Princess Brave!

 
 小屋に戻ると末姫様が渋い顔をしているところだった。ばったり倒れていたウィズがまた起き上がって、その肩に手を当てて目を伏せている。
「…こんなもんだな。何度も言わせるなよ、俺は治療が苦手なんだ。二度と無茶すんなバカ姫」
 ウィズにそう諭された末姫様だけど何でかこの間みたいに怒りだしたりはしなかった。肩を恐る恐るという風にあげたり下げたりして調子を確かめながら、口を尖らせて拗ねたみたいに言っただけだ。
「何よ、あんたの方こそ無茶したじゃないの。そんな真っ青な顔して、よく言うわよ」
「俺のは無茶じゃねーよ。あんなん無茶のうちに入るかよ。ぶっつけ本番で空飛んで得体のしれない相手殴りに行くお前の方がよっぽど無茶だろうが。文句があるのか?」
 全くその通りだ。文句のつけようもありませんとも。
 末姫様はますます口を尖らせていたが、僕とエンド様を見るなりぱっと真顔になった。
「エンド、村はどうだった?」
「…あまり愉快な話は聞けなかったな。あと、表に客が居るぞ」
「あら、それはそれは」
 皮肉げに口を歪めて、末姫様は軽口で応じると、自分の背後で相変わらず顔色の悪いウィズと、そのもっと後ろ、寝室に繋がる扉のそばで悄然と座り込んでいるリサさんを交互に見やった。
「とはいえ、こっちも歓迎の準備が万端とは行かないわねぇ、お帰り願いたいんだけどそうもいかないのかしら」
「さてどうだろう。俺としては是非話を聞いてみたい相手なんだがな」
「私もよ。ウィズ、調子はどうなの?」
 ウィズは眉根を寄せていた。体調が悪いからって言うよりは、重傷のはずの末姫様に気遣われるのが気に食わない、そんな感じだ。
「……いまいち、だな。毒気も抜けて楽にはなってきたが」
 ちなみにこの時のウィズの髪の色なんだけど、力を振るっていた時には磨いた銀みたいに綺麗な色だったのに、今は随分と濁った、黒とも茶色ともつかない色になっている。気のせいか色艶もない。ウィズの体調を反映してるんだろうか? 相変わらず変な髪だ。
「リサ。妹さんの容体は?」
「…今は落ち着いています、姫殿下。…あの濁ったみたいな、…『呪詛』の源になっている精霊力は相変わらずですけれど…むしろ、そっちは悪化してさえ見えます…」
 末姫様も僕もあいにくと精霊を見ることが出来ないから、それがどれくらい深刻な事態なのかを想像するのは難しい。でもリサさんの悄然と項垂れる姿に、ある程度、それがすごくまずいことなんだ、という程度の想像くらいは出来た。
「俺にも濁って見えるな。酷いな、このままだとこの精霊力に、あの妹、取り込まれかねないぞ」
「そうなると、どうなっちゃうの?」
「その呪詛の内容にもよるが…精霊に、髪一本も残さず喰われてしまうか、良くても心が壊れて廃人になるか」
「…」
 その内容は僕が思っているよりずっとずっと恐ろしい結末を意味していた。末姫様もそうなのだろう、深刻そうな顔をして頬に手を当て思案する。それからやおら末姫様は寝室へとずかずか歩きだした。ばぁん、と乱暴に扉を開いたせいであんまり立てつけのよくない扉が軋んだがお構いなし。
「リラ、起きてるんなら面を貸しなさい!」
「ひっ!?」
 あれ、リラさん起きてた。
 末姫様の飛び込んだ先、寝室のベッドの上で、こちらも顔色の悪いリラさんが怯えたみたいに身を竦ませている。腰に手を当て仁王立ちした末姫様の迫力に圧されたのかもしれない。
「な、何よ…」
 警戒もあらわに尖った声を出すリラさんに、末姫様はびしりと人差し指を突き付ける。
「――あんたを助けることに決めたわ」
 リラさんは何を言われたか分からない、という風に眉をひそめてから、口元を歪ませた。皮肉げに笑って、布団をぎゅうとかき抱くようにする。まるでそれは、末姫様からも自らを守ろうとするかのような動作だった。
