Princess Brave!




 小屋の中を見た瞬間に僕は絶句(喋れないけど)した。狭苦しい小さな小屋は、王城に慣れた僕の眼にはひどくみすぼらしくも見えたけれど、そこが問題ではない。
 入ってすぐに竈と水瓶。ぼろぼろに使い込まれた手作りらしいテーブルに、椅子は二つしかなかった。窓ガラスは先程の乱暴な村の人達の仕業だろうか、割れて使い物にならなくなっている。ガラス片が落ちておらず、継ぎはぎのある布で覆われているところを見るに、多分、割られたのはだいぶ前なんだろう。
 だが問題なのはそこではない。
 リサさんが青くなって、奥にあった扉に手をかけた。
「リラ!」
 そこはどうやら寝室になっているらしい。狭くて天井も低くて、ついでに言えばやっぱり窓ガラスを割られたところを布で目張りしているような有様だったけど、簡素なベッドがひとつ置いてある。その上に、リサさんとそっくりの女の人がうずくまるようにして横たわっていた。
 リサさんと同じぼさぼさのブルネット。リサさんと違うのは彼女がショートヘアだという点と、あと当然ながらメイド服ではないという点だ。そして瞳の色も違う。彼女は魔族ではないらしいから当たり前だけど、若葉みたいなはっきりとした緑色をしていた。苦しそうに薄眼を開いて、その緑の眼が飛び込んできたリサさんを見る。
 よろよろと身体を起こしたその人に、リサさんは駆け寄った。
「リラ、リラ! どうしたの、何があったの…村の奴らに何かされたの!?」
 ものすごい剣幕で妹さんに触れようとした細い手が、ばしり、と乱暴に払われる。
「うる…さいっ…触るな!!」
 リサさんはその拒絶に目を丸くして、振り払われた格好のままで硬直する。苦しそうに喘ぐ呼吸の隙間から、押し出されるような悲鳴が続いた。腹を抑えて身体を折り曲げながら、それでも零さずにはいられないといわんばかりに、妹さんの言葉がとぎれとぎれに、僕らにも聞こえて来る。
「…今更何をしに来たのさ、姉さん…あんたのせいで…あたしは何もかも…なくしてばっかりだ…」
「……っっ」
 リサさんが唇を噛んだのが、見えた。
 ――自分が魔族だったばっかりに、魔族ではない妹さんが不当に冷遇されている。姉として、リサさんの気持ちはいかばかりか、僕らには到底分からない。
「大人しく…誰に何を言われても大人しく耳を塞いでっ…村の誰もかれもが嫌がる仕事も引き受けて…ここまであたしは誰にも迷惑なんかかけてない…のに…! あんたが魔族だったばっかりに全部台無しだ…!!」
 そこまで吐き捨てるように叫んで、ぐ、と、妹さんは微かな苦悶の声を漏らして動かなくなってしまった。
「………リ、リラ…」
 リサさんの肩が僅かに震えている。
 その肩に手を置いて、エンド様が厳しい顔をなさっていた。末姫様を振り返って、彼はこう告げる。
「お前達が魔物と戦っていた間に、一気に彼女の具合が悪化してな」
「具合、が。…どういう状態なのか、エンド、分かる?」
「俺は医者ではないし、魔族でもない。あいにくとな。だが魔物の出現とのタイミングが合いすぎている。もしも魔法絡みであればリサに分かるかと思ったんだ」
 その言葉に、リサさんは冷静さを取り戻したらしかった。ぐっと顔をあげ、倒れ伏したリラさんの周囲を目を眇めて見遣る。
「――、この精霊…!」
 ぎょっとしたみたいに、リサさんは口に掌をあてた。そうしないと叫んでしまうとでも言わんばかりに。そのまま震えながら、がっくりと肩を落とす。
「……そんな。あの、魔物と、同じ種類の精霊力…?」
 あの魔物。先の黒い影のような魔物と、同じ精霊が、その力が、妹さんの周りにいるってこと?
