Princess Brave!
――城門前には、物々しい気配が満ちていた。重たい金属の触れ合う音と、低い報告の声だけで、場の緊張がいやおうなしに伝わってくる。
城門を見下ろす見張り台には、一際目立つ女性の騎士の姿があった。白銀の、軽量化された鎧を身につけている。装飾性も高いが、あの鎧はメイ様が手ずから精霊の加護を得られるように魔術を組み込んだ一品で、とても実用性も高い。
大振りの両手剣、ブロートソードを持って、リトゥリー様は風に末姫様そっくりの青味の強い金髪を、まるで旗みたいになびかせていた。
王国のお城は、小さな湖に囲まれるようにして建てられているから、その向こう側にはキラキラと輝く水面が見える。ちょうど、その深い青に、青金の髪は鮮やかだ。
「リトゥリーお姉様だわ」
末姫様が小さく呟いて、外を覗いた。
僕らが立っているのは、見張りの為の塔のひとつ、その窓辺だ。周囲にはこの場を護る騎士が二人居るから、大きな声を出すと見つかってしまう。それで末姫様の声はずいぶんと低められていて、多分、ウィズには聞こえなかったんだろう。
彼はといえば、双眼鏡をひとつ拝借して、外の様子を熱心に見入っていた。
「お前、ホントに大丈夫なんだろうな、フィフィ」
騎士の人が二人で会話を始めた隙に、ウィズが末姫様に耳打ちする。「フィフィ」という末姫様のご幼少の頃の呼び名が彼はよほど気に入ったのか、結局、末姫様がどれだけ嫌がっても「フィフィ」と呼ぶことに決めてしまったようだ。
憮然とした表情で、けれども末姫様は自信たっぷりに告げた。
「あたしを信じなさいって言ったでしょ」
「だけど、なぁ…女一人、魔族一人の腕で正面突破なんて、絶対できねぇぞ、あれ」
…。ウィズの言葉には引っ掛かりを覚えて、僕は唸る。
確かに僕はただの末姫様のペットだけどさ、何でそこで僕を勘定に入れないかな、この人は。
「いてっ!?」
つい、僕は自己主張のつもりで彼の足に噛み付いてしまった。加減はしたつもりだったのだけど、不意打ちされて驚いたんだろう、ウィズがそんな風に声を上げる。途端、部屋の中に居た二人の騎士がぎょっとしてこちらを見た。
「な、何者だ!?」
誰何の声と同時に、ウィズが叫んだ。
「馬鹿ドラゴン!てめーのせいで魔法が解けただろうが!」
僕のせいにしないでよ、声出しちゃったお前が悪いんじゃないか…と言いたい所だけど、何かそれどころじゃない。騎士二人は目を瞠って末姫様を見ていた。
「フィーナ様!い、一体どこに隠れて…」
「突破するわよっ!!」
戸惑う二人の騎士を正面に見据えて、末姫様の判断はそれはそれは素早いものだった。お気に入りの水色のスカートの裾をはしたなくも持ち上げ、そこに隠していたご愛用の武器を手に構える。
ちなみに末姫様のご愛用しておられる武器は、先程、僕らが幽閉されてた塔の扉を叩き壊したもの、だ。
――ウィズが、何とも言えない顔をした。呻く。
「…。なぁ、そこのチビドラゴン、俺が寝てる百年で、世のオヒメサマってのはあんな物騒な武器を使うよーな時代になったのか?」
末姫様が構えたのは――
この世で多分、一番シンプルで、原始的な武器。
それ故になんかとんでもなく、物騒なシロモノ。
――重量で人を叩き潰す、という点では、ブロートソードとそう変わり映えするようなものではないのだけど、「ウォーハンマー」ってモノはどうしてああも、凶悪そうに見えるのか。
「ひ、姫様っ!?抵抗なさらないでくださいぃぃ!!」
「お黙りっ!」
…ああ。なんかすごい痛そうな音が。
僕とウィズは思わず揃って目を逸らした。
解説しておくと、末姫様ご愛用のウォーハンマーは、鋼鉄製で、とにかくただシンプルに「人を叩き潰す」ことだけを目的に作られている。基本的には遠心力を利用して振り回すものなので、命中率も高くないし、振り回してる間は隙も大きい。