「何よ、助けるって。バカみたい」
「あの魔物はあんたが原因でしょう」
 末姫様の指摘は容赦がない。ぎゅう、と、布団を握る手に力を込めて、リラさんがまた甲高い声で笑った。
「関係ないわよ! ――ああでも、そうね、確かに、あれのお陰で村の連中が困ってんのなら、ざまぁないわ…! でもあたしのせいじゃない。あたしのせいなんかじゃない…!」
 否定の言葉はそれこそが呪詛のようでもあった。自分に言い聞かせるように呻く彼女に、とことんなまでに末姫様は容赦をしなかった。
「だから何? あんたがあの魔物の原因なのは間違いないしこのままだとあんたがヤバいことには変わりないじゃないの。現実から目をそむけて何になるってのよ」
「お前なんかに何が分かるのよ!! ――どうせ姉さんと一緒に居るくらいだ、いいとこの嬢ちゃんか何かでしょう。ハッ、お前の方こそ現実を見なさいってのよ!」
 ばん、と、苛立たしげにリラさんは布団を握っていた手をベッドに打ち付けた。――その時だ。彼女の荒立った感情に反応したかのように、応えるように、リラさんの傍の黒い影がぐるりと蠢く。ぞぞぞ、と、蛇がのたうつような動きが僕の皮膚を粟立たせる。
「…あたしはこの村から出られない…! あいつらに、魔族の妹を『暮させてやってる』って感謝を要求されながら!! 雑用でもあるだけマシだって言われながら生きて行くのよ、一生、ずっと!!」
 末姫様はそのリラさんの激しい感情の吐露にさえ無頓着だった。血を吐くように胸を押さえて喚き立てるリラさんを、自らの足もとで蠢く影にさえ動じた様子もなく、仁王立ちの格好のまま。
「だから何だって訊いているんだ、馬鹿者」
 怒鳴るような声ではなく。むしろ静かな問いかけに、リラさんが声を呑む。
 ――青い瞳の色を深く燃やして、末姫様はリラさんをじっと真っ直ぐに見詰めている。
「あんたの過去とか境遇とか、生憎、生まれてこの方甘やかされて優しくされて育った私には分かんないわよ。家族も揃ってたし愛されてたし周りも大体優しいし、あと、あたし王位継承権が一番下だから、権力争いにもロクに巻き込まれることがなかったし」
「…?」
 さらっと末姫様の口にした言葉に瞬間、リラさんは訝しげに太い眉根を寄せたが、すぐにまた険のある視線に戻っていた。まぁ普通信じないわな、こんな村の小屋に仁王立ちしてる女の子が、本物のオヒメサマだなんて。
「でもそんなの関係ないでしょ。確かにあたしはあなたを理解はできないけど、助けが必要なのくらいは分かるわよ。――あたしのこれが憐みだと思うんなら、金持ちの道楽と思って軽蔑すればいい」
 末姫様は仁王立ちの格好のまま、そう告げる。リラさんはいつの間にかあんぐりと口を開いたまま、末姫様の言葉に耳を傾けてしまっているようだった。
「せいぜい、あたしを利用して見せなさい。今の境遇がイヤなんでしょ?」
 これは滅多にないチャンスよ、と。末姫様はそう付け加えて、駄目押しのように問いかける。
「さぁどうする?」
 いかにリラさんが魔族を警戒していたとしても、いかに意固地になっていたとしても、この問いへの回答なんて決まっている。ゆっくりと俯いて沈黙する彼女の様子が、どんな言葉よりも明確に彼女の意思を伝えていた。
 心なしか、彼女の影を蠢いていた「何か」の気配が遠ざかったようにも思われる。
「……でも…具体的に、どうするのよ…」
 しばらくの沈黙の後、力なく、リラさんが呟いた。それは末姫様への反論、というよりも、何だか単に相談をしているだけみたいな。刺々しかった雰囲気は随分と和らいでいるようだ。
 末姫様は背後に居たエンド様を見て頷くと、腕組みを解いてリラさんの傍、ベッドの端に腰を下ろした。
 そうやって座ると背の低い末姫様は、リラさんを覗き込むみたいな格好になる。きっとリラさんから見たらさっきまでの威圧感がなくなって、話しやすい印象になったはずだ。