 魔法に明るくない僕にはよく分からないけれど、そこに説明を加えるみたいに、
「フィフィ、にかけられてる、呪詛と」
 呻くような声は、部屋の入り口からだった。扉に手をかけて、こちらも真っ青な顔色をしたウィズだ。どうやら目が覚めたらしいが、具合が良くなったわけではなさそうである。
「……よく似た、精霊力だ。呪詛だな…。お前の妹、呪われてるぞ」
 一息に言ってウィズはずるずるその場に崩れ折れてしまった。慌てて末姫様は駆け寄ろうとして、動かしてしまった肩の痛みにこちらも倒れ込む様にうずくまってしまう。誰も彼も酷い状態だ。
「あたしが、呪われて、る?」
 ぱちくりと瞬いたのはベッドの上の妹さんだ。彼女はウィズの存在に初めて気づいたように部屋の入口へ眼をやり――そして。
 その顔にあからさまな恐怖を浮かべて、ベッドの上で後ずさった。
「……ひっ…」
 正確には顔じゃない。多分。ウィズの、あの瞳だ。強すぎるほどに強い金色を宿す、強力な魔族であることを雄弁に物語るあの瞳の色を、妹さんは見てしまったのだろう。悲鳴を漏らして彼女はベッドの上から降りようとして失敗し、尻もちをついた。それでもなおウィズから距離を取ろうとするみたいにずりずりと後ずさっている。
「魔族…何でここに、何でこんなとこに魔族がいんのよ…!!」
 瞳には先程までの苦痛だけではなく、恐怖の色がはっきりと見て取れる。僕が振り返った先、思いのほかウィズの表情は平板だった。ただ、感情の色が見えないのが、かえって恐ろしくもあった。
「…別に獲って食いやしねぇし、村の連中には俺の存在は感づかれてねぇよ…」
 淡々と、ウィズはそう告げる。だが金切り声みたいになっていく妹さんの様子は、落ち着く事はなかった。
「何でもいいわ、出ていって…! どうして魔族なんか連れて来るのよ、やっぱり姉さんなんか…っ、姉さんが居るから!! どうしてよ、どうしてあたしは魔族じゃないのに、魔族なんかと同じ目に遭わなきゃならないの!?」
 一際、大きな金切り声と、同時。
 ざわりと部屋の空気が動いたような気がした。ウィズが真っ先に反応して顔をあげ、次いで、リサさんが。
 室内に深い深い影が落ちていた。まだ日も高いのに、影があまりに濃い。その違和に僕や末姫様が気付いた時には、その濃密な影はどろりとした粘り気すら持って、形を取ろうとしていた。
 四肢をもつ獣のようなその姿は、先ほどまで末姫様達が闘っていたその獣と同じ――
「な…」
 驚愕よりも先に、緊張に末姫様が身体を固くする。だが、獣は自らを形作ることもできないようだった。四肢を形作ってはその輪郭が崩れ、再び構築し、という動きを繰り返すばかりだ。そしてその動きと同時に、ベッドの上の妹さんの苦悶の悲鳴が強く鋭くなっていく。
「ああああああああ!!!!」
 身体を折り曲げた妹さんに、駆け寄ろうとしたリサさんは、形すら作れない「影」にそれでも行く手を阻まれる。
 まるで妹さん自身が、リサさんを拒絶しているかのよう。いや、「まるで」じゃないな。きっと本当に、妹さんはリサさんを拒んでいるんだ。
「はっ…うぐ…う、ぎ、あ、あ、あ、あああ」
「やめろ! それ以上呪詛を深くするな、喰い潰されるぞ!?」
「うる、…うる、さい…あたしは何もしてない…何も何も、これは、勝手に、――あたしのせいじゃないっ、あたしとは関係ない…!!」
 言葉は悲鳴と苦痛とが入り混じって、上手く意味を成さないが、それでも断片的な言葉でいくらか理解出来ることもあった。
 さすがの末姫様も僕も、エンド様も。魔法に疎い僕らだって確信する。
 ――この黒い魔物、影の獣は、リサさんの双子の妹さん、彼女が関わっているものなのだと。
 先ほど、末姫様やリサさん、何よりもウィズに破壊され続けた事が影響しているのだろう。結局、影の獣は自らの形を造れないまま、妹さんが気絶するのと同時に影ごと霧散して消えてしまった。僕は知らずつめていた息を大きく吐きだして、すっかり緊張で逆立った羽毛を押さえつける。末姫様も同様に緊張から解放されたか、ふぅと細い息を吐きだしていた。
「……どうなっているのか、説明できるか?」
 エンド様の問いかけに、魔法の専門家であるリサさんとウィズ、魔族二人はその金交じりの眼を互いに見合わせあった。リサさんの顔色はかなり悪い。――妹さんがあんな激しく苦しんでいるのを目の当たりにした上に、その妹さんから手厳しい拒絶をされてしまったのだ。無理もない。
 体調は悪いままだろうに、そんなリサさんを気遣ったんだろう。口を開いたのは、ウィズだった。
