「領主」である稲穂は、数年前に妻を亡くしてからは娘と二人暮らしである、と城下町には知られている。娘は病弱でなかなか表には出てこない。「奥様に似たのでしょうね」と、街ではまことしやかに噂されている。稲穂の死んだ妻は大変な美貌と、優しい気質を持ち合わせていたのだが、残念なことに生まれ付いて病弱でもあった。
 元々、子供を生むことは危険だ、と医者に止められていながら無理を押して娘を産んだ彼女は、その無理が祟って娘を産んで数日で死んでしまったのである。
そしてその死以来、稲穂は表にはほとんど姿を見せることも無くなった。
 それと同時期から、街には、薬や医療を扱う者も多く住まうようになった。稲穂が医療や薬学を学ぶことを奨励した為である。他にも、亡き妻の命日には必ず、お忍びで街の小さな神殿へ行き祈りを捧げているのだという。街は数年前から変わることなく賑やかなようで、一方、ほんの端々に、彼の悲しみが見え隠れしている。
 そんな領主の城に勤めるお抱え医師の秋思は、最近目に見えて薄くなった頭を撫でながら、城の中を落ち着き無く歩き回っていた。彼は稲穂の娘――花圃を、定期的に診療しているのだが、今日はどうしたことか彼女の部屋からは反応が無く、侍女に言って開けて貰えば、部屋はもぬけの空であった。窓が大きく開け放たれた部屋の真ん中、硝子の小さなサイドテーブルには、部屋の主である少女の代わりに彼女の文字で一言。
 ――街へ行ってきます。
「全く、お嬢ときたら、ご自分のお体を理解されているのやら…」
 思わずぼやいた彼に、鞄持ちであり弟子である少年が苦笑いを漏らす。
「お元気そうで良いことなのですけれどもね。」
「それはそうなのだが…部屋に閉じこもってばかりでは身体に障ると、薦めたのはわしじゃしなぁ」
 部屋に閉じこもってばかりで、侍女や家庭教師くらいとしか接することなく生活している花圃の環境を変えるように、と稲穂に進言したのは他ならぬ秋思自身である。だが、
「しかし、いつ何時倒れられるやもしれぬ身体であるというのに、お付も無く出歩く等と…」
 今、城下の街では侍女たちが大慌てで彼女達のお嬢様を探しているはずだ。ここでお待ちください、と案内された客間で落ち着かなく歩き回りながら秋思は頭を撫でた。
「稲穂も稲穂じゃ。あれほど何度もお嬢の一人歩きは危険だと言ったにも関わらず、お付の侍女を増やすだけで一向に自分では諌めようとしない…」
 鞄持ちは軽く俯いてその言葉を聞き、ゆっくりと視線を部屋の隅に持ち上げた。
「…奥様が亡くなられてから、ずっとあぁですよね。旦那様は。」
 部屋の隅っこ、ひっそりと飾られている絵には、今よりも若い領主の稲穂とその妻の姿が描かれている。秋思も、彼の弟子も、優しげに微笑むその女性のことをよく知っていた。例え病床にあっても銀髪をしっかりと結い上げて、薄紅の色をした瞳は常に穏やかに微笑んでいた。
「花圃様をお叱りになったこと、一度も無かったですよね?それに、直接お会いになることも少ないみたいだし…。…家庭教師や侍女には大変お金をかけてらっしゃるし、お誕生日には欠かさずお祝いを…それも豪勢にお贈りになられてますけど…」
「そうじゃな。」
 深くため息を吐きだし、秋思は咥えた煙草を摘んで手に取り、また口に咥えることを繰り返した。屋敷内は禁煙なので、火をつけずに咥えているのだった。それを知っているので弟子も諌めることはない。
「このままでは、お嬢のお心にも良くないとは思うんじゃが、なぁ」
 心の持ち様で、体の調子にだって差異が出ることもある。それを秋思は知っているから、深い憂いを込めてため息を吐き出す。侍医としても、一度は稲穂へ忠告をするべきなのだろうとは思っていたのだが。
「稲穂も花圃嬢も、聡いお方じゃからな。それで余計に難しいのかもしれん…」
「え?」
「…いや」
 火の無い煙草を胸のポケットに仕舞って、秋思は客間のソファからゆったりとした動きで立ち上がった。最近重たくなってきた腰を軽く叩きながら、「さて」とか呟いて、部屋の中できょとんとした顔の弟子に告げる。
「わしは少々、稲穂のところへ行って来るでの、あとは頼んだ」
「へ?…あ、ちょっと、お師様、お嬢様がお帰りになったらどうされるんですか…」
「適当に相手をしておれ。すぐ戻る」
 そんなぁ、あんな気難しいお嬢様のお相手なんて無理ですよぉ…とか、情けない悲鳴をあげる弟子を無視して、秋思は長い廊下へと出た。
 外は麗らかに晴れている。街はきっと賑わいで居るだろう。
 暫く歩くと目的の人物は呆気なく見つかった。執務室のすぐ傍の中庭、小さな花壇の石楠花の前、一人の男性が小さなベンチに腰掛けて、書物を眺めていた。 悩んでいるような陰鬱に翳った瞳が、ちらりと秋思に向けられる。
