Princess Brave!


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 去った魔族の少年の背を、青年は悠長に見送っていた。その背後に向けて、男の一人が剣を向ける。
 それは何がしかの魔術を帯びていたか、剣の先から青白い炎があがり、青年の背を包み込む。
「やった…」
 小さな安堵の声は次の瞬間には声ならぬ悲鳴となっていた。炎の中を青年は鬱陶しそうに眉をしかめたまま、全くの無傷で立っている。彼が小さく何事かを呟くと、青い炎は、まるで最初から幻であったかのように消えてしまった。
「…ねぇ、一応念のために聞いておくけどさぁ」
 面倒くさそうな、それはそれは面倒そうな声色だった。青年はこくりと、無邪気な子供のような所作で首を傾げ、骸骨の騎士たちに足止めされている男達と、自分を怯えの混じった視線で見ているローブの男を順々に眺めて、
「こんなチンケな呪詛なんかせこせこ続けて何がしたいの? 魔族の評判を下げて、またこの国で魔族が差別されるようにしたいとか、まさかそんな小さい理由だけじゃないよねぇ」
「そ、それは…ッ!!」
 答えるべきか。否か。瞬間、戸惑った男に、青年は今度はにこり、と微笑みかけた。それはそれは優しい慈悲すら感じる笑み。それと同時に、今までほとんど動きの無かった骸骨の騎士たちが一斉に動いた。
 ――次いで響き渡ったのは獣じみた絶叫だった。限度を超えた苦痛に男達が悲鳴をあげている。
 ぞっとした様子で目をやったローブの男は、そこで、のたうち回る男達の姿を目撃する羽目になった。錆の浮いた槍や剣で武装した軽薄な白い骨の群れは、魔法の直撃を受け、あるいは銃弾を受けて破壊されても、次から次へとその数を増やし、倒れ伏した男達に群がっていく。それは、弱った獲物を覆わんとする蟻の群れを連想させた。水気を含んだ粘った奇妙な音が、その連想を更に強固にする。あの群れの下で何が起きているのか――
 骸骨達に覆われた男達がどうなっているのかは、分からない。ただ耳を塞ぎたくなる絶叫だけが響き、やがて力を失ってそれも消えていくばかりだ。
 顔をあげた骸骨の、白い骨に付着した返り血がべったりと赤い。
「さすがに僕も自分の悪魔に、余計な『食事』はさせたくないし。さっさと答えてくれない? じゃないと、あんたにも餌になってもらわないといけないよ」
 青年の笑みはただ優しい。背後の惨事など素知らぬ風に。
「…ねぇ?」
「ひ、っ、ヒィィィィ!!!」
 弾けたようにロマの男が逃げだすが、その行く手を、緑色の僅かに輝く不思議な姿の少女が遮った。途端、男の口から聞こえていた悲鳴が不自然に途切れる。ぱくぱくと陸に揚げられた魚のように口を開閉する男の間抜けな姿を、少女は嬉しそうな、いっそ恍惚とさえした表情で見守っている。ぺろり、と唇を舐める舌は、幼い見目に反して毒すら含む赤さだった。
「うふふ、なかなか美味しいじゃない。さっさと喋らないと、根こそぎ『食べちゃう』わよ?」
「わ、我々は…<適応者>が欲しいだけだ! 魔族の近親者なら精霊を受け入れやすい、だからっ…」
 震えながら、完全に怯えた様子でローブの男がそう叫ぶ。青年はぴくりと眉をあげて少々不機嫌そうな顔になった。
「もう少し詳しく教えて貰え――」
 だが。
 言葉はそこまでしか続かなかった。男の姿がぐらりと揺れて床に倒れ伏す。眉をしかめたその表情のまま、ナハトと呼ばれた青年はそれを見下ろしていた。倒れた男の背中には、何がしかの魔術が放たれたのだろう。ばっさりと切られたような、抉られたような痕があり、その傷跡が男の臓腑までも抉っているようだ。
 どう見ても即死だ。
 ナハトは無言で首を横に振り、頭を抱える。折角の情報源だったというのに、勿体ない事をした。
 駄目元で、攻撃の飛んできた方角を睨みやる。
 森の向こう、木立に僅かに人影が動いたような気もしたが、ナハトはあえて動かず、追わなかった。
「いいのか、主」