「呪詛、だな。どこかの魔族か、さもなければ悪魔か。およそロクでもないものに目を付けられて、呪いをその身に受けている」
「呪詛…」
 エンド様は耳慣れぬ単語を聞いた風にその部分を繰り返した。ああ、と頷いて、ウィズは末姫様を顎で指す。全く、無礼な奴だ、礼儀がなってない。
「アイツも喰らってる。…魔族の中でも特に一部の、術式に精通した奴しか扱えねぇタイプの魔法なんだけどな。ある特定の条件に反応して、自動的に元々仕込まれてた通りの魔法を実行する、っつー、何とも手の込んだ魔法さ」
 ちなみにさすがに有能な俺も適性がないので扱えない、と、最後に一言茶化したように付け加えて、ウィズはそこで言葉を切る。少し考え込んで、じっと、さっきまで影の蠢いていた場所を睨んでから、付け加えるようにゆっくりと、
「……『アイツ』の呪詛でもない限り、普通、呪詛には媒介が必要だ。いわゆる『マジックアイテム』って奴だな。精霊の力を織り込んで作る特殊な道具だ。逆に言えば、それを見つけて壊してしまえば、呪詛を壊すことが、出来る」
 そう、告げる。
 末姫様は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、それ以上は追及もしなかった。今は目の前のリサさんの妹さんの件を優先すべきだと判断したのだろうと思う。
「それがどこにあるのか、探せる?」
 末姫様の問いに、ぐっと眉間に皺を寄せて辺りを睨むようにしたウィズは、数秒後に肩を落とした。眉間を指でぐりぐりとマッサージしながら、
「悪い。そこまでは」
 末姫様は特にそれについては責めるようなことは口にしなかった。そう、と頷いただけだ。床に座り込んで何やらじっと考え込む。そして、
「…リサもしばらくはここに戻っていない。彼女の近況を知っているのは村の人たちだけね。エンド、あなた、村の人に顔は利く?」
「村長なら俺の顔くらいは知っているかもしれんが、さて、どうだか…」
「私はさっき飛び出したでしょ。村の人に警戒されてるかも知れない。聞き込みを頼んでいいかしら」
 珍しく相手の顔色をうかがうような末姫様の問いかけに、エンド様はしばらく思案なされた様子だった。眉根に皺を寄せたままうなって、でも他にまともな代案を思いつかなかったんだろう。頷く。
「仕方あるまい。他に良い手もなさそうだしな。リサ、お前は妹を看てやれ」
 力なく座り込んでいたリサさんはエンド様の言葉で我に返ったようだった。背を伸ばして、乱れたメイド服のスカートの裾を直しながら頷き、それでも、この人にお仕えしているメイドとしてではなくただ一人の無力な姉としてだろう、耐えきれなかったみたいな自嘲を零す。
「――私は何も出来ませんね、若様。お役に立てなくて、申し訳ありません」
「馬鹿を言うな、リサ」
 エンド様は大真面目に即答した。叱りつけるみたいに厳しい調子で、けれども視線は柔らかく、リサさんに近づいてブルネットを優しく撫でつけて。
「お前を嫁に迎えて堂々と連れて歩けぬ、不甲斐ない俺こそ役立たずだ。お前は俺より余程、頑張っているよ」
「…若様、そんなことを仰らないでください。若様は私達魔族に良くしてくださっています」
「それだけでは意味がないだろう。俺の成すべきことは目の前で困窮する民を助けることではない。施しを与えることではないのだよ。…目の届かぬ者を助けられぬというのならば、目の前の者を助けられたところでどれだけの意味があるものか!」
 その言葉に、末姫様が僅かに唇をかんだのが、僕にははっきりと見えた。末姫様も似たような葛藤を感じておいでなのだろうか。僕にはその点はよく分からなかった。
 そう言う訳でエンド様は村に聞き込みに行くことになったんだけど、どういう訳だか彼は僕を連れて行くことを主張した。
「…この子を? でもその、言っちゃあ何だけど、この子はまだ竜の雛よ。護衛にはならないと思う」
 末姫様、そんなにストレートに仰らなくってもいいじゃないですか。僕、一応ちゃんと人語を理解してるんですよ。ほんのり傷ついた心を羽根をしぼませて表現していたら、エンド様が僕を拾い上げて頭を撫ぜて下さった。
「いや何。愛玩動物にも使いどころはあると言う事さ。それにお前が思うほど、この竜の子は愚かじゃあるまい――というか竜なんだからむしろ人間の我々より賢いんじゃないか」
「…まだ人語も喋れないのに?」
 疑わしげな末姫様。ひどいや、末姫様、もう十年以上のお付き合いじゃないか!