「聞かせて欲しいことが幾つかあるの。ひとつは、あなたに呪詛をかけた相手の正体。もうひとつは、さっきこの小屋に来ていた、…領主の遣いとか名乗ってたわね、あの連中のこと」
「じゅそ?」
 その言葉自体が初耳だという風にリラさんは怪訝そうにその言葉を口に乗せて繰り返した。エンド様がフォローをするように言葉を加える。
「ロマと、何やら交流があったのだろう。魔物の出現は彼らが去った後だと聞いているぞ。ロマ達から何か、されたのでは…」
「あ、あの人達は、そんなことしない!」
 どもりながら、迷いながらも、リラさんがそのエンド様の言葉を遮った。末姫様とエンド様、それに、ちょうど部屋に入ってきたリサさんとウィズに至るまで一斉に彼女に注目する。視線を向けられたことに驚いたらしく、リラさんは毛布を抱きしめてそっぽを向きながらも、ぼそぼそと付け加えた。
「…ここから連れ出してくれるって言ってくれたの」
「ロマが、か?」
 エンド様の確認にリラさんが頷く。リサさんが眉根をぐっと寄せて口を開いた。
「リラ…そんなにここが辛いのなら、言ってくれれば良かったのに…」
 手紙を出していたでしょう、と、リサさんの問いかけに、幾らかリサさんへの敵意が和らいだたらしい彼女は毛布に口元を寄せていよいよ聴き取りづらい声で言った。
「……姉さん、そんなことしたら、私を迎えに来るでしょ」
「行くわよ、当然じゃない。……魔族の私と一緒じゃあ暮らしづらいかもしれないけど、私は若様からお給金を頂いてるもの。あなたに別の居場所を用意するくらいはできたはずよ」
 リラさんは毛布で顔を隠す様に埋めて、いやいやと首を横に振った。
「…姉さんに迷惑かけたくなかった。姉さんは魔族だけど、…でも」
 声は震えている。今にも泣きだしそう。いや、毛布に顔を埋めているから、もしかすると泣いているのかもしれない。分からない。
「でも生きてる。魔族の癖にって言われながらちゃんと、生きてるじゃない。たかが親族が魔族だってだけでこんないじけた生き方しかできない私が、姉さんに助けてもらっていいはずがない」
「だからって…! あなたが苦しんでたなんて私は知らなかった!」
 リサさんがベッドに近づいて、リラさんの震える手をぎゅっと握りしめる。今度は、その手は拒絶されなかった。
「……そんなに苦しんでたなら、ちゃんと教えて欲しかった」
 苦しそうなリサさんの言葉に、恐る恐ると言う風にリラさんが顔を上げる。
 リサさんのもじゃもじゃのブルネットに、リラさんが触れた。今度は、自分から。
「ごめん、姉さん」
「私の方こそごめんね、リラ。…あなたが苦しんでる間、自分がのうのうと生きてたのかと思うと…」
「お前はのうのうと、など生きておらんだろうが、リサ。――親に売られて売られた先では暗殺者として仕込まれ、挙句、使い捨ての駒として死ぬところだったのだぞ」
 エンド様が淡々とした調子で、しかしとんでもないことを言ったが、そのエンド様を振り返って、リサさんは僅かにほほ笑んだだけだ。多分、今のリサさんはそんな過去を忘れられるくらいには幸せなんだろうな、と僕はそんなことを思う。
 しばらくリラさんは泣きじゃくっていたけれど、リサさんの優しく宥めるような手に少し落ち着きを取り戻したのだろう。涙を袖でぐいと拭い、ゆっくりと口を開いて教えてくれた。
「……ロマはあたしをここから連れて行ってくれるって言ったの。何もされてない」
「でもあなたはまだここに居るわよね?」
 末姫様の問いかけは、リラさんの胸の痛いところを突いてしまったのだろう、リラさんは唇を噛んだけれど、今度は反論はしなかった。
「――いずれ、迎えに来るって言ってた。そのためのお守りも貰ったもの…」