「…やぁ。秋思か。…花圃の具合は」
「一応、今日が検診だというのは覚えていてくれたようじゃな、稲穂。お嬢なら元気そうだ。街へ一人で出かけられてしまっているよ」
「……」
 その言葉にぴくりと眉根を寄せて、稲穂は書物を閉じる。またか、と、口の中で小さく呟いて、彼は眉間を押さえた。長いこと細かい文字を追っていたので、すっかり目が疲れている。
「全く、………」
 何かを言いかけたようだったが、その言葉は飲み込まれて出てくることは無かった。稲穂は無意識に石楠花を目で追う。まだ蕾の石楠花は今は何処にも居ない女性の好きだった花で、侍女達に世話を任せることなく、彼自身の手で世話をしているものだった。
「…あ、旦那様、秋思先生」
 中庭を挟んで反対側の廊下からそんな声が届いて、稲穂は物思いに沈んだ思考を浮上させた。長くこの家に仕えている侍女頭が、小走りに寄ってくる。
「どうした?花圃は見つかったのか」
「ええ、今戻られたんです。…先生、それで、あの、急いで来てくださりませんか?お嬢様が…大変な…」
「何」
 声を緊張させた秋思に対して、稲穂はと言えば目を静かに伏せただけだ。一方で、珍しく取り乱した様子の侍女頭は、どうにもややこしいことを口走っていた。
「いえ、お嬢様はご無事で、なのですけど、あんな大変なもの…いえ、大変な…ああっ、とにかく来て下さいな!私達では対処が出来ません!」
「…気にしないでって言ってるじゃない。」
 精一杯低められた子供の声は、ヒステリックな女性の声を遮るように刺々しい響きを持っていた。男二人が視線を遣れば、そこには、青白い顔をした、けれど妙に視線だけ鋭い子供が立っている。薄灰色の髪の毛は少しだけ乱れて、息も少しばかり荒い。その後ろに続いて、おろおろしながら秋思の弟子が現れたが、これは無視された。
「花圃。」
 重々しい声で名を呼ばれて、侍女頭を睨んでいた少女は初めて、怯えたような様子を見せた。びくりと身を震わせ、ようやく、中庭に居る人物達に気が付いたらしい。薄紅色の目を瞠る。そうやって驚く表情は、あの異常に鋭い視線が和らいで、年相応の子供にも見えた。
「…おとうさま…」
「花圃。……先生をお待たせしてはいけないだろう。」
 叱責するでもない。静かなその声に、花圃は、きり、と唇を噛んだようだった。だがそれは一瞬のことで、すぐに表情を消し去っている。子供らしくも無い、と、秋思は、胸が痛んだ。
「…ええ。ごめんなさい、先生。」
 その言葉は酷く平板な、感情の無いものだった。
 稲穂は深くため息を吐き出すと、何を告げるでもなく、中庭を立ち去っていった。


 稲穂の居なくなった中庭の石楠花を憎憎しげに睨んだ花圃は、だがすぐに視線を秋思に戻した。駆け寄ってきた侍女頭の伸べた手を振り払って、すたすたと秋思に歩み寄る。
「先生、見て欲しいものがあるんですけど」
 珍しい申し出に、秋思は微かに首を傾げた。
「…何事じゃ、一体」
「来て下さい」
 声は冷静を装ってはいたが、幼い頃から彼女を見知っている秋思は、その内に隠された強張った緊張を察して眉根を寄せた。
 だがそれ以上何を問い質せる訳でも無い。仕方無しに、すたすた歩き出した花圃の後ろを追って、すぐに彼女の寝室へと入り――そして、不本意ながら、唖然と口を開けた。
 花圃の寝室の、子供には大きすぎるベッド。紗の天幕のあげられた絹の布団の上に、見たことの無い少女が、横たわっている。
 翠の色をしたウェーブを描く長い髪に、透き通るような肌。不思議な光沢を持った黒い地にリボンとレースをたっぷりあしらったワンピースが、その白さを強調していた。年のころなら花圃とそうは変わらないか、彼女より幼いくらいだろう。なかなかの美少女である。
「――これは」
 すぐに医者の性分が目を覚まして、彼はベッドに歩み寄った。横たわる少女を見て息を呑む。恐らく素人目にもはっきりと分かるだろう――侍女頭がああも動揺していたのも、無理はあるまい、と嘆息した。
 ――幼い少女は、見るからに呼吸をしていない。
 だが、その肌に触れてみて、更に彼は不可解なことに気が付いた。少女は氷のように、触れた指が痺れるほどの冷気をその肌に湛えている。
「…コレは」
「ええ、そうです。お分かりになります?先生」
 子供の声にしては酷く抑揚の無い声から、如何なる感情も読み取れない。
「――『人形』です。」
 思わず秋思は花圃を見遣り、絶句した。少女の青白い顔の中で、薄紅の色の瞳が、異常とも言える鋭さで「人形」を睨んでいる。
