一緒だ。
「トレト、シュリ。お前達がこちらへ来たとなると、母上に何かあったか」
僕はつられてエンド様の見ている方向へと顔を上げた。
手の行き届いた森の中、立派な枝振りの一本の大樹。見上げた先にはその大樹の枝に隠れるようにして、二つの人影がある。
「若様、メイド長、ご無事で」
飛び降りて膝を折った二人は一瞬、僕らの方を不審そうに眺めたけれど、エンド様が無言で首を横に振って「気にしなくていい」と合図すると、すぐにこう告げた。
「…城下に魔物が出ました」
「報告にあったこの村のものとよく似てるので、同一犯かもしれないです、若様…それと」
少し間を置いて顔を見合わせあってから、エンド様の従者とおぼしきその二人は、それぞれ特徴的な金の瞳をエンド様へとまっすぐに向け、口を開く。
「公爵夫人がご乱心です」
「…城内の魔族はみな追放されました。若様――いずれ城下にも、影響が及びましょう」
「急いでお戻りください。…このティンダーリースの魔族にとって、あなたが唯一の希望なのです、エンド様」
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