 その言葉に反応したのは、ウィズだった。部屋の隅でじっとしていた(どうやらずっと体調を整えるために精神集中していたらしい)彼は訝しげに眉根を寄せて、
「お守り?」
 その単語を鸚鵡返しに問う。リラさんは戸惑いがちに、自分のベッドサイドにある小さな箪笥を開いた。小鳥の羽と乾燥させたハーブを組み合わせた、素朴なデザインの飾りがそこに提げられている。
「これよ」
 リラさんが指さすまでもなく、ウィズは真っ直ぐに歩み寄るとその小さな飾りをむしりとるみたいに手にしていた。まじまじと眺める視線が酷く険しい。
「……リサ、おいこれ見えるか?」
 やがてその、強すぎる金を宿した瞳が、この場に居る唯一自分以外の魔族であるリサさんへと向けられる。リサさんは無理に遠くを眺めようとする人みたいにしばらく目を眇めていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「…いえ、何も。それが先程仰っていた、呪詛を媒介するための『マジックアイテム』なのですか?」
 ウィズはしばらく言葉を選ぶように黙り込んで、一度ちらりとリラさんを見た。不安そうに布団の端をしきりに弄るリラさんを。信じたロマに裏切られたのではないかと、その瞳が傷つきやすそうな色で揺れている。
 だけど言わざるを得ない。ウィズは、決然とした風に顔をあげて、告げた。
「ああ。これが…あの『魔物』の原因になってる、お前さんの呪詛の源だよ、リラ」
 リラさんは何も言わなかった。
 もしかすると、心のどこかでは気付いていたんじゃないだろうか。薄々。自分を置いてロマの人達が行ってしまってから、ずっと。
 だけどそれを認めたら、リラさんは縋るものを無くしてしまう。この村を、居場所のない苦しさを、逃れるために縋るものを。
「…あたし、騙されてたのね」
 やがて彼女の口から洩れたその一言は酷く力無く、感情さえも見えなかった。平板な言葉に痛ましげに瞬間、末姫様は唇を噛んだが、その末姫様をウィズがちょいちょいと手招きしている。
「何よ」
 感傷に耽る暇を与えなかったウィズに対する苛立ちだろうか。ちょっと尖った声をあげつつもウィズに近づいた末姫様は、ひそひそ声でこんな提案をされた。
「悪いけどフィフィ。ちょっと魔法使いたいから許可くれ」
「どんなの?」
「内緒話がしたい。今のリラには聞かせたくない」
 末姫様はその言葉に腕を組んで、鷹揚に頷いた。
「許可する。さっさと内緒話でも何でも済ませて頂戴」
 末姫様が宣言したと同時、ウィズがとん、と爪先で軽く床を蹴った。それらしい動作なんてそれだけだったのに、途端、周囲の音がシンと静まり返る。雪の降った日の朝みたいに、耳の痛くなりそうな沈黙だった。
 ウィズは一瞬僕を見て、あれ、という顔をしたが、即座に気を取り直して末姫様にこう切り出した。
「――あのマジックアイテムな。あれ一つじゃない」
「どういう意味?」
「二つで、一つになるものなんだ。リラが持ってるのは片割れってことになる。もう片方を、恐らく呪詛の犯人が持っているはずだ」
 口早に言ったウィズに、腕組みをしたままの末姫様は思案気な顔をしていたが、
「…そんだけじゃないでしょう。あんた音消し苦手だっつってたのに、わざわざ音消してまで、そんなこと言うために魔法使ったの?」
 単刀直入に末姫様はウィズを睨みながら、問いかける。
「――本題に入りなさい」
「リラはそう長く持たない。呪詛があと一度か二度か、発動すれば心が壊れる。そんで外の連中は、それが狙いだ」
 こちらも単刀直入に、ウィズはそう応じた。末姫様はその言葉を吟味するみたいに目を閉じて、次に目を開いた時には、その青い瞳が深く深く燃えるような色を宿していた。
「ウィズ。リラを助けるために何が必要?」