 追わずとも、と問いかけるのはナハトの従えている、四肢に鎖の絡んだあの狼だ。だが青年は再度首を横に振った。
「いやいいよ、別に。しかし何だかなー、これって口封じだよねぇいわゆる。洩れたら困る情報なんか持ってたのか、コイツ。勿体ないことした、ちゃんと訊き出せばよかったよ」
 しきりに勿体ない、勿体ない、と呟く青年に答えたのは軽やかな小鳥の囀りのような声だ。先程ロマの男を通せんぼした、あの緑色の少女だった。ふわふわとまるで雲のように揺れる髪の毛は、如実に彼女が「人ではない」ことを物語っている。
「もういいじゃない、マスター。どうせこいつらの痕跡を追いかけ回してれば、そのうちイヤでも逢うでしょ、また」
 その少女の背後には、ロマの男が気絶して転がされていた。狼がちらりとそちらを見て、少女を見やる。
「旨かったか?」
「まぁまぁ。孤児院の子達の比じゃないわよ」
 あの子達はとっても美味しいわ、と、少女はうっとりしたように言う。その発言については特に触れず、ナハトはちらと少女を見やった。
「『根こそぎ』食べるなよ。そんね下品なのと契約した覚えはないからな」
「やめてよ、下級の悪霊どもじゃあるまいし。――あの馬鹿な『群霊(レギオン)』ですら、分別は持ってるわ」
 彼女が指さすのは、先程、白い骸骨達が群れていたあの場所だった。ローブの男達が居たその場所には――
 点々と、血の跡だけが残っている。
 まるであの白い群れに全て食べられてしまったかのように、人の姿は忽然と消えていた。それを確認して、少女がその大きな瞳をぱちくりとさせる。
「あら? 全部食べちゃったの?」
「人間の身体なんて喰わせたってたかが知れてるだろ」
 青年はさらりとそう応じた。ちょっとだけ食べさせたけどね、と、悪びれる風もなく呟いて、付け加える。
「あの場所に放置しといて、村に悪さでもされちゃ夢見が悪いからな。よなかに頼んで、遠くに『飛ばして』貰った」
「…マスターって、自称悪党の息子の割に、ほーんと、人に優しいわよね」
「放っとけ。別に優しくてやってる訳じゃない」
 冷淡にそう返し、ナハトは足元へと目を落とす。ローブの男の死体が転がっているその場所に、攻撃された拍子に落ちたのだろうか、羽根飾りのついた魔道具と思しきものが投げ出されている。
 ナハトは魔族ではない。だが、彼の緑色の瞳には、そこに流れる精霊の力がまざまざと見えていた。だからこそ分かる。これこそが、あの愚かで哀れな村の娘、魔族の姉を持ったばかりに迫害されていたあの少女に呪いをかけていた「媒介」だと。
 彼は一度だけ嘆息してから、その魔道具を無造作に踏み潰そうとして――やめた。村の方へと目をやり、しばし思案するように、緑の瞳の色を深くする。
「どうした、主?」
 狼の問いに、彼はいくらかうんざりした様子で、こう応じた。
「いや。アフターサービスくらいして行こうかとも思ったけど…ふん。やるじゃないか、あのお姫様」
 悪態を吐き出すような調子で、彼は先程遭遇したいかにも気の強そうな少女をそう評する。言葉だけを見れば称えているようでもあったが、その表情は心の底から嫌悪感を露わにしたものであった。珍しい、と二体の悪魔は顔を見合わせあう。元々彼は、戦闘中以外ではあまり感情をはっきりと顔に出さない性質のはずだが。
「二度と会わないことを祈りたいが、あの様子だし、しかも傍に居るのが原種の坊やとなればそうもいかないか。クソ忌々しい」
 吐き捨てるように言ったナハトは、荒っぽい足取りでその場を後にしようとする。慌てて続いた悪魔達の一体、お喋りな少女が、矢張り幼い見目にはそぐわないにんまりとした笑みを浮かべて、告げた。
「ねぇマスター、あのお姫様って子、あたし遠目に見ただけだけど…ちょっとだけ、『レディ』に似てたねぇ」
「冗談じゃない…あんなふざけたクソ女が二人と居てたまるか」
 それこそ反吐でも吐かんばかりの言い様であった。
 
 
 
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