「俺もエンドに賛成だ。そいつはそこそこ頭が回る様だぞ、フィフィ」
 意外なところから助けの手が入った。ウィズだ。
「まぁだからって悪口言うたび突っついたり噛みついたりするのは勘弁だ。…そう言う訳だし、貸してやれ、フィフィ。そいつが傍に居なくて不安なのは分かるが俺もリサも居るだろ」
「別に不安じゃないし、その子がいないからって淋しくも無いわよバカ!」
 連れて行きなさいよ、と、捨てゼリフみたいに末姫様は言ってそっぽを向いてしまわれた。あらら、あのあからさまな強がりようを見ると、もしかして僕が思ったよりも末姫様は僕を頼りにして下さってたのかな。だったら嬉しい。






 村の中は先の騒動の影響だろう、ひどく静まり返っていて不気味なくらいだった。壊れた柵や、ところどころに壁の崩れた建物が見えるので、事情を知らなければ廃村ではないかと疑いたくなるくらいだ。黄金色の麦畑は見事なものだったけれど、それもところどころ痛ましく踏み荒らされ、ぼろぼろになってしまっている。
「収穫にどれだけ影響があるものやら、…全くたまらないな」
 エンド様がぼやいたところで、村の人だろう。一件の家から恐る恐るという風に顔を出した人物がいた。まだ若い――リサさんと妹さんとそう変わらないくらいの年頃の女性だ。
「……旅の人? 悪いけど、今、この村にあんたを迎えられそうな家も宿もありゃしないよ。日の高いうちに隣町を目指した方が良くないかい」
 あまり親切、とは言い難い雰囲気だ。ぴりぴりしているのはこの村の状態から言って無理もないかもしれない。
 エンド様は一瞬も迷わなかった。以前から考えてあったんだろう、すらすらとこんなことをのたまった。
「ああ、この村の者か? ちょうどいい、俺は王都からの隊商の人間なんだが」
 ちなみにエンド様は見た目こそ質素な旅装をまとっていらっしゃるが、よく見れば服の仕立てがいいのは一目瞭然だし、豪商の遣いだと言えばかろうじて信じて貰えるかも、しれない。
 金を持っていそうだ、とでも踏んだのだろうか。警戒は緩めないものの好奇は示して、女性は扉からもう半歩だけ身体を出した。
「…こんなチンケな村に何の用だよ。この間のロマの連中といい、全く流れものってのはモノ好きが多いことだ…」
「ロマ? …ロマが来ていたのか、この村に。ふむ…では、今この村に来ても採算は見込めぬか…」
 いかにも商売人っぽくエンド様がそう仰った。
 あ、そうだ。「ロマ」って言うのは、多分みんなも知ってると思うけど、旅から旅へ、国に縛られずに暮らす旅芸人達のことだ。音楽や占いやちょっとした魔法や、そうしたものをお金に換えて生活している。こういう小さな村では娯楽が少ないから、彼らの訪問はもてはやされたはずだ。
 ――もっとも、余所者であり、何者にも属さない彼らを嫌う人が多いのも事実。それに、一昔前までは、ロマの一団には必ずと言っていいくらいに魔族が居た。魔族に生れついちゃった人達は、大抵故郷で酷い扱いを受けたり、追い出されてしまったりで居場所がなくて、ロマの中でかろうじて生活するのが精いっぱいってことも珍しくはなかったんだ。それで余計に、ロマの人達は同じ場所に長居をすると嫌われることになる。
 ちょっとした刺激として歓待はされても、決して受け入れられることはない。それが、ロマ。
「…そうよ、薬やら何やら買いこんで…あの頃はまだこんな魔物騒ぎも起きていなかったしね。ちょっとした贅沢を済ませてしまったから、この村の連中に期待なんかするだけ、無駄だよ」
 さばさばとした調子で女の人はそう言って、でも少し惜しそうにエンド様の服装を見つめていた。羽振りの良さそうな商人に宿をふるまえば、それなりの礼金に預かれるかもしれない。そんな視線だ。
「……まぁ、あんた達が商売したいってんなら、村長辺りは歓迎するんじゃないのかい」
「ほう、何でまた」
「ちょっとね。何か、金のアテが出来たとか何とかで機嫌がいいのさ。こっちは収穫も危ういんだけどね」
 彼女はそう言って憂鬱そうな溜息をついた。
「……あの魔族の妹をロマの連中にくれてやりゃあ良かったんだよ、あの娘だってロマの奴らと随分と何だか仲良くしてたようだしね。村の連中のお情けで生活出来てたってのに、あの魔物騒ぎだってあの妹のせいだって言うし…そうそう、あのロマの奴らが立ち去ってからだよ、魔物が出るようになったのは。あの娘がロマから何か怪しい術でも覚えたんじゃないのかい」