「…マジックアイテムの破壊。ただし今手元にある片割れを今壊したら、呪詛が制御を失ってちょっとマズイ。リラに呪詛をかけた奴が持ってる『もう一個』を壊さないと駄目だ」
「そう。それともう一つ訊いておきたいんだけど」
「何だ?」
「……リラの呪詛、あの『魔物』は、まるでリラの感情に反応するみたいに現れるのね。あれは、どうして?」
 ウィズは少し悩んだみたいだ。どうやって末姫様に説明したものか、考え込んでいたらしい。
「…これは確証がねぇんだけど…。この呪詛の基になってる精霊、桜花満開(ブレスド)の精霊は『増幅』とか『活性化』とかが得意なんだよ。俺とは逆で」
「――ごめん、よく分かんない」
「リラの感情がキーになってんじゃねぇのかな。お前の呪詛のキーが『他人にキスをすること』なのと同じで、リラの負の感情…こんな村無くなればいい、とか、リサに対するわだかまりとか。そういうのをキーにして、それをどんどん増幅させてる感じがする。それにカタチを与えたのがあの『魔物』なんだろうな」
「分かったような、分かんないような…」
 僕も末姫様と同感だ。どうもウィズは、説明が下手というか、話が飛びがちで全体像をつかみづらいみたいな話し方をする。彼には精霊が見えていて、見えて当たり前という状況なんだろうから、全く精霊ってものに馴染みのない僕や末姫様にそれを理解させるのが難しいのかもしれない。まぁこれは僕の勝手な想像だけどね。
 ウィズはそこまで言って、内緒話をする必要性を感じなくなったのか、とんとんとん、と三度、踵で床を叩く仕草をした。鋭敏な僕の耳には一気に周辺の音が飛び込んできて、僕は一瞬、くらくらしてしまう。末姫様も耳に手を当てて顔をしかめていた。けれども目の前のリラさんの青い顔を改めて見て、ぎり、と身体の脇に提げた手を握り締める。
「やるべきことは少し見えてきた」
 呟く。
「アイテムを見つけて壊す。誰が持ってるのか分からないのがネックだけど、小屋の外の連中とか言うのが呪詛と関係あるのなら、もしかすると知ってるかもしれない」
 それから腕組みをして、うーんとひとつ唸る。
 ――ところが末姫様が何か策を考え付くよりも先に、どうやら外の人達の方が行動を開始してしまったらしい。小屋の外でイヤな気配が膨らんだと思ったら、いきなり窓の外が真っ赤に燃えあがり、僕らはぎょっとして同時にそちらを見た。
 森の中や茂みの中から続々と、手に手に物騒な得物を持った人達が出てくる。
「…なに…?」
 一人動揺して完全に事態を呑みこめていないリラさんを除けば、全員が動いている。
 まず末姫様が炎をものともせずに窓を蹴り破って外へ。そのあとに慌ててリサさんが続く。エンド様がリラさんを庇うように、窓から遠い方の壁に彼女の身体を引きずり寄せ、そんな二人を庇うような位置にウィズが立ちふさがった。大きく息を吸って、炎に怒鳴りつけるみたいな声量で一声、
「消え失せろ!」
 怒号に怯えたかのように、赤い炎がたじろいだようにも見えた。ゆらりと揺れ、不自然な形で熱が引いていく。だが全部、とはいかない。ウィズは舌打ちして、一度大きく頭を振った。長い髪の毛が炎の色を移したみたいに、毛先の方から赤くなる。毎度ながら人間とは思えない髪の色だけどそんなこと気にかけている場合じゃない。
 小屋の外では、末姫様が武器を片手に、小屋へ近づこうとする謎の連中を片端から吹き飛ばしていた。リサさんも一緒だ。が、相手の数は二十は居ただろうか。基本的に一対一の戦いに特化している末姫様は、じりじりと後退している。それでなくても肩を怪我していて、状態が万全とはいえないのだ。
「姫殿下、どうしましょう…」
「…リサの体力はまだ大丈夫よね。全員、相手にできる?」
 リサさんは一瞬眉根を寄せる。でも自分の背後の、未だ炎の燃え盛る小屋へ眼をやって、意を決したように一歩前に踏み出した。
「例え無理でも、無茶でも。やるしかありません」