でも、例えばほんの僅かにでも命中すれば、鋼鉄の鎧を着ていようが、魔法の加護を得ていようが、その衝撃だけで骨を折るくらいは容易いし、本気で当たり所が悪ければ内臓を潰されて死に至るだろう。
末姫様が使っているのは、それでも、細腕の末姫様に振り回せるようにギリギリのバランスで軽量化されているので、素早さが上がっている分、威力も弱まっている。
…と、僕はメイ様から教えてもらったことがあるんだが、それにしたって痛そうです、あの騎士さん。うずくまって唸っててなんか見てるこっちが可哀想になってきた。
「だ、大丈夫か?」
思わず、といった風でウィズが騎士さんに声をかける。多分、騎士の人たちは彼が何者なのか、とかそんなことは分らないのに違いないけれど、瞳の金色の強烈さを見て、王宮に仕える魔法使いの誰かだと判断したのかもしれない。特に警戒する様子もなく、よろよろと手を振って見せたりなんかしていた。ああ、良かった大丈夫そう。
「ウィズ・ウィス!ぼやぼやしてんじゃないわよ、さっさと行くわよ!」
ドン、とウォーハンマーを軽く床に叩きつけ(その音にビクリとウィズと、もう一人の騎士さんが身を竦ませた)末姫様が怒鳴る。
「お、おまえ、お姫さまならもう少しお姫さまらしくだな、俺もなんか手を貸そうって気になれねぇじゃねーかこれじゃあ!」
お前の方が悪役だぞ!とウィズは言いながらも、末姫様の駆け出したのを追いかけて走り出した。
「フィータ!てめぇ、曾孫のシツケくらいきちんとしておけっ、くそったれー!!」
天国へ向けたのだろう彼の悲鳴なんて、僕が知る由も無いし、末姫様にいたっては鼻で笑い飛ばしただけだ。皮手袋をキリリと填め直し、黒い鋼鉄の塊を振り上げる。廊下で末姫様を停めようと構えていた騎士が、まず武器にぎょっとして後ずさった所へ、勢い良くウォーハンマーは振り下ろされた。命中こそしないものの、末姫様は振り下ろした勢いをそのままに、騎士さんに跳び蹴りを喰らわせる。
鋼鉄の鎧を着ている騎士さんがそのくらいで倒れる訳はないのだけど、何せ、彼らからしてみれば相手は末姫様だ。おいそれと、傷つけて良い相手ではない。幾ら末姫様が陛下を傷つけた犯罪人であるとはいえ、王宮の騎士団、特に近衛騎士の人たちは、幼い頃から末姫様を知っているのだから。
たたらを踏んだ騎士さんが躊躇している数秒の間に、末姫様が駆け抜け、その後を僕と、僕を抱きかかえたウィズが走り抜ける。ごめんね、と言うつもりで僕は小さく鳴いたけれど、多分聞こえていないんだろうなぁアレ。
塔を駆け下り、城門へ通じる庭の一角に飛び出す。大きな植え込みが沢山あって身を隠すには困らないのが幸いだった。騎士の人達に見つからないうちにと、ウィズが急いで、さっきの姿を隠す魔法をかけなおしてくれたのだ。お陰で、僕らは息を潜めながらも、城門まで近づくことが出来た。
――リトゥリー様を見上げるような位置まで来て、末姫様は、ウィズに身振りで止まるように指示し、それから僕を「むんず」と掴んだ。
あの、末姫様、何をなさるおつもりで…?
「決まってるでしょ」
末姫様は僕の物問いたげな視線に気付いたのに違いない。可愛らしいウィンクをぱちりと決めて、それでも片手にはウォーハンマーを持っているからちっとも可愛く見えないんだけど。
「こう、するの、よッ!!!」
息を吸い込み、勢いよく吐き出す。
全身の筋肉を、猫が狩りをする瞬間のようにバネのように使って、末姫様は、大きく僕を持った腕を振り上げ、振り被り、その結果。
僕は飛んだ。
放物線を描いて飛んだ。
ウィズが顔を覆っているのが見えた。お前俺のかけた魔法をまた無駄にする気かコノヤロウ。表情が無言の中にそう告げているのが読み取れて、僕は、笑いたくなったが、実際の所笑うどころじゃあなかった。そりゃ僕、羽毛は生えているし、将来的にはでっかいドラゴンになる予定だけどさ!
丸くてころころした僕の身体は、空を飛ぶようになんて造られてないんだよ!!
「大変ですリトゥリー様ぁぁ!北の物見塔にっ、フィーナ様がぁぁ!!」
「…遅いわ、阿呆」
空を飛ぶ――というかこの時点では、「落下する」状態になっていた――僕を見上げているリトゥリー様のそんな声が聞こえて来る。
「アレは、フィーナの…と言うことは、近くに居るんだな、フィーナ」
「お姉様ーぁ!!」
果たして姉姫様の仰るとおり。末姫様の甲高い声が、朗々と響き渡った。
魔法が解けて、二人の姿が見えるようになったのだろう。周りの騎士さんがざわめき立つ。気の早い人は剣を今にも振りかざそうとしていた。が、リトゥリー様の声がそれを一喝する。
「手を出すな!」
「し、しかし隊長…」
「構わん。…態々私の前まで来て姿を見せたのだ。何か理由があるのだろう、フィーナ」
「ええ」
皮手袋の末姫様はウォーハンマーを担ぎ上げて、リトゥリー様を真っ直ぐに見上げた。
ちょうどその頃、僕は重力に逆らえずに地面へと落下していた。思ったより衝撃が少ない、と思って瞑っていた眼をそろそろ開けてみたら、目の前に、人の顔があって、吃驚する。相手の方も、突然落っこちてきた僕に目をぱちくりとさせていた。どうやら落ちてきた僕を誰かが受け止めてくれたもの、らしい。
末姫様とリトゥリー様のやり取りが聞こえて来る。
「…本来ならば手袋を投げるのが流儀だったと思うのですが、わたくし、生憎この手袋を外すと得物を振るうことが出来ませんの。代わりにわたくしの大事なペットを投げましたから、そちらで勘弁して頂けますか、お姉様」
「手袋を」
くすり、と笑って、リトゥリー様。
「成る程。…私に決闘を申し込もうというのか、フィーナ・フィーディス。七の姫よ」
「ええ。場の指揮官である貴方に、一対一の決闘を申し込みます、リトゥリー・リート、一の姫様」
ウィズがぽかんとしているのはなかなかの見物だった。
「…その申し出を受けて、私に何の利がある?お前は今や陛下に仇なした罪人だ。しかもお前の手勢は、その竜の子を含めても二人と一頭、…数の上では圧倒的に私が有利だというのに」
「いいえ。お姉様はこの申し出を受けます」
凛、と、末姫様のお声はよく通った。
「――お姉様は、騎士であらせられます。決闘を退けるは、騎士の誇りが許しますまい、お姉様」
「…ふむ、」
リトゥリー様は、どうやら笑ったようだ。風に靡く、末姫様に良く似た青金色の髪がゆぅらり、旗のように揺れて見える。
「もう一つ、お姉様、わたくし、お伝えしなければならないことが」
「何だ?」
剣を手に取り、リトゥリー様は周囲の騎士を制し、物見の塔を降りる。末姫様の目の前に陣取り、悠然と問い返した。
「…あたしね、姉様。よりによって、このあたしに、お父様を傷付けさせたどっかの阿呆を許せないし、呪いをかけられた自分の間抜けさ加減もなかなか許せないのよ」
ウォーハンマーを構え、末姫様は足元の芝を踏み締めた。じゃり、と土を踏む音が響く。末姫様はちらと、後方に構えるウィズを見遣った。
「ねぇこういう時、何て言うんだったかしら、自分の責任だもの。自分で…」
「落とし前をつけたい?」
「そう、それ」
にやり、と末姫様は笑った。猫みたいな、お上品な令嬢が扇に隠して笑うようなあんな笑顔じゃあなくって、歯を見せて獰猛に笑う。
「――てめぇのケツはてめぇで拭くわ。誰かに頼るなんて真っ平御免よ!」
「…」
俺はそこまで下品なこと言って無いぞ、と、ウィズは後ろで頭を抱えて、そうかこういう奴なのか、と一人で納得している風だった。
「…俺が寝てる百年で、オヒメサマの良識はどこへ消えたんだろうなァ、フィータ…」
――大丈夫。さすがにあんな台詞を吐く「オヒメサマ」は、世の中広くっても、多分、末姫様くらいしか居ないだろうから。
「己の呪いは、己の力で解いてみせる、と言うことか」
「だってあたしの責任だもの。それくらい出来なくて何がオヒメサマよ。一国の王族ともあろうものがむざむざやられっ放しで、黙っていられるもんですか!」
憤然と語気を荒げる末姫様に、リトゥリー様も笑みを浮かべた。こちらも、矢張り姉妹だ、末姫様によく似ていらっしゃる。王族の令嬢とも思えぬ、獰猛な表情で剣を油断なく構えた。
「…ここから先は、コレで語ろう。通りたくば押し通れ、フィーナ」
「望む所ッ!」
末姫様も武器を構える。
そして二人は同時に声を張り上げた。
「どいつもこいつも、手出し無用よ!邪魔したら許さないから!」
「これは決闘だ。騎士の誇りを汚す様な真似はするなよ、貴様等!」
ウィズはちょっと遠い目をしていた。周りの騎士さん達もおおよそ似たような反応である。多分、みんな末姫様を相手に斬ったはったをするのは気が引けていたのに違いない、安堵するような表情を浮かべる人もちらほらと見えた。
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