 ぼそりと、そう口早に一気に呟く。僕は思わず顔を上げてしまったが、エンド様はあまり動じた様子はなかった。さすが、公爵家の若様は伊達ではない。
「魔族が居るのか? 何だか縁起が悪いなぁ、この村へ立ち寄るのは矢張りやめた方が…」
「ま、魔族じゃあないよ。その妹さ。薄気味悪いのは確かだが、滅多なことじゃあ村にも寄りつきゃしない」
「……そりゃあまぁ、姉が魔族では、居心地も悪かろうな」
 エンド様の言葉の苦い響きに女性が気付いたかどうかは定かではない。彼女は気まずそうに揉み手をしながら目を逸らして、
「それにどうせ、そのうちあの気味の悪い妹だって居なくなるんだ。今の今までわざわざあたしらがお情けであの小屋に置いてやってたんだから、今年の冬を越えるための役にくらい立ってもらわなけりゃあ」
「――居なくなる? 何でまた」
「…知らないよ。村長ンとこに、領主からの遣いだって奴が来て、何の物好きなんだか、魔族の近親者を集めてるんだと。城で奉公できるんなら、分不相応なくらいの幸せだろうよ」
 冬を越える為の役に――という発言から察するに、それは「お城で奉公する」というよりも、身売りをされるような、そういう風にしか僕には捉えられなかったし、多分、エンド様も同様だろう。一瞬だけ難しい顔をした後、エンド様はにっこりと笑みを浮かべた。ただし眼が笑ってない。大っ嫌いなリュクス伯爵家の厭味が大好きなご婦人を相手にする時みたいな、不必要に礼儀正しい態度だった。
「いやいや、参考になった。お手を煩わせて申し訳なかったな。宿は、この先の町でとることにしよう」
「ん…そうかい? ま、都会の方にゃあ、ウチみたいな田舎の家に泊まるのも退屈なんだろうね」
 ちくりと厭味を言いながらも女の人は扉を閉じ、そうしてようやくエンド様は深々と溜息をついた。
「ロマと、リラ嬢が親しくしていたという件が少し引っ掛かるな。それに…村長か。…そちらにも話を聞きに行った方が良さそうか…?」
 ぶつぶつ呟きながら、エンド様はきょろきょろ。辺りを見渡した。小屋がぽつぽつと、それに水車と畑。見晴らしがいいお陰で、そんなエンド様の視線から身を隠す人達の姿がちらりと見えた。
 どうも余所から来た旅人を歓迎している、って雰囲気じゃないよねぇ、あれは。僕はそう思いながらエンド様のブーツを突っついてみる。エンド様は僕を拾い上げるとにこりと笑った。とってもふくよかでいらっしゃるエンド様による「抱かれ心地」はとても良い。
「どうしたもんかな、リサを連れてくるべきだったかなぁ。俺は荒事が不得手なんだ。お前はどうだ、竜の仔」
 僕はぶんぶんと首を横に振る。あいにくと雛の僕に出来るのは、近くの人間の足もとを突っついて嫌がらせをするくらいですよ!
「……では仕方がない。小屋まで逃げるとしよう」
 エン様は実に落ち着き払った様子でそうのたまうと、悠々とした足取りで小屋の方へと踵を返した。抱きあげられた僕にはエンド様の肩越しに、律義についてくる人達の姿が丸見えだ。
 何なんだろうあの人達。村の人、というには随分と垢ぬけているような感じだし、それに随分とガラが悪い気がするなぁ。服だって畑作業をするような恰好じゃない。どちらかといえば、末姫様やウィズみたいな、旅装に近い、動きやすさと頑丈さを同時に重視したような作りの格好をしていた。
「まぁ、推測ではあるが」
 僕の疑問を察したんだろうか。小さな声で、エンド様が教えてくださった。
「リラの例の『呪い』と関連しているのではないかな。…最近、俺の家の近所で見かける輩とよく似てるんだよ、雰囲気が」
 エンド様は思うところがあるのだろう、声色が僅かに尖ったようだ。
「……母上の乱心と、あいつらと、それに『呪い』に『ロマ』か…。全く、ここ二百年平和だったというのに、俺の領内だけでも随分と不穏なことだな…」
 この異変が王国全土にわたっていたら、遊んでいる場合ではないぞ、フィフィ。
 彼の呟きに、僕は何故だか、羽毛が逆立つのを抑えられなかった。



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