「同感よ。…ごめんなさい、あまり助けにはなれないけど、せめて足を引っ張らないようにするから」
 言いながら、末姫様は男の一人がリサさんの背後から飛び出して来たのを、ハンマーで撃ち落としていた。末姫様がハンマーを振り抜いたその隙を、リサさんがフォローして、近づいてきた銃を持った男を牽制する。
 それでもやっぱり多勢に無勢、しかも末姫様は消耗なさっているし、リサさんもあまり多対一の戦いが得意ではないらしい。近づいてくる連中をウィズが迎撃しているけれど、そのウィズもまだ万全とはいえない状態だ。
 そんな中、どが、っという大きなイヤな音に僕が振り向くと、リラさんとエンド様が退避していた側の壁が大きく壊れて、そこからぬっと手が伸びていた。警告の声は間に合わない。
 襟首を掴まれ乱暴に引き寄せられたリラさんの小さな悲鳴が響く。固まる僕らの前に、リラさんを盾にするようにして壊れた壁の後ろから現れたのは、そう、僕らが村を訪れたその時にリラさんの小屋を訪問していた人物だった。眼鏡をかけて、細い目をした細身の男性。この村の人間じゃないんだろう、少なくとも農業に従事する人間には見えない。すっきりとしたシルエットのローブを羽織っているから、聖職者か、研究者か。恐らく後者だろう、と僕が思ったのは単なる直感だった。神官様だとしたらこんなイヤな目をして僕らを見ないはずだ、と、そういう願望のようなものだ。
「何するのよ、放して!!」
「そうはいきませんよ。…全く、あなた方のせいですっかり段取りが台無しではありませんか」
 リラさんを手にしたナイフで脅しながら、男が言う。リラさんはそれでもなお身をよじっていたが、エンド様に「大人しくしているんだ」と落ち着いた調子で諭されてやっと、暴れるのをやめた。
「…そうそう、そうやって大人しくして頂ければ良いのです。しかし、どういういきさつかは存じませんが…」
 男は空いた手の方で眼鏡の位置をしきりに直しながら、
「――王国の末の姫君に、ティンダーリース王領の代理領主のご令息ですか。実に豪気な面子でありますな、魔族の妹さん?」
「うるさい! あたしが姉さんの妹だからって、何だって言うのよ、しつこいな!」
「魔族の近親者だ、ということに意味があるんですよ。もっと言えば、魔族の連中の関係者だというだけで十分だ」
「実験体としてはまぁ、悪くないな」
 言いながら近寄ってきたもう一人の人物の顔を見て、リラさんの顔面が蒼白になった。震える唇は言葉を漏らさない。
 武器なのだろう、ナイフを両手に持って歩み寄ってきた人物は、微笑みながらこう言った。
「いずれ迎えに来るとは言ったが、『生かして』とは言っていないからな」
 その言葉でピンときた。この男が、リラさんに呪詛の媒介を「お守り」と称して渡したロマなのか。リラさんを優しく甘い言葉で騙した、張本人。
「あなたっ…あなたがっ…」
「魔族の妹なんざに優しく振舞うなんて全く反吐が出る仕事だが、その甲斐はあったか」
「っ!!」
 先の「お守り」の一件で、自身が騙されていたことには気付いていたリラさんだったけど、この言葉で青を通り越して白いくらいの顔色に変わった。彼女の全身が震えだし、僕はぞっとして思わず鋭い鳴き声をあげたが、僕の警告は矢張り間に合わなかった。
 リラさんの影が、ぞわりと膨らみ蠢く。
 不気味な胎動は一瞬で、すぐに影は、ゆらりと鎌首をもたげ――悲鳴にも、泣き声にも似た絶叫と共に、弾けるような衝撃が僕らを襲った。
 ――呪詛の魔物が、それもさっき目撃したより一回りは大きな形を得た獣が、うぉおおおん、と、長い長い雄たけびをあげた。
「リラ、駄目だ!」
 ウィズの声ももう届かない。虚ろな眼をしてぐったりと力を失ったリラさんを抱えて、男達はその場から立ち去ろうとしている。駄目だ、何とかして止めなきゃ!