「『人形師』――外法の使い手でも居らねば、斯様なものは造れまい。一体何処でコレを手に入れたんじゃ?お嬢」
「拾いました」
 しゃあしゃあと言ってのける顔はやはり、感情を映し出さない。ある意味では見事だと、秋思は諦め半分に感心した。――この、弱々しい身体に納まりきるのか疑問にさえ思う気性の在り様は、確かに、花圃は母に良く似ている。だが、と、秋思は次の瞬間には瞼を下ろした。全く、まさか『人形』とは…。
 ――アレは、『人形』等と言うシロモノは、そうそう街中に落ちているようなものでは有り得ないのだ。そのくらいのコトは、花圃も重々承知だろうに。
 『人形』とは、一般にあるような――例えばこの部屋にも置かれているビスクドールだとか、可愛らしく動物を象ったぬいぐるみなどとは違う。
 それは『人形師』と呼称される外法の使い手、最近では「店主」と呼ばれている人々にしか作ることのできない魔法の品である。とはいえ大昔に「外法の使い手」の一族が何処かの国の王様を怒らせて滅ぼされて以降、「人形師」も「人形」もそうそう人目につく場所には現れなくなってしまったのだが。
「…こんなものがそうそう落ちていてたまるかい、お嬢。一体全体、どうしたんだ」
 すると花圃は、薄らと微笑んだ。しかし瞳だけは鋭く人形を見据え、何処となしに悲しげにさえ思われた。
「――先生。質問なんですが…私の身体を捨てて、その人形を代わりにすることは…出来ませんか。」
「お、お嬢様!?」
 動揺した声は、入り口近くに控えていた侍女の声だ。裏返った声をあげて慌しく花圃に駆け寄ると、彼女は花圃を抱き締めた。優しくその手は彼女の頭を撫でる。
「お嬢様、何を馬鹿なことを仰っているんですか――幾らそれが、外法の人形だとしても、お母様が生んでくださったそのお体を捨てるだなんて…!」
 ぎゅう、と余りにも強く抱すくめられて、花圃は慌てて、その腕を軽く叩いた。付け加える。
「冗談よ、紅冬瓜…冗談。」
 声は僅かに、あまり感情を露にはしない彼女にしては珍しく、確かな笑みを含んで居た。紅冬瓜と呼ばれた彼女は驚いて、それから慌てて腕を緩める。それでも頭を撫でることは止めずに、身震いさえして、人形を見遣った。声は、忌わしさに震えている。
「…第一、幾ら外法で造られた人形だとはいえ…生きた身体を捨てて代わりにするなんて、そんなこと。」
「――そうじゃな。魂を移し変えるなどと、言うならば簡単じゃが…そうはいかん。」
 秋思がそれに応じて、そう答えた。嘆息して、人形を仔細に観察しながら、背中越しに少女と侍女に向けて、
「第一、魂を抜けば身体が死ぬ、身体が死ねば魂も死んでしまう。…人形の身体になぞ、意味はあるまいよ。――お嬢、何が狙いなのじゃ?」
「…。」
 その点に関してはコメントをするつもりは無いらしい。花圃はぎゅ、と唇を引き結んで、沈黙を守った。ただ、不意に眉を顰めて紅冬瓜を見上げる。
「紅、貴女…、あのお人形さんに触れたりした?」
「まさか。お嬢様が仰ったでしょう、『アレには絶対に触っては駄目』って。」
 それに、と、付け足す侍女の表情は本当に薄気味悪そうだった。
「それに、『人形』に触るなんて、想像するだけで恐ろしいことですわ。」
 その言葉には説得力があった。花圃自身には幸いにして、「外法の使い手」や「魔法」に関して多少は正確な知識があるから、「人形」もまた魔法や外法に造られた、ただの人造物なのだと理解している。だが侍女達や他の多くの人間にとって、今は「店主」と名乗る外法の使い手達や「魔法」は「理解の出来ない、何か恐ろしいもの」と認識されているのも事実だ。そんな彼女たちが、自ら進んで「人形」に手を触れるとは考え難い。
 そう自分で確認して、花圃はほっと安堵の息を吐いていた。それから、「この人形は、後で内密に持ち主を調べて貰いますから」と秋思に告げて、
「それじゃあ、診察の方をお願いします、先生」
 何事も無かったかのように、秋思に頭を下げて、寝台の天幕を侍女に下ろさせた。
 ――寝台に埋もれるように横たわっていた人形は、そうすれば呆気なく、部屋中の人間の視界から消える。
 だから花圃も、酷く違和感を覚えながら、それを確認しなかった。
 寝台に埋もれる、その「人形」の纏うワンピースは、最初は確かに薄い桃色であったはずなのに、いつの間にか上質なビロードのような、漆黒の色の布地に変わってしまっていたのだ。それで違和感を覚えて、彼女は侍女にあのようなことを尋ねた訳なのだが――
 しかし、「人形」自体へ然程の興味も無かった花圃は、その奇妙な事実を、「見間違えか何かだわ」と、あっさりと忘れてしまったのだった。