「フィフィ! 許可!」
「任せるわ。許可する!」
 男達に足止めをされていた末姫様だけれども、幸いにしてウィズの声はちゃんと届いたようだった。末姫様の許可に、ウィズがぶん、と両手を振る。同時に、ウィズに呼応するようにリラさんを抱えていた男二人がつんのめって転倒し、リラさんの身体が投げ出された。ウィズの魔法だろうか、リラさんは不自然な風で抱き上げられるように大きく飛んだ。
 地面にたたきつけられる直前でエンド様が滑りこんでその身体をキャッチする。
「リラ、リラ!」
 エンド様がほっぺたをぺちぺち叩くと、うう、と小さなうめき声があがった。安堵したようなエンド様をよそに、ウィズは険しい顔をしている。
 呪詛の魔物が、彼の視線の先には居た。
 うぉおおおおお、とまたひとつ、どこか物悲しくも聞こえる咆哮をあげてから、魔物が大きく跳躍する。向かう方向は――村の中心の方だ。
「…魔族の近親者も魔族と同じ、世間じゃそんな風に思われていますからね。あの魔物が村を壊せば、いよいよ魔族の評判は悪くなるでしょうねぇ!」
 吹き飛ばされながらも、立ち上がった男がそんなことを言う。ぎり、とウィズの歯がみする音が聞こえた。
「くそ、全員まとめて吹っ飛ばしてっ…」
 ざわりとウィズの周りの空気がざわめく。ここで足止めされてる場合じゃない、早くあの魔物を止めないと――そして呪詛を、呪詛を媒介しているアイテムを探し出して壊さないと、リラさんが多分危ない。
「では我々はこれで」
 男は立ち去ろうとしている。ウィズが焦れたように足をふみならして何かの魔法を行使しようとしたが、一直線に逃げようとしている相手に間に合うかどうか。
 などと思っていたら。
 まず異変があったのは表だった。さっきまでの剣戟の激しい音が聞こえなくなっている。僕らがそれに気付いたのは、逃げる男の前に――唐突に、本当に唐突に出現した人物のせいだった。
 どこから現れたのか。空間に突然出現した、としか表現のしようがない。
 ――そこに居たのは青い狼と、それに騎乗する黒ローブの男の人。
「…あの魔物に関わるな、って僕は言わなかった?」
 いささかならず不機嫌そうに、僕らに向けて告げてから、彼は嘆息する。
「全く、状況を引っかきまわしてくれて――お陰で僕の計画もおじゃんじゃないか。こいつらとっちめて『あの人』の居場所探ろうと思ってたのに」
「貴様…!」
 どうやら彼を知っているのか、それまで幾らか余裕さえ感じさせていた男の人の声に怯えにも似たものが混じる。だが彼はそんな男のことなんて歯牙にもかけていないらしかった。末姫様達の方に向けて、
「さっさと行きなよ。あの魔物を止めないと君たちにはまずいんじゃない? 僕はどうでもいいけどさ」
 その言葉に、末姫様は躊躇をしなかった。疑わしげな表情のリサさんを促して村の方向へと走る。その後を追いかけようとして、ウィズがふと、彼に問いかけた。
「…お前、何者だ?」
 答えは狼の上の彼からではなく、怯えた男達の方から聞こえた。さっきまで末姫様とリサさんが相手をしていた人達の方だ。見れば、そこかしこの影から湧きだした白い骸骨が、男達を足止めしている。
 成程、末姫様達が自由に動けるようになったのはあれのお陰だったか。
「<ナハト>――!」
「何だってこんなとこにっ…ひぃぃ!?」
「ナハト――まさか、夜(ナハト)?」
 不思議そうにその名を口に乗せたウィズに、青年が陰鬱そうに笑みを投げる。問いには答えないで、ただ一言。
「さっさと行きな、坊や」
「……感謝はしねぇぞ」
 言うなりウィズは転がっていた僕を拾い上げ、リラさんを抱えたエンド様を促して、木立の向こうの村へと駆け出した。エンド様は事態を呑みこめていないようだったが、走り出してすぐに、ウィズが逃げるようにその場を後にした理由は分かったんじゃないかと思う。
 聞こえてきたのは剣戟の音でもなく、最早、争い合うようないかなる音でもない。
 ――この世のものとは思いたくないような、絶叫が響いたのだった。背筋の凍るような声